ぼくと彼女は恵比寿映像祭2024へ行く

 ぼくと彼女は『恵比寿映像祭2024』へ行く。『恵比寿映像祭2024』というのは、恵比寿の東京都写真美術館というところで毎年開かれている「映像とアートの展覧会」だ。ぼくと由梨は一昨年の5月(正式には6月)から付き合っているので、実は去年も「一緒に行こうか」という話になったのだが、由梨のサークルの番組発表会の追い込み期間とがっつり重なっていたので結局行けず、ぼくにとっても由梨にとっても今年が初参戦となった。

 今年のテーマは「月へ行く30の方法」だった。これはもともとは土屋信子というアート作家のひとが2018年に開いた展覧会のタイトルらしい。今回の『恵比寿映像祭2024』でも土屋信子の作品は展示されるとのことだった。

 由梨はぼくが高校時代に天文部だったことを知っているので、ぼくらが『恵比寿映像祭2024』へ行くのを決める前、チラシを見ながら「月だって! 天文!」と煽ってぼくの関心を高めようとしていた。でも、こういう展覧会で展示される「月」とか「宇宙」をテーマにした現代アートって、どうせシュールで抽象的で意味不明なセンス高い系のやつだろ? 「これのどこに『月』要素があるんですかね?」的な。気を遣ってくれているところ申し訳ないけど、「月だって! 天文!」という煽り文句に騙されるほどぼくは単純な人間じゃないんだよなあ。

 ……なんてことを由梨に言えるはずはないので、ぼくは「面白そう! 月はぼくがいちばん好きな星だし」と話に乗った。ぼくらが今度のデートで『恵比寿映像祭2024』へ行くことが決定した瞬間である。でも、チラシを見ながら、ぼくはこの『恵比寿映像祭2024』に行ってみたいと素直に思い始めてもいた。なぜなら、チラシの左下の「入場無料」の四文字がぼくの目に飛び込んできたからである。その横に小さな文字で「※一部のプログラム(上映など)は有料」と書いてあったが、それはまた別の話だ。

 当日。JR京浜東北線蒲田駅のホーム(大宮方面)で待ち合わせ、「この前会った時と同じ服だね」と言われながら(いいだろ別に!)、品川駅でJR山手線に乗り換えて恵比寿駅で降りる。ぼくが好きな「動く歩道」(いつもぼくが「歩く歩道」と言い間違えて由梨からツッコまれるやつ)をスイスイ進んだり、逆に立ち止まってのんびり身を任せたりして、恵比寿ガーデンプレイスの窪地みたいなところにある東京都写真美術館(通称TOP)へ向かう。受付でチケット代わりの整理券をもらって、100円入れないといけないけどあとで100円返ってくるロッカーに荷物を預けて、「……やっぱりトイレ行っておく」と言ってロッカー横のトイレで用を足して、階段を上ってまずは2階の展示室へ行った。

 2階の展示室の入口で職員さんから謎の金色のシールを渡される。「服の上から貼っていただくことになっております」とのこと。なんだか秘密結社めいていて不気味だったが、由梨は「へえ!」と言ってなぜか喜んでいて、ぼくも由梨もその金色のシールを右胸の上の位置に貼った。

 展示室へいざ入場。入場無料だから大混雑していたらどうしようと心配していたが、ふつうにゆったり空いている。まあ、平日の昼間だしな。ただ、ぼくらと同じく春休み中の学生らしき者たちがチラホラいたので、ぼくは由梨の耳元で「……あれって美術学校の学生かな?」とささやく。すると、由梨は「そうとは限らないんじゃない? わたしたちは違うわけだし」と返してきた。たしかに言われてみればそうだな。ぼくらは美術学校の学生じゃないのに『恵比寿映像祭』に来ている。『恵比寿映像祭』の観覧客にはそういう学生も当然いる。ぼくはいつも自分(たち)のことを棚に上げて物事を考える癖があるんだよな。「東京都写真美術館に行くひとは写真が好きなひとばかりだ」とか。東京都写真美術館に行くひとの中にはぼく(特に写真に興味がない)も含まれているのに。

 2階の展示物の中では、まず、トレイシー・モファットというひとの「一生の傷」という写真シリーズが面白かった。例えば、少し寂しげな少年(15歳ぐらい)を写した写真の下に『Job Hunt(職探し)』とタイトルが記されてあって、その下に「3週間経っても彼は職を手に入れられなかった。母親は彼に言った。『たぶんお前は役立たずなんだよ』」という文章が書かれてある。ほとんど「写真で一言」の大喜利である。『IPPONグランプリ』で一本を取るタイプの回答ではないが、ぼくはこういったほろ苦いユーモアが嫌いではない。なんとなくサリンジャーの小説を思い出す。

トレイシー・モファット 「一生の傷」シリーズ

 ユーモアといえば、展示室の壁に映し出されていた、ジョン・バルデッサリというひとの『植物にアルファベットを教える』(1972年)という映像作品も面白かった。一人の男性が植物に向かってアルファベットのカードを見せながら、「A! A!」とか「B! B!」とか言い聞かせていくだけの作品である。実にくだらない(褒め言葉)。こういうのって、制作者が自分のやっていることの「くだらなさ」を分かった上で真剣に作っていなきゃダメだ。制作者がもし「これは高尚なアートだからそのつもりで観ろ」と考えてこういう作品を作っていたとしたら興ざめだ。

ジョン・バルデッサリ 『植物にアルファベットを教える』

 米田知子というひとの『坂口安吾の眼鏡』(2013年)という作品は、坂口安吾が書いた『朝鮮会談に関する日記』の原稿を、坂口安吾の眼鏡を重ねて写した作品である。これなんかにもぼくはユーモアを感じる。「坂口安吾」という存在そのものをネタにした大喜利作品っていうか。ぼくも坂口安吾をネタにした写真作品を作ってみようかな。実は、ぼくの自宅の近くには坂口安吾がかつて暮らした家の跡地がある。いまは何の変哲もない駐車場になっているのだが、今度、坂口安吾のコスプレをしてその駐車場の前で自撮りしてみようか。『しばらく留守にしていたら自宅が駐車場になっていた件』とかいうタイトルを付けたら立派なアートになると思いません?

米田知子 『坂口安吾の眼鏡』

 ちなみに。ぼくが『植物にアルファベットを教える』や『坂口安吾の眼鏡』を見ながら「ユーモアを感じる」とつぶやいていたら、由梨は、デュアン・マイケルズというひとの『アヒルのドゥエイン』(1984年)という作品を指して「これもユーモアを感じる」と言ってきた。たしかにこの作品からはユーモアしか感じない。それでもって、いかにも由梨が好きそうな作品だと感じる。正直ぼくの好みの作品ってわけではないが、近頃のぼくは、ひとによって「好み」が違うことをむしろ素敵なことだと考えるようになった。

デュアン・マイケルズ 『アヒルのドゥエイン』

 さて、2階展示室を出て3階展示室へ向かいます。3階展示室では床にテレビが並べられていて、金仁淑というひとの『House to Home』(2021年)というドキュメンタリー映画が流れていた。「『家族』とは何だと思うか」を韓国の一般市民たちにインタビューしている作品である。以前のぼくだったらドキュメンタリーの映像作品なんて興味が湧かなかったが、この日は由梨と一緒にちょっと見入ってしまった。

 ぼくが印象に残ったのは、女性の美容師さんが「わたしはお客さんのことを『家族』だと思っている。血が繋がっている家族には言えないことも言える『家族』だったりする」と語っているチャプターだ。ぼくが由梨に「……これって『友人』とは何が違うんだろう?」と言ったら、由梨は「うん。それを議論しようってことなんだろうね、この番組は」と伝えてきた。……ですよね。何のドキュメンタリーを見ているかも理解していなかった自分自身が馬鹿に思えてくる。でも、たしかにそうなのである。ぼくはたまに由梨や早瀬(学部の後輩)のことを「家族」のように感じるが、その「家族」というイメージはどこから来たものなのか。なぜぼくは両親より由梨や早瀬を身近に感じるのか。「家族」とは何か!……そんな話を書き始めたら本日もこのnoteが無駄に長文になるので自粛します。

 階段を降りて地下1階へ。ぼくはなんだかんだでずっと気になっていた。今年の『恵比寿映像祭』のテーマは、たしか「月へ行く30の方法」じゃなかったのか? 2階にも3階にも「月」をモチーフにした作品なんてなかったんですけど。答えは地下1階展示室にあった。「月」を題材にした作品はここに集められていたのだ。

 一つ目の部屋では、カラフルな照明に照らされた円形のパネルが吊るされていたり、謎の機械からピチャピチャという音が流れていたりした。案の定「これのどこに『月』要素が?」とツッコみたくなる作品の数々だが、まあ、アートというのはそういうものなのです。アーティストは「分かりやすさ」を競って作品を作っているわけではない。意味が分からない作品があるとしたら、それは「鑑賞者がまだ意味を見出していない作品」にすぎない。「意味が分からない作品」というのもそれはそれで立派な意味のある作品だし、アートは活かすも殺すも鑑賞者次第なのだ(はい名言出ました)。

 その部屋では短編のアニメーションも上映されていた。ぶっちゃけ、由梨が作ってきたアニメのほうが完成度が高いし、面白い。ぼくが「由梨のアニメのほうが面白いね」と笑顔で言ったら、由梨は無表情で首を横に振った。またまたご謙遜を。でも、もしここで「いやいや、由梨のアニメのほうが面白いって!」などと言って深入りしたら面倒な空気になりそうな気がしたので、ぼくはそれ以上は言葉を続けず、黙っておくことにした。だから、ここで代わりに言います。由梨のアニメはめちゃくちゃ面白いです。絵が上手いだけじゃなくて、色が付いているし、動きも滑らかだし、シナリオの構成も上手いし、観ていて楽しい気持ちになるし。これからも由梨にはずっとアニメを作ってほしい。みなさんにもいつかぜひ観てほしい。

 土屋信子の作品は地下1階展示室の奥の部屋にあった。土屋信子。今年の『恵比寿映像祭』のテーマ「月へ行く30の方法」の元ネタのひとだ。恥ずかしながら、ぼくは吉屋信子なら知っているが土屋信子のことはこの日まで知らなかった。ここでぼくはようやく「月」っぽい模型を見ることができた。グレーの球体である。これだけでもう立派な「月」である。月の裏側には小さなビデオモニターが置いてあって、水面の映像的なものが流れていた。月の中はこんな風になっているということなのでしょうか。

土屋信子の作品
土屋信子の作品(月の裏)

 縦長の大きな段ボール箱で作られた作品もあった。段ボールには穴が開いてあって、どうやらそこから中を覗いてみろということらしかった。でも、なんだか怖い。中にグロい物体が置いてあったらどうしよう。ぼくは土屋信子のことを今日知ったばかりで、まだ土屋信子のことを信用できてないぞ。ぼくが由梨に「怖いから先に覗いて!」と言い終わる前に、由梨はすでに何もためらわずに中を覗いていた。もう少し警戒心を持ったほうがいいと思うんだけどなあ。ぼくが「……何? 何だった?」と由梨に聞くと、由梨がぼくに「大丈夫だよ」と苦笑いしながら言ってきたので、ぼくも中を覗いてみることにした。この時、近くに立っていた監視の職員さんがぼくらのやり取りを聞きながら微笑んでいて、ぼくとしてはちょっと恥ずかしかったです。

土屋信子の作品(縦長の大きな段ボール箱)

 段ボール箱の中を覗いてみると、針金に毛玉を巻き付けたようなものが置かれてあった。由梨は「綿をちぎったものじゃないかな」と言っていたが、箱の中が暗かったということもあり、その正体は結局よく分からなかった。写真を一応貼っておきますが、ぼくのスマホのカメラは相変わらず画質が悪いので、もはや何が何だか分からないと思います。でもまあ、その正体が何なのかは観たひとが決めたり決めなかったりすればいいのだろう、きっと。

土屋信子の作品(縦長の大きな段ボール箱の中)

 『恵比寿映像祭2024 「月へ行く30の方法」』。月へ行く方法は1つも分からなかったし、そもそも「月」と無関係の写真作品がほとんどだったが、結論としてはとても楽しかった。個人的にはやっぱり『植物にアルファベットを教える』がいちばん好きかな。他のお客さんがまじめな顔で鑑賞していた状況も込みで、シュールなユーモアにあふれた映像作品だったと思う。展覧会全体を通じて自分の中で確信したことは他にもあったんだけど、それについてはまた改めて書くことにしよう。なにしろ、ここまででもう4,970文字を超えているのだ。5,000文字というルビコン川を渡ってしまったら大変なことになる(という一文を書いたせいで本日のnoteは5,000文字を超えました)。

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