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娘との空白の1年を振り返る

妻と娘に再会したのは中国・深圳の自宅のドアの前だった。娘には生後間もない頃の記憶なんて残っていないだろうし、大きな男に抱かれたらきっと泣くに違いない。そんな不安を抱えながら、1歳になった娘を恐る恐る抱っこした。

娘は2020年2月18日に大阪で生まれた。私は、当時職場のあった中国へ戻るべく、3月1日の朝に妻の実家をあとにした。その数日後、中国政府は海外との往来を遮断し、事実上の鎖国となる。

「ゴールデンウィークの頃には赤ちゃんと遊びに行きたい」と出産前に言っていた妻の言葉も夢物語になってしまった。

仕方なく、オンラインで家族とコミュニケーションをとる日々が始まる。毎週日曜日の午後に1〜2時間程度、Zoomでお互いの顔を見るのが習慣になった。

はいはいができるようになった頃、娘は画面をよく叩くようになった。立てかけている妻のスマホが倒れる。人の顔が映って喋る板を、娘は何だと思っていたのだろう。

いつまでこんな日々が続くのか。家族と過ごすために、仕事を辞めて帰国することが頭をよぎる。

夏の終わりの頃から、ビザが発給され始め、深圳に戻ってくる日本人が増えてきた。しかし、ビザの発給が突如停止されたり、煩雑な手続きに時間を要したりするなど、妻と娘の渡航準備は順調に進まなかった。ようやくフライトが確定したのは、年も暮れる12月のことだった。

2021年の2月7日、妻と娘は深圳へ無事到着したが、コロナ規制のため、坪山区の金茂园大酒店へ送られ、2週間の隔離生活が始まる。さらに、1週間の自宅待機を合わせて合計3週間は一緒に生活することはできない。

2月18日、娘は隔離中に1歳の誕生日を迎えた。同じ場所で祝えないのはもどかしいが、会えないことが続く日に比べたらなんてことはない。隔離ホテルへの差し入れは可能だったので、自宅のある南山区からタクシーで1時間ほどかけて、誕生日ケーキを届けた。2歳の誕生日は盛大にお祝いしよう。

再開できたのは、残り1週間の自宅待機が始まるタイミングだった。職場と自宅が近かったため、昼休みに会いに行けることになったのだ。部屋には入れないが、玄関先までなら問題ない。

抱っこしても娘は泣かなかった。生後10日だけ過ごした感触と、光る板から見えた顔と聞こえた声を覚えてくれていたのだろうか。もう、iPadに向かって話さなくていい。

2023年2月、長女は3歳になり、次女も産まれた。ついこの間首が座って寝返りができるようになったばかりだったのに、この記事を書いている10月には、はいはいで動き出し始めた。一連の成長を目の当たりにする度、長女とこの時間を共有できなかったことを申し訳なく思う。

その分、たくさん愛情を注いで過ごさなければと思いつつ、風呂の時間になっても「イヤ」と言い放ち遊び続ける娘に、今日もイライラしている。


この文章は、現在受講中の「プロライター道場オンライン」にて提出した課題をベースに、書き出しや時系列を再構成して、新たに書いてみた記事です。(字数は増えてしまいましたが)
当初は、ロックダウンされつつある中国と日本を行き来したことに視点を当てて書いていました。こちらもお読みいただけたら幸いです。


(タイトル)
2020年2月生まれの娘と過ごした10日間は小さな奇跡の連続だった

妻の妊娠が判明した2019年、私は、中国・広東省深圳の日本人学校で働いていた。出産に備えるため、妻だけ同年10月から大阪へ帰国。翌年2月に私も一時帰国し、妻と誕生した娘に会いに行くつもりでいた。

しかし、春節を迎えた2020年の1月下旬ごろから、感染の震源地・武漢での惨状が耳に入る。突如ロックダウンが始まり、病院に向かって救急車が列をなす動画が流れてきた。広東省でもコロナウィルスの感染が広まりつつあった。

学校は休校になった。対応に追われ、出産を間近に控える妻の事も心配であった。

本来、子どもたちが登校する2月に、長期間帰国することは難しい。しかし、普段はあまりプライベートに与しない上司が、私の状況を気にかけてくれ、一時帰国を促してくれた。

武漢はロックダウンされていたものの、まだ中国国境は封鎖されていなかった。2月15日に深圳をあとにした。

大阪に着いて2日後、私を待っていたかのように陣痛が始まった。感染対策のため、病院で立ち会うことはできなかったが、30時間を経て妻は長女を無事出産した。

安堵したのも束の間、深圳へ戻るには、香港から陸路で深圳のイミグレを通過するしか方法は残されていなかった。中国本土と香港は検疫のルールが違うため、過去14日間以内に中国大陸の滞在歴があれば、香港で隔離の対象になってしまう。

深圳を出発してから満14日が経過した3月1日、後ろ髪を引かれる思いで大阪を後にした。香港到着後、すぐにタクシーで深圳へ向かい、隔離なしで中国大陸側へ入境を果たす。

3月5日以降の日本からの渡航者は、14日間の隔離が必要となった。さらに、中国は海外との人の往来を遮断。事実上の鎖国状態に入った。

妻と娘に再会できたのは、1年後の2021年2月だった。娘は1歳になっていた。

あの状況で、日本に帰国し、出産を控える妻のそばにいて、生まれたばかりの娘と10日ほど過ごし、隔離なしで深圳に戻って仕事が続けられたのは、小さな歯車が重なって起こった奇跡としか思えない。


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