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【毒親だと思っている?】親を恨んでいるうちは、人生は良くならない

世の中には「毒親」という言葉があります。正直いうと、私も昔は使っていました。しかし、今は死んでも言いたくありません。この記事で言いたいことは、毒親だと思っている思考自体が浅はかだ、ということ。事実がどうであれ、です。何よりも、親に対して恨みつらみがあるうちは、自分の人生は絶対に良くなりません。それをお伝えします。


自分を全否定している

私たちには、親がいるから生まれてきました。その親を恨む時点で、自分が生まれてきたことに嫌悪を抱いているも同然です。だって、今の自分が嫌なのでしょう? だから、親を恨んでいる。ただ、それだけ。まずはここに気づいていただきたいのです。それとも、今の自分は完全にハッピーですか? 何かしら、人生でモヤモヤを抱いているからこそ、毒親というワードを使っているのだと私は考えます。

他責思考で生きている

私はかつて、母親のことを毒親だと思っていました。実際、母親の不倫がきっかけで両親は離婚しましたし、家族はバラバラになりました。しかし、これはあくまでも当時の私目線。今の私は、これが事実にしろ、母親だけの責任だとは思っていません。正直、母親のしたことは褒められた話ではありませんが、だからって、私の人生とどう関係があるのでしょうか。血縁だからといって、何が影響しているのでしょうか。ここを過度に考えているからこそ、毒親とかいう名目を使って、他責をしているとしか思えません。

自分を受け入れていない

私が毒親というワードを使っていた頃、私が誰よりも私のことを嫌っていました。「なぜ生まれてきたんだろう」「人生の目的って何?」「生きるって何?」こういった存在意義レベルの疑問を常に考えるほどに落ち込んでいました。人生に楽しみが見出せず、今もこれからも絶望しかありませんでした。ですが、この状況をつくりだしたのは自分です。親ではありません。大前提、他人のことは変えられません。私のことを人が変えることができないとも言えます。

自分で気づく素晴らしさ

私は親のことでモヤモヤと苦しんでいましたが、解放されたきっかけはただ一つ。自分に問いを立てることでした。例えば、上記の「生きるって何?」ということも、自分に問いかけるのです。この時、親のことは関係ありません。親は親であり、私は私、実は何の関係もない人です(といったら語弊のある言い方ですが)。よくも悪くも、自分の人生は完全に自分のものです。親の扶養内で生きてきた時に影響したことがあったとしても、だから何でしょうか? 気がつけばもう終わりです。関係ないです。

人生は自分の内側次第

この記事全体で述べたいことは、「人のせいにするな」ということ。親という特別な関係のある人だからといって、毒親だとか勝手に造語をつくり、勝手に恨んで、勝手に自分一人傷つくバカな真似はもうやめませんか? これが私の言いたいことです。

「だから、私はこんな状態なんだ」は他責

私だって、かつては本気で自分の親を、毒親だと断定しては「だから、私はこんな状態なんだ」と他責でしたから。何を言っているんだか、と今なら思います。影響こそあれど、人生を決めるのは自分自身です。他人が自分をコントロールできることはありません。少し複雑なことを言いましたが、伝わりますでしょうか? 自分が気づくまで、何度でも考えていただきたいです。

小さな世界で悩むのはやめよう

私が勝手に母親を恨んでいて、勝手にそれを手放した時、自分がいかに「小さい」のか気付かされました。絶対に許せないとか勝手に思っていたことでさえ、「もはやどうでもいい」という見え方になりました。毒親だのなんだの、ワーワー喚いていたときの自分に言いたいことがあります。「それってあなたの意見ですよね?(ひろゆき風)」

本当に、ただそれだけです。小さいんですよ、他責で喚いているうちは。結論、毒親という言葉は逃げだと思っています。事実はどうでもいいのです。自分の内側を変えるだけです。もっと広い世界に移行しましょう。

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