見出し画像

言葉の変化をただ受け入れていくだけでいいのだろうか 2022年8月19日

 自称「読んですっきりした女」神垣です。

 久々に岩波の新書を読みました・・・


言語表現が「情緒過多」になっている?
たとえば……

スポーツ選手が
「観客に勇気を与えるプレーをしたい」
という発言を聞くたび、
なんだか引っかかるものを感じます。

見る人に勇気を与えるために試合に臨むの?
勝つためじゃないの?
という疑問。

試合を見て勇気がわいてくるかどうかは
観客の問題。
「勝つ」から勇気を与えられるのであって
勇気という言葉を持ちだす前に
まずは「勝つ」ことでしょう。

そんなことを悶々と考えているうちに
試合が終わっていくのでした。

もっと素直に観戦すればいいじゃん
という声もありましょう。
でも、わたしと同じような思いを持つかたがいれば
ぜひ、読んでほしいのが
新書。
「ことばが壊れる前に」と
副題がついています。


「言葉は生き物。
 だから、時代とともに変わってゆく」
とよく言われますが

この言葉を見たり聞いたりするたび
「変わりっぱなしにしておいていいの?」
と盾を突きたくなるのです。

変わっていくのが言葉なのだから
と、言葉の変化をただ受け入れていくだけでいいのだろうか。

その言葉の使い方はおかしいのでは?
こういう使い方もある。
こうすればもっとよくなる。

という思いを
わたしのメールマガジンでは伝えてきました。
ムダな抵抗とは思いつつ。

本書のタイトル
「うつりゆく日本語をよむ」
を見たとき、

変化する言葉をどのように捉え
接し、使っていけばよいのか
その答えを知りたくて
手に取りました。

本書にはこうあります。

「思考」と「言語表現」とは、
自律神経と呼吸のように一体化している。

(中略)

「言語表現」を整えることによって、
「思考」を整えることができるはずだし、
結局は「言語表現」を通してしか、
「思考」を確認することができない。
そうだとすると、「書きことばの混濁」は
そのまま「思考の混濁」をあらわしている。

「うつりゆく日本語をよむ」

時代と共に軽く、薄くなっていると感じる
言葉の使い方、使われ方を思うとき

そうした言葉を使う人の思考も
軽く、薄くなっている……
だとしたら、それを食い止める方法は?

という疑問の答えを
本書で見つけることができました。

今野 真二 著「うつりゆく日本語をよむ: ことばが壊れる前に」

(2022年8月19日 VOL.4089配信 メールマガジン あとがきより)


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?