極めて非論理的な夏


白いワンピースに麦わら帽子、フミカは夏を満喫していた。ベタな格好にもほどがあると素直に言えない自分がいた。彼女は海を一望してから振り返り、少し屈んで膝に手をついた。それから不自然な姿勢のまま僕を見上げて「私、ヒロインしている気がする」と言った。バレー部だった彼女の体幹が強いことを僕は知っていた。「中途半端な姿勢のままでよく疲れないね」。彼女はあきれて笑うしかなかった。「あなたって人の気持ちとか考えたことある?」幾度となく人生で言われてきた言葉だった。「あるよ、世の中には誕生日を祝われるのが嬉しい人間と嬉しくない人間がいる。そう言えばフミカは誕生日だったな、うん」「うん、じゃなくて。私は祝われるのが嬉しい方なんだけど」「じゃあ、おめでとう」「じゃあ」彼女は強調するように繰り返した。「フミカはプレゼントなにがほしい?」「論理的に生きられない人間を論理的に肯定してくれるもの」「なにそれ?」彼女はため息をついて立ち上がった。それが神様への合図だった。潮風が麦わら帽子を太陽の方角に運んだ。僕はその裏にある電子回路を目撃した。それから彼女の方に目を向けようとしたが、僕の視界は真っ暗になった。


「起きて」


フミカの声が聞こえた。目を開けると白い空間が広がっていた。フミカの姿はどこにもなかった。周りの壁は途方もない数字の羅列でうめつくされていた。そこにはすべての円周率が書かれていた。


「あなた、円周率ですよね?みんな血眼になって探してましたよ、あなたのこと」


円周率は沈黙を貫いた。その静寂の中で、僕はすべての円周率が書かれた壁から、僕とフミカの生年月日が隣り合わせで書かれた数列を発見した。僕たちは運命の二人なのかもしれなかった。


下には1つ教科書が落ちていた。微分積分について書かれたものだった。ページをめくると、乾いた笑い声が聞こえた。それが、どこから発せられる音なのか、しばらくわからなかった。ページをめくる度にその声は大きくなっていき、彼は突如として現れた。教科書のライプニッツが笑っていたのだった。


「今からあなたを弾き飛ばします」


暗い地下通路だった。その真ん中に僕は立っていた。下にはうっすら「通学路」と書かれていた。目の前には柄の錆びたドアがあり、その奥で静寂が鳴り響いていた。僕は導かれるままにそのドアを開いた。中はバーだった。「君を待っていたよ」。カウンターの向こうで立っている男が言った。白いシャツの上に黒いベストを羽織っていた。そんなことより客は僕だけだった。「座りたまえ、君は未成年か」僕は言われるがままに丸椅子に腰かけた。「今年で大学4年になります」「なるほど、君は会話ができないのか。年齢を聞いているんだ」「年齢…今自分が何歳かわからないです」「なら君は自分のことを何歳だと思う?」「16歳です」「それが君の本当の年齢だ」なぜか急に居心地がよくなった。そのせいか僕は自分から話しかけていた。「僕を待っていたというのは、どういうことですか?」男はグラスを拭くのをやめた。


「 論理的に生きられない人間とはいかなるものか説明せよ」


それがぼくの問1だった。


「論理的に生きられない。それは矛盾したことをしてしまう、賢く生きられないということですよね」


「そうだ、これまでの積み重ねや人生があってそうせざるを得ない状況に追い込まれているんだ」


「あるいは、そこに落ち着いているんだと思います」


「お年寄りに席を譲らない人がいたとして、一般的に思いやりがないと見なされるが、個人の事情によりその選択しかとれないという場合もある、他の例は思い付くかね?」


「たとえば、ホントはもっと早く返信したいのにできない、しない、のは自意識の問題で、他人にどう思われるか強く気にしてしまうからで、、過去にそういったことで過ちを犯したのかもしれないし、周りの人の失敗談を聞いたのかもしれない。とにかく自分(他人)の過ちを繰り返したくないんですよ。マイナスを排除しようとする利己的な考えが非論理性を生み出すんです」


「仲良くなりたくないのに声をかけてしまう。本当は友達とディズニーに行きたくないのに行ってしまう場合は?」


「それは保身です。一人でいられない弱い自分を守るための行動であって、一人でいることをマイナスだと捉えて、それを回避しようとしているだけです、、逆に、本当は友達がほしいのにいらないと言ってしまう。これは、ひねくれているのか、あまのじゃくであるかのどちらかです、、なにかに納得がいっていない、一般的によしとされる常識に反抗しているんです。それはほとんどの場合、過去が影響していると思います。笑いたいのに笑えない、いい加減、太陽を見たいのに見れない場合も過去のトラウマが強く影響しています」


「じゃあ植物に水をあげたいのにあげられない場合は?」


「たとえば、当事者にこんなエピソードがあるとします。『おばあちゃんが大事にしていた植物に私が水をやってしまったら、もう二度とおばあちゃんは戻ってこない気がする』。要は、おばあちゃんの死を受け入れられないんです。過去を過去だと切り捨てられない。それは本人の問題であって、切り捨てられないことが悪ということではないんですけど」


「大人になったらのみたくないのにビールを飲んでパチンコをしてタバコを吸ってしまう場合もあるが」


「依存。化学のいたずらですよ。依存症は病気とされますけど、要は、人間と化学物質が偶然にも意気投合してしまっただけであって、憎むなら遺伝子を憎むしかない。無理に矯正すれば治る人もいますが」


「缶の飲み口から飲みたいのに、側面に小さな穴を空けてそこから飲んでしまう場合は?」


「なるほど、少し変わった状況ですね。だけど結局同じことです。これは、その方が美味しかった、という成功体験への依存です。たとえば、写真を撮りたくないのに撮っているとする。それは、写真を撮ってる自分を誉められた過去があるから。仕事上、爪を切るように言われているのに爪を切れない。誰かに爪を誉められて、その時の自分が捨てられないから。どれも過去への依存です」


「すべての『論理的に生きられない』にはさまざまな理由があり、本人がその事を自覚していないか、気づかないふりをしているだけだ。では、論理的に生きられない人を論理的に肯定する文章を書きなさい」


それがぼくの問2だった。


「そんなことより、フミカはどこですか?」


「その前に今までの話を整理しよう」


「わかりました…」


「論理的に生きられない理由はいくつかに分類される。まず、過去に縛られているケース。誰かに誉められたことが嬉しかった。誰かに指摘されたことが辛かった。自分が誰かにしてきた罪を繰り返したくなかった。誰かに植え付けられたトラウマを思い出したくなかった。次に、未来に縛られているケース。未来の自分を想像して、このままでは自分的に良い方向にいかない、理想の自分、目標となる人物とずれてしまう、あるいは、他人の過去を知り、現在の他人を見て反面教師にした。マイナスを回避しようとしているだけだ。この2つは自分に利益があるように、自分が損しないように行動しているだけだ。そして、自分の中にルールがあるケース。既存のルールに反抗している。信条として、やりたくないことがある。深交に背く行為がある。これも同様に、過去に縛られているか、そのルールに従わなかった未来の自分を受け入れられないかの2択でしかない。『俺は私は生まれながらにしてこの世界のどうしようもなく変えることができない大きなルールに納得がいってない』と思い込んでいる人もいるかもしれないが、それも結局は環境や遺伝、経験が作り出した生きづらさにほかならない。このように論理的に生きられない人のほとんどは過去や未来に縛られている。そんな自分に嫌気がさすなら過去を克服して未来を理想の自分で踏み倒すしかない。それが正しいことかは知らないが。『いや、俺は私は過去を克服できないとかではなく生まれながらにしてこの世界のルールに納得がいってない』と言い張るのなら抗うしかない。屈せずに歯向かい自分のルールを世界に染み込ませるんだ」


「それはわかりましたけど、論理的に生きられない人を肯定する文章はどう書けばいいんですか」


「まあ落ち着け。まだ話は終わっていない。ところで、センスは生まれ持ったものではなく、生きてる中で無自覚に自分が積み上げた意識や経験の集合であって、今までの自分の集大成なのだから、その感性を否定するということは今までの自分を否定することになりかねない。もし今の自分が本当に嫌なら過去を切り捨ててしまえばいいが、その方法は得策とは言えない。一番良い方法は自分の好きなところだけうまく残すことだ。その好きな部分には負の部分も少なからずあるだろうから、そこを捨てるのか受け入れて生きていくのか考える必要がある。さらに、自分の尺度で生きるのか、他人の尺度で生きるのかというのも面倒な問題で、それによって切り捨てたり持ち続けるものも変わってくる。要は、自分の進むべき方向を決めて取捨選択するしかない」


「論理的に生きられない自分を捨てることで失われていくものもあるけれど、自分にとって重要でなければ取り除いてしまってもいいってことですか?」


「ただ、論理的に生きられない人を肯定したいと言うのなら、培ってきた彼や彼女の感覚を誉め続けるのが一番簡単な解決方法だろう」


「でもそれを論理的に説明してしまってはなんの面白味もない気がします」


「本当は諭すようにではなく、彼や彼女らに自発的に気づかせるべきだ。論理的に生きられない人を論理的に肯定するのは難しい。そのような人たちは感覚を大事にしている。だから無意識に共感できるものを欲しているし、それを感じ取れる自分を肯定したいはずだからだ」


「直接的に誉めるな、ということですね?」


「そうだ。そして最後に1つ。はたして論理は必要なのか。マジックに種明かしはいるのだろうか。魔法は魔法のままでいいんじゃないか。だから論理的でないことなんてそんなに深く考え込むようなことじゃない。矛盾くらいがちょうどいい。その方が人間らしくて可愛げがある。ちょっとおちょくってやりたいやつとか死ぬほどムカつくやつにだけ暴力のように論理を振りかざせばいいし、それができないなら自分の感覚を遺憾なく発揮し周りをぐちゃぐちゃにかき乱してしまえばいい。論理はつまらない。感覚を重んじろ。感覚で生きる方がよっぽどカッコいい。だから答えは至ってシンプルで『自分の感覚を肯定しろ』だ」


「自分の感覚を肯定できるようになる文章を書けということですか?」


「そうだ。そして、あくまでも相手に感じ取らせるんだ。ストレートに想いをぶつけてはいけない」


「だけど僕は、、ストレートな方法でしか伝えることができない」


「わかった。ただ、忘れないでほしい。これからどんなことが待ち受けようが歩みを止めるな。ストレートでもなんでもいい。進むのを止めてしまったら人は一生自分で作った檻の中で暮らすことになる。それを世界と勘違いしてしまって見えるものも見えなくなり感じていたものも失われていく」


「マスターの言うことは信用しています。たとえどんな厳しい現実が待ち受けようとも歩くのをやめません」


「別に歩かなくたっていいんだ。時には誰かにおんぶしてもらえば。大事なのは前に進むこと。人生はよく一次元的な直線でたとえられる」


「ええ、僕も彼女もそのことは存じ上げています」



「ふたつともないこの直線で静止し続けることには回りの景色は変わりようがない。一見変わっているように見えてもそれは君たちが世界に乗り遅れているだけのことだ。この世界は目まぐるしく変化する。だからその変化に置いていかれないように臨機応変に対応する必要がある。自分の中で変えてはいけないものを抱えつつ未来に向かって前進する。君たちが抱える変わらないでほしいと願ったものはいつしか遠い未来ですばらしいタイムカプセルとして発見される、それはとても貴重なものだ。変えられない変えたくないものがあるというのはすばらしいことなんだ。だから時代の変化には付いていきなさい。全てを不変のままにしておけば、君たちが大事そうに抱えるその不変も腐っていくからね」


僕はマスターにフミカの居場所を尋ねた。


「彼女なら、その向こうに」


扉を開けると、潮の匂いがした。出迎えてくれたのは、あの海だった。フミカの後ろ姿もあったが、飛ばされたはずの麦わら帽子を被っていた。歩こうとしたとき、足元でなにかがひっかかった。あの数学の教科書が砂に埋もれていたのだ。僕は拾ってページをめくる。


ライプニッツは舌を出していた。


バカにしやがって、バカにするがいい、僕は今気分がいいんだ。円周率の中に僕とフミカの生年月日が隣り合わせで存在していたその事実が僕はとても嬉しかったんだ。ライプニッツが喋りかけてきた。


「ハハハ、ハハハ」


「なにがおかしい」


「全部、君が自分で作り上げた妄想だよ。マスターのことも、僕のことも、そしてフミカとの関係性もね」


ライプニッツは真面目な顔に戻り、二度と喋ることはなくなった。その時、風が吹き荒れた。あの時と全く同じだと思った。フミカは水平線の方へ飛んでいった麦わら帽子を目で追い、しばらくして諦めたのか、残念そうにこちらを向いた。僕が彼女に近づいて、砂浜の方から徐々に近づく僕の存在に気づいたとき、一瞬で顔が青ざめた。


「うわっ、ストーカーいる…どこまで付いて来てるの…キモ…」


フミカは小走りで僕の横を通り抜ける。すべてが頭の中で起こったことだとわかった。もし円周率に終わりがあるなら、最初の3が僕で、最後の数字が彼女だったのだ。僕はフミカを追いかけなかった。彼女の家を知っているから。

こんな僕を誰か肯定せよ。

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