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春の風

先日、ある女医と話していると「育児書は全部捨てた方がいい。育児書なんて書いた人の育てた方法がただ載っているだけだから」と言っていた。たしかに誰かの言葉に翻弄されて盲信する親御さんはいるだろうし、疲弊してしまう人もいるだろう。本質的なことは誰かに教わるというより、自分なりのやり方を模索しながら体得していくのが良いだろう。文章の書き方についてはどうだろうか。文章教室みたいなものがある。

自転車で都内にある図書館の前を通りかかった時、「文章教室開催のお知らせ」という掲示があった。フラワーカンパニーズか、サニーデイ・サービスかのライナーノーツなどを書いている音楽系のライターが文章の書き方を教えてくれるそうだ。全2回。
教わったことないなあと思って参加してみると、近所の老若男女10人くらい社会人の参加者がいたと思う。音楽が好きそうな、雰囲気のある、物静かな口調の長髪の男性が色々話をしてくれた。どうしてこの職業に就いたのか、どんなものに影響されたのか、執筆した物への想い、文章を書くにあたって大切にしていること、といった彼の話を、一番熱の籠った様子で聞いていたのは、教室の後ろの壁近くに立っていた、この辺りの音楽が大好きだという主催者の図書館の中年女性だった。熱い眼差しで講師を見ている。
次回の講義に向けて宿題が出た。一つ作品を書いて来いと言う。作品を期日までに図書館に提出したら、その講師が予め読んでくれ、次回論評してくれるという。人に読んでもらえる機会がなかなかないので、私は久々に筆を揮った。
2回目が訪れた時、各参加者の作品に対して淡々とコメントしていた講師が、私の文章の話題になると、
「これは、その……何というか、僕には想像もできないような大変な経験で……。こんな経験に合ったら人はどうなるか、何と言うべきか、何と言ったらいいか……」
と言葉を詰まらせた。めちゃくちゃ言葉を選んでいたし、言葉になってもいなかった。たしかに話の内容がいささか重くはあったけれども、そんなのが聞きたくて書いてないのでびっくりし、講義終わりに先生に詰め寄った。
「先生、この文章どうでしたか」
「いや、これは、その……何というか、僕には想像もできないような大変な経験で……。こんな経験にあったら人はどうなるか、何と言うべきか、何と言ったらいいか……」
言い淀んでいる。悲壮な物語なんてどうでも良かった。どうしてその言葉がそこにあるかはすべてに意味がある。そこに流れるものが何かを感じてもらえないことに大変がっかりして、「このライナーノーツライター風情が」と思った。

最近、音楽好きの知人がサニーデイ・サービスの「春の風」を聴くと私を思い出していた、と言った。私は歌詞を眺めながら
「めっちゃいい歌詞だねえ。よくこんな詩が思い浮かぶよねえ。随分大人になっても、若い時の、こんな心情書けちゃうのかあ」
と言った。
「この曲が入っているアルバムは全部いいんだよ。中学生の頃の気持ちを思い出して作ったんだって」
「なるほど。すごいねえ。でも青春の爽やかさだけではないよね」
「これを作った頃、曽我部さんも離婚して色々辛い、大変な時期だったと思う。曽我部さんはこの音楽をどんな気持ちで作ったのかな」
「別れた奥さんのことを想って作ったということ?」
「いや、違うと思う」

数年前、ライナーノーツの人には、本人には伝わっていないにせよ、教えてもらったのに悪態をついて申し訳なかったと今では少し思う。もうすぐ日本は春だろう。もう春かな。いいね!

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