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面白きことは良きことなり!

雨の多い毎日だがメリットの無いこともなく、おかげでこのように今日も蒸した夜にビール美味しく過ごすことのできている鹿田だ。目の前には職場でもらった梨なんかも出ているが熱気に浮かれたならば梨さえ夏の味覚と思い込むことができる。これも素敵な夏バカskillであるからして、なかなか他人にはできない芸当であるとは思うが。

梨→白→入道雲

ほら、たった一つの単語をバイパスに夏に変換できる。

鹿田です、よろしくね。


最近は再び読書に耽っている鹿田だ。耽るというか埋没しているといってもいい。きっかけはなんだったか今とのなっては定かではないが、たぶん自らを考察するからに『テスカトリポカ』を読み終えたあたりからふつふつと鹿田の腹部奥底に眠る活字中毒が目を覚ましたのであろう。

決して威張れる話ではない。活字中毒にはならざるを得ず、なった経緯があるのだから。

それは少年期に遡る。


究極のインドアで運動神経は最悪であった鹿田少年は、それでいて勉強ができるという訳でもなく自己肯定感を全く持たない卑屈少年と成長していた。将来に対する夢などひとつもなくただただ大人になる恐怖に苛まされ、夢の中で脂ぎった大足に踏みつぶされては夜中目覚める日々。本能的な防衛なのか鹿田少年は少しずつ本の世界に現実逃避するようになる。

本を購入するにあたっては何の制限もなく、お金を出してもらえる家庭環境は今考えてみればとても神がかっていた。その代わりクリスマスプレゼントも好きな本1冊、だったが。


中学時代は田舎であったがたまたま学校近くに本屋があり、よく学校帰りに本屋によっては時間を潰していた。その頃は確か椎名誠灰谷健次郎なついちの本などを片端から買っては読んでいた。

そして以前も話したが高校生になってからは村上春樹に出会い(分厚いねじまき鳥クロニクルを図書館で読んでいる同級生に衝撃を受けたのだ。そして安易に、かっこいいと思ったのだ)そこから専門学生にかけてが一番本を読んでいたように思う。1日2冊などざらであったし今思えばその有り余る自由時間とはなんと尊いものであったのだろう。まあそれでも今の、仕事の合間や帰宅後ビールを飲みながら飲む大人ならではの読書も、決して嫌いではないのだが。

その後就職し、自由なる財力を手に入れた鹿田はさっそく愛蔵版村上春樹全集(それも上半期下半期の2セット)を購入するという大いなる野望を果たし、それを、アンダーグラウンド以外はすべて読みつくした。そして…達成感を感じてしまったのである。

同じ作家の本を(ほぼ)全巻読んでしまった鹿田は、そこでなにか読書に対するゴールみたいなものをみつけてしまったのだ。

多分、同じ作者の本というマンネリがそれを生んだのだと思う。しかし趣味と言えば読書しかなかった鹿田は本に飽きた今果たして、どうやって有り余る人生を貪るかと考えた(今思えば大変貴重な時間を、その頃はまだ贅沢に無限にあると思い込んでいたのだ)

経験の極端に少ない鹿田は、他の余暇というものをまったく知らなかった。活動範囲と言えば職場、コンビニ、自宅、本屋、図書館程度。

そして運命の日、古本屋に飾ってあった鮮やかな箱に、引き寄せられるように手を伸ばす。鹿田史に一際輝く、ゲームとの邂逅であった。


そこまでの前半が読書人生であるならば、後半からはゲーム人生の始まりである。

PSP、vita、3DS、ps4、 switch。

楽しくて仕方なかった。なんせゲームなんて子供の頃少し触った程度であるから、そのゲームという本来の楽しみを鹿田は人100倍感じてしまったのである。そして遊んで遊んで遊びまくった。

ここでひとついいたいことがある。

世の中にはいまだ

”ゲームはこどもが遊ぶもの”

と、偏見を持つ人がたくさんいる。かく言う僕も、親に言われ続けた。

「大人になって、ゲームなんて」

しかし、僕はそんなこと言われようとも、なんとも思わなかった。

人が本気で楽しもうとする、その対象の全てが遊びであるのならば、年齢や男女、老若、そんなものが妥当不当の理屈に上げられるなんておかしな話じゃないかっ!

大人は鬼ごっこではしゃいではだめなのだろうか?
こどもは麻雀で遊んではいけないのだろうか?

そう、本を読んでいた僕は経験は人より少なくも、でっかちの頭に詰め込んだ情報により無自覚にも、常識という言葉に対する不信感がちゃんと生まれていたのであった。

今ではeスポーツなんて名称はほとんどの人がご存じだからね。オリンピックの公式競技になるとかならないとか、話題に上がったくらいだ。いらぬ理屈や偏見や常識という不確かなものにより、固く氷の中に閉じ込められていたものが、緩やかに融解しているこの時代に生きていることを僕は、少なくともうれしく思うよ。

そして僕は大いにゲーム人生を楽しんだ。とってもとっても楽しんだ。オンラインゲームの楽しさよ、気心知れる人たちと夜な夜なビールを飲んでは仮想世界を冒険する楽しさよ。正直言うと、今だってまたやりたくはあるんだ。

けれどもそれは読書すら離れるきっかけがあったように今、今度は少し(ゲームはやるだけやったかな)という気持ちが生まれている。それは至福であり充足感すらある。

ゲームに何時間、いや何百時間費やしたことか分からない。けれどその時間は決して否定するべきものではなく、みんなとわいわいとそれはそれは楽しかった、素敵な素敵な時間、思い出なのだ。

そして村上春樹全集が読書から離れるきっかけだったように、今は再び読書の幸せに後ろ髪を引かれ、僕はその方向にくるっと、自然に、振り返っただけの事なのだ。

今は森見登美彦さんにはまって日々空き時間があれば読みふけっている。堅苦しい文章から生み出される愉快な大正ロマンの世界にどっぷり嵌る幸せったらない。

ある小説にでてきた登場人物が、クロスオーバーというのか別の小説にもでてきたり、そういったのもとても楽しくて。今は「恋文の技術」っていう小説を読んでいるんだけれど、だんだんひどいことになってきた。にんまり気持ち悪い笑みを浮かべながら読んでるよ。

それで今ベクトルが完全に、読書に、ぶっといぶっといのが突き刺さってるからね。アウトプットであるnoteはしばらく気ままな投稿になるかもしれないけれど、本能なのかインプットとアウトプットのサイクルは定期的にくるからこっちもまた今度、読書狂から作文狂に代わって毎日投稿なんてこともやるかもしれない

けれど、それまでは本を読んで読んで読んで、みんなが楽しく笑ってくれるような文章術を身に着けるよ!

教科書が「恋文の技術」になってしまうと少し不安だけれど(笑)


最後に森見登美彦さんの小説「有頂天家族」から、素敵な名言を引用しよう!

面白きことは良きことなり!


またね!

【追記】
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