手段の目的化の先に幸せはない
少し前にはなりますが、一時期FIREというのが流行りました。
お金をある一定貯めてそれを資産運用し、そこから得たお金だけで生活することで働かなくても生きていけるという考え方で、それにより定年になる前に仕事を辞め自由快適な生活を送るというわけです。
ですがそんな理想とも言えるFIREをした人がしばらくしてまた働き始めたなんてことを聞くようになりました。
理由は「退屈」でした。
辞めてもやることがなく、それによりストレスが溜まる。
辞めてからのことを特に考えてなく、人との繋がりもなかった。
働くとは単にお金を得るためだけでなく、人との繋がりを感じ、その中で社会的な集団に居ることで安心に似たようなものも手に入れられる。
ここでFIREは理想論に過ぎない、働かないといけないで終わるのは早計で、タイトルにある言葉に戻ります。
手段の目的化の先に幸せはない
これは何もFIREに限った話ではなく、例えば受験などもそうです。
賢い学校に入れば良い人生が送れると言われるのは、いつしか賢い学校にさえ入れれば幸せになれるという意味に変わり、そこからは受け身でも勝手に幸せが舞い込んでくると思ってしまう。
またお金をたくさん得られれば幸せになれる、なんてのもそうで、お金はあくまで交換券に過ぎないのにも関わらず、いつしか幸せとも交換出来ると思い込んでしまう。
FIREした先、学校に入ってから、お金を得たら。
いつもその先を考え、本当の目的を自分で探さないといけない。
そしてほとんどの人は幸せになりたいからに行き着く。
そこから、じゃあお金を稼げばいいのかになるのは1つ間が抜けている。
お金を稼いで何に使えば、幸せになれるのか。
どうやって使えば幸せになれるのか。
ここを考えないと幸せにはなれない。
稼ぐ方法をどれだけ考えても、使い方を考えないとゴールには辿りつかない。
結婚して家を買って家族が居れば自分は幸せになれるはず、なんてのはきっと幻で、この人と一緒に居たいがまず先に来なければ、結婚という手段が目的化してしまえばFIREして再び働き始めた人の二の舞になるだけだ。
わかりやすい言葉が目的になっている場合は少し注意した方がいい。
FIRE、良い学校、良い会社、結婚、転職、お金。
あくまでそれらは手段でしかなく、鬼に金棒で言うと金棒でしかない。
金棒自身は何も出来ず、そこに鬼というそれだけで強い存在があるからこそ輝くものである。
その意識を常に持って生きていきたい。
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