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【退職録3社目(前編)】もう、会社を辞めるしかない。一人でカフェで泣きながら退職願のメールを書いていた。

3社目を目指した転職活動時期も、相変わらず私に「やりたいこと」はなかった。

学歴は良い、新卒で入った会社も良い(けど早々に辞めてる)、次はNPO(また辞めてる)と。表向きは「前回は社会貢献意識での転職、今回はキャリアアップでの転職です」と言っていたが、実態としては「前回はもっと認められたくての転職、今回はNPOでバリバリ働けなくなったからもうちょっと穏やかなとこにいきたくての転職」。

注:ちなみにNPOで働き続ける人は多いです。むしろ新卒からNPOでキャリアを積んでいるような人や、企業からNPOに行く人もいる。たぶん私の完璧主義で人に頼れない性格が業務を激務化させてしまったんだと思う。

やりたいことがない。職種経験はまあまあ広いけど目立つ実績はあんまりない。そんな私を雇い入れてくれる会社って?私がチャレンジできる職種って?

その答えは、「急成長中のITベンチャーの営業」でした。同じ会社で、転機が2回あったので、前編(異動した話)・後編(退職した話)に分けて書きます。

「私と仕事、どっちが大事なの?」

2社目の間接的(直接的?)退職原因となった、仕事とプライベートのバランスが取れない問題が入社後半年にして、本格的に再発。

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このころの勤務時間はだいたい夜8時~9時、遅くて10時半くらいだっただろうか。仕事は持ち帰って、私は朝派なので夜じゃなくて早朝にやっていた。それでもダメそうなときは深夜もやっていた。深夜にやる場合は彼女を起こさないように、トイレで作業していた。土日のどちらかは仕事していた。まあまあきつかったけど、前職ほどじゃないし。毎週ある程度休めてるし。1年目は誰だってそんなものだろう。この調子で頑張り、そのうちにもっと効率あげて、上司や周りの先輩みたいに、もっと営業ができるようになりたい。このネット業界に詳しくなりたい。いい企画提案できるようになりたい。提案先に役立ちたい。もっとこの会社で活躍したい。

私の仕事への向上心は高かった。


この写真はそんなある朝、いきつけのマクドナルドで仕事をしていたら日経ウーマンの記者に突撃取材を受けたときのもの。笑  

週4回、効率的に仕事を片付けるために8時に来て、マックグリドルをコーヒーで流し込みながら、営業資料作ってた日々の貴重な記録。吹き出しの「カフェで一息ついて、お仕事モードに切り替えています!」は隣の人のものであって、私はずっとお仕事モード。


そんな時期、彼女が、育った土地に私を連れていきたい・お世話になった人を紹介したい、ということで、土日で彼女の故郷への小旅行をしたことがあった。昼間、高速バスで移動したのだが、私は高速バスの移動中は来週に予定している自主提案用の提案資料を作っていた。 (土日に仕事しないと回らないようなやり方をしてしまっていたせいで、私としては、ここで作るしかなかった)

自主提案とは、営業先には求められていないがこちらから「例えば御社の商品だったらこんな企画が実施可能で、御社にとってこんなに良いことがありますよ」というアピールをするプッシュ型の営業活動。数字(売り上げ)にすぐ繋がる確率はかなり低いが、これを続けることで提案先との関係を構築できる重要な活動だった。

今でも自主提案は重要だとは思ってるけど、正直この旅行中にやるべきことじゃない。もしこのときの自分に会えたら、「この旅行にいくのなら、今資料が出来ていないその自主提案はあきらめなさい。というか提案をリスケしましょうね」と言いたい・・・。

旅行中も彼女は冗談っぽくパソコンを持ってきたことを怒っていたが、帰って色々話しているときに、爆発した。もう限界だということだった。初めての生まれ故郷、親には会わないけれど、親代わりの人に紹介するという大切なシーンなのに、パソコン片手に嫌々付き合っているという私の態度。もう限界だよ、ということだった。彼女の行ったことのあるカウンセリングオフィスに2人でいこう、と言われて、その場でカウンセリングを電話予約した。


あなたは営業に向いてないですよ、とにかく早く営業をやめてください。

カウンセラーいわく、私は営業に向いていないらしい。向いていないものを無理矢理やろうとして家庭を壊すくらいなら、その向いていないものはさっさと辞めてください、ということだった。私の努力の方向は完全に間違っている、ということだった。

50代くらいの、ひげを生やしている、哲学者のような見た目の一風変わった先生だった。普通カウンセラーってクライアントの話をひたすら聴くものだと思ってたけど、この人は聴くというより話す。ご自身の経験や私の今陥っている状況についてかなり話す。もちろん聴いてもくれたけど、押しが強め。そのアドバイス内容を実行するかどうかは私次第といえば私次第なのだが、なにしろ私がまったく思ってもいないことをアドバイスしてくるのでかなり戸惑った。(私がそれまでに受けたカウンセリングでは答えは自分のなかにあるよ、という具合で、カウンセラーが何か提案してくることはなかった。)

営業を辞めなさいと言われて、「いえ、まだ出来ます、まだやりたいです」というようなことを答えた。営業の経験は長くないけど、ひたすらがんばって、いろんな人と協力して、助けてもらって、会社でMVPも一度もらえたんです、むしろこれからなんです、もうちょっと頑張らせてください!というか私は営業くらいしかさせてもらえません!ていうか営業辞めるって言うのは会社を辞めるのと同義なんだよ、まだ辞めたくない!!! 

本当にそう思っていた。

先生によると、私と彼女は女性同士のカップルではあるけど私の脳内がかなり男性的で、今起きている問題は男女カップルで多発している問題と変わりないと言う。なるほど、そうなんだろうな、と思った。これが自分だけの問題じゃなくごく一般的な問題ですよ、と言われるとちょっと安心した。

それに加えて、私たちは2人とも過去に深い傷を持つ者同士だった。仲が良いときは超ラブラブなのに、バランスが崩れると地獄モードに突入する、そんなジェットコースター状態で、精神的な自立を果たしていない2人が、相手を杖にして立とうとし、共倒れになる、そんな関係。私は、尽くすことでしか人間関係を築けないような人間で、彼女も過去の傷が原因で”大事にされない”ということに過剰に拒絶反応を起こす。彼女は、いつも辛いと言っていた。たぶん私も、言わなかったけどかなり辛かった。

こう書くと、ちょっと特殊だろこれはさすがに・・・。と思う。でも先生の男性脳の言葉を聞いて、自分だけがこんなに不器用なわけじゃないんだと思い、ちょっと前を向けた。今思うと先生の話術は本当に巧みだった。なんだかんだと話しながら、私が陥っているこう着状態を打開する、貴重なきっかけをくれたのだった。


もう、会社を辞めるしかない。

カウンセリングルームを出て、私が彼女をとるのか、仕事をとるのかの一悶着(いや、大悶着)後、結局彼女をとることに決めた。営業を辞める=退職しかないと本気で思っていた私は、「大変申し訳ないのですがもう私は会社を辞めるしかないんです」という上司へのメールを打っていた。絶望感にまみれた混乱状態でキーボードを叩きながら、一人でカフェで泣いていた。

自分がまともに仕事を続けることもできないくらい力不足なことに対しての無力感で、体がだるく、重かった。せっかくこの会社にもなじんできた気もしていたのに、私はチームの上司や先輩メンバーをまるで姉や兄のように思い始めていたのに、みんなが大好きでもっと仲良くなりたかったのに、もう辞めなければならないことへの悲しさ、みじめさで泣いていた。やっぱり私はダメなんだという気持ちで、本当に悔しかった。

以前、上司からの「どうしたらもっと(営業として)話せるようになると思う?」という質問に対して「自信を持てたら」と答えた記憶がある。「どうやったら自信を持てるのか?」という問いには「自分の売っているサービスの知識をもっと仕入れること」と答えていたように思う。

その時点で、今の私からみると、この人は営業向きじゃないなって思える。 私が思うに、営業に向いている人とは、まず「業績を上げたい、目標を達成したい」と思っている。達成できると嬉しい、という性質がある。そして、営業ならば商品が何であろうと売る。知識があろうとなかろうと自信を持って話す。少なくとも自信を持って話そうとする。

実は、私にはそのどれもがなかった。私が持っていたのは、 「人に喜んでもらいたい、人の役に立ちたい」という気持ちと、「私の企画が通ったらいいな」という期待。1社目を辞めたときから、私は変わっていなかった。 これでは成果は上がらない。いくら知識を積んでもほぼ変わらないと思う。ロールプレイングで磨いても、そこそこの結果どまりになったと思う。先生の言う通り、このときの私は本当に営業に向いていなかったのだ。

そもそもの能力であまり向いていないのもあるだろうけど、さらに精神的自立ができていない依存的な状態だったので、なおさら、きつかったのだ。

異動させてもらい、心を癒していく働き方、生活ができた

結局、思いもかけないことだったが、「会社は辞めずに、続けてほしい」と上司が言ってくれて、営業部署の中で後方支援的なミッションを与えられ、働き続けることができた。勤務時間についてや業務量についての相談にも親身になって乗ってくれた上司の皆さんに、本当に深く深く感謝している。というのも、あのときもし本当に辞めていたら、私はまた転職活動をして、別の組織で永遠に失敗をくり返すことになっていただろう。私がひそかに恐れていたジョブホッパーになっていたのはほぼ間違いない。

その後は、後方支援として顧客との関係構築をCRMメール施策で行ったり、汎用的な資料を制作したり、その他様々な業務で営業部の一端を担った。この異動をさせてもらったことで、はじめて私は無理矢理ではなく自分の能力を生かして貢献することができたような気がしている。そもそも対人ではなく文章を書くとか、物事を可視化してまとめたり、ということの方が私は得意だったことを、久しぶりに思い出した。

結果的に、苦手な対人関係ストレスも軽減され、能力を生かして役立つ喜びも得られて、拘束時間が少なくなり、私の心に余裕が生まれた。プライベートも安定しだし、そのおかげで私の心は穏やかになっていった。この後は、この同じ問題(私が人に役立ちたい一心で無理をして、仕事でも、プライベートでもさらに傷が深まること)はくり返していない。


いい加減に変わりなよ!!と叫ぶ声に従ってみる

カウンセリングの後、実は私は彼女を捨てて仕事に走るという選択肢を一度取ろうとしたのだ。そのくらい混乱していた。営業をやめろというのが自分の人格を丸ごと否定されたみたいで、もう何がなんだか分からなくなっていた。その選択を放棄したのは、彼女への愛というよりも、もはや直感のようなものだった。

「今まで通りに生きるのか?」「自分を変えることに挑戦するのか?」「そんなの意味あるのか?」嵐のように感情が吹き荒れるなか、いろんな声が聞こえた。結局「いい加減に変わりなよ!!」という声を採択し、目をつぶって、なかば強制的に行きたくないと思っていた方向へ向かうことにした。今まで北へむかっていたのを、南へ向かうように方向転換した。南に何があるのか分からない。怖い、損したくない。嫌だ。やめてくれ。と嫌がっている自分もいるけど、でも今までも辛かったんだから、もうどうとでもなれ。この際、どうにでもなってやる。決断したときは、そんな気持ちだった。

あのときの決断は大正解だった。ものすごいネガティブな気持ちにまみれたきっかけだったけど、私の人生はここから好転しだしたように思う。この経験から、自分の限界を超えるというのは、思いもよらないことだったりするんだなと思うようになった。自分だったら絶対に行かない(行きたくない)場所、やらないこと(やりたくないこと)の中にこそその宝物のようなきっかけがあるように思っている。辛い現実にぶちあたったとき、それはもういい加減(その自分のスタイルを)変えなさいよ、という貴重なメッセージなのかもしれない。

あのカウンセラーと上司に救われて、今の私があると言っても過言じゃない。本当にありがとうございます。


***過去ブログからの転載(加筆修正あり)おわり***


続き(3社目後半)はこちらから

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