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『ひとはなぜ戦争をするのか』

モラトリアムと自戒を込めての断章・1


1,現在地点はどこだ とにかく殺すな

 現在起こっている、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによりパレスチナで繰り広げられているジェノサイド。
 日本では、『窓際のトットちゃん』や『ゲゲゲの謎』など反戦メッセージを発する作品が上映されている。

ひとはなぜ戦争をするのか
講談社学術文庫
A・アインシュタイン
S・フロイト(2016)


2、当初本気にしなかったロシアのウクライナ侵攻

 2022年2月24日にロシアはウクライナに侵攻し未だに収束の目処がついていない。ニュースで報道はあったが、なぜロシアに対する抑止力が働かなかったのだろうか。正常性バイアスだろうか。 何のための国連なのかわからない。次はどこが抑止できないままぬるっと戦争を始めるのだろう、という恐怖を覚える。今、日本はアメリカによる軍事的占領を沖縄に押し付け、憲法では「戦争放棄」を掲げているものの、安倍元首相の時に九条を改正するか否か、という議題が挙がっていた。 筆者は日本は唯一の被爆国であると同時に八紘一宇のスローガンの元、甚大な加害をした歴史を踏まえると戦争に対しては断固反対するべきであると考える。加害側も被害側もどちらも犠牲になるのは一番弱い者だ。 加えて、日本は原子力発電所の事故による被害もまだ残り続けているのだ。未解決の問題だらけである。


3,中村哲医師の記事

 たくさん悲しいニュースがあり、未だ止むことのない戦争が2024年元日も続いている。
 アフガニスタンの医療や用水路を作るなどたくさんの人々の命を救われた中村哲医師の記事を目にした。筆者も自分の利己的さを突きつけられるようだ。「やさしさ」という言葉が冷たい事実を見えなくしている。歯痒さばかりである。
 机上の空論にとどまらず、実際に尽力した中村哲医師のような活動はとても真似できることではないが、何か一つでも自分にできることがあればと思う。それは身近な他者に対して始められることだ。
 ともかく、筆者はモラトリアムな二十歳であり自立が先決である、とはいえ、本気で全人類が自然と共生して生きていける未来を想像しようと思っているのである。


4,中島らも「いいんだぜ」 言論の自由を行使する

こちらの「いいんだぜ」が象徴的と思い、リンクを添える。『脱 不自由のススメ』の32分52秒辺りの「自由とは」の問いに対する答えをいつも心の片隅に留めたい。

”何ものにもコントロールされず、自分が考え、したいことをし、意思表示できる。(戦争は人類が存在する限り無くならないだろうが)祈りに近いような希望を持って生きなきゃだめなんですね。”

中島らも 爆笑問題のススメ youtube動画まとめより

 筆者は中島らもの作品が好きでよく鑑賞しているのだが、日本語の規制による冷たさ、欺瞞的な倫理観の隠蔽は確かに存在すると思う。中島らもの著作で知ったのだが『乞食』や『浮浪者』は日本のような社会保障国において存在しないため、使用禁止であるというのだ。差別は絶対にしてはならないが、未だにアイヌ、部落、在日、など言葉を使わずに見えにくくしたために解決済みの雰囲気を醸している問題が多々ある。生活保護もさまざまな条件付きである。
 また、飛躍するようではあるが、同じ構造を持っていると思うので言及するが、緊迫した地球温暖化の現在でもSDGsを免罪符に企業は生産を辞めない。グリーンウォッシュにキャッチコピーを使い、消費者も知らず知らず加担してしまう共犯関係に晒されている。自らの頭で考え、生活を改める。基本的なことだが難しい。
 先進国が発展途上国に押しつける構造はいつの日か覆されてしまうかもしれないのだ。

 ギフトエコノミーや人新世の資本論などが話題になった。徐々に価値観、文化は変わっていく兆しはあるが、目標の2030年までに到達できるのだろうか。行動するしかない。どうやって。筆者は現在、地方在住であるため都市部で行われる大規模なデモには参加できないのだが、ネット上の署名活動などを友人に教えてもらったりしながら行ったりしている。微々たる存在でも集まれば大きくなる。他の活動をされている方々を見てそう思った。ニュースはあくまでニュースというメディアであって、一次情報ではないのだということを現場で痛感した。
 民主主義といえども選挙とネット上くらいでしか筆者は発言場所を持っていない。おそらくこのような受け身な国民が国を滅ぼすのだろうと自覚している。団結し、行動すること。後述しようと思う。

人新世の「資本論」
斉藤幸平


5,アインシュタインとフロイトの書簡

 講談社学術文庫によるこの本は2000年に花風社より刊行された『ヒトはなぜ戦争をするのか?』を原書とするとのこと。しかしながら、国際連盟の呼びかけによりアインシュタインとフロイトが書簡を交わしたのは第二次世界大戦のナチズムが横行していた真っ只中であり、激動の歴史の中で忘れられていったものだという。アインシュタインもフロイトもユダヤ系であったため亡命を余儀なくされた。
 また、皮肉なことに、このような平和主義者であるにもかかわらず、アインシュタインの発見が軍事利用され原子爆弾が作られたのであるが。


6、アインシュタインの問い 

『人間を戦争というくびきから解き放つことは出来るのか?』(p.10)
これがアインシュタインがフロイトに提示した問いだ。
 アインシュタインは人間の平和に抗う悪しき力を『権力欲』と『破壊衝動』を挙げている。そして、彼は金銭的な利益や名声を追求し、活動しようという権力者はごく少数であり、一般の国民を苦しませたり、洗脳や自己犠牲を強いる態度を批判している。
 よって、独裁的な権力を少数者が握らないために、国の権力を国際的な機関に全て預け、法によって統治すべきである(国際連盟のような)と考えるが、法自体が人為的なものであるのでその妥当性をどう審議すべきか、と問う。
 また、『教養のない人』よりも『知識人である人たちの方が自分の目と耳で捉えないため暗示にかかりやすい』と興味深い指摘をしている。反知性主義的な態度を擁護しない。筆者はむしろ、自らの知識を深めることで自己と他者に懐疑的な態度で検証可能性を上げることができると考えている。しかし、アインシュタインの指摘することはオウム真理教による地下鉄サリン事件などで証明済みであると思う。カルト的な組織の問題である。が、未だこれは詳しく調べていないのでこの断章ではこれ以上立ち入らない。


7、フロイトの解答 文化の発展が鍵

 フロイトは、実務的な問題であるため政治家に任せるべきであると考えたが心理学的なアプローチによりアインシュタインの問いに答えようとする。
 フロイトは権力を『暴力』と言い換え、論を進める。生物は弱肉強食で腕力(暴力)そのものが強さの証明であるが、武器の出現により知力がものを言うようになったと指摘する。そして、化学が発展し、人の手に負えない威力を持つ武器を作ることができるようになった状況においては、戦争は英雄を産むことはなく虐殺にしかなり得ないとも指摘している。 
 権利(法)からはすぐに暴力が、暴力からはすぐに権利(法)が出てくるというほど、権利(法)と暴力は密接であり、それは生と死への欲動理論で説明できるという仮説を提示する。
 つまり、暴力による支配が法による支配へと変化するときに大衆の団結により権力を打ち砕く、が反乱や内乱により暴力に逆戻りする歴史があるということだ。
 また、人間の攻撃性や戦争が理想や理念を掲げることで平和を導いた(パクスロマーナなど)もあるが、それは一時的なものに過ぎず、ナショナリズムなどの称揚はかえって国々を敵対させる。
 『人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない』が人間には基本的に戦争を受け入れない性質があるという。それが『人間同士の絆』であり、『汝、隣人を汝自身の如く愛せよ』というキリストの言葉を援用している。
 教育的な側面から考えると、人間は指導者と従属者に別れるものであるがより良い指導者を作る指導が必要であり、『政治家が力ずくで支配することなく、国民が自分の頭で考えることを禁止しないことを前提とし、自分の力で考え、威嚇にも怯まず、真実を求めて格闘する人間、自立できない人間を導く人間を教育するために多大な努力を払うべき』としている。
 また、『私たち(平和主義者)はなぜ戦争に強い憤りを覚えるのか?あなたも、私も、そして多くの人間が人生の数多くの苦難を甘んじて受け入れているのに。戦争だけは受け入れようとしないのはなぜなのか?』と問い直しこう記している。

1、どのような人間でも自分の生命を守る権利を持っているから。
2、戦争は一人の人間の希望に満ちた人生を打ち砕くから。
3、戦争は人間の尊厳を失わせるから。
4、戦争は望んでもいない人の手を血で汚すから。
5、戦争は人間が苦労して築き上げた貴重なもの、貴重な成果を台無しにす    
  るから。

(p.50)


 フロイトは『文化が変われば法のあり方が変わる』『文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!』と書簡を締めくくっている。

※筆者は特にまだ専門分野があるわけではなく、フロイトによる精神分析やラカン、脳科学といった分野に疎いので、これから他にも読み進めたいと思う。
 

8、作品に生き続ける心 抑止力としての芸術文化

筆者は忌野清志郎によく似た人物率いるTHE TIMERSの”LONG TIME AGO”や高田渡の『自衛隊に入ろう』を思い出した。もちろん作品は受取手がいて漸く成立するものであるが、このような反戦歌を残してくれた人がいる。それだけで、独占的な権力に抵抗する勇気が湧いてくる。

9、次の書へ

※筆者は自分の頭で考えることができたものは大抵誰かがすでに上手い言い回しで、より本質的に表現している、という経験を何度もしてきたので本を読むようにしているが、これは市川沙央の『ハンチバック』で語られているようにかなり有難いことであり、読書行為そのものが内包する閉鎖性や暴力性を意識した上でメモを晒そうと思う。この文が単なる保身に留まらないようにする方法は未だわかっていないが、筆者も長らくの精神的不調により本を読めない期間も多くあるので読める時に読んでおきたいという気持ちがある。

『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガゼット
『日本という方法 おもかげの国・うつろいの国』松岡正剛
『知識人とは何か』エドワード・W・サイード
『全体性と無限』レヴィナス
『数学する人生』岡潔
『月と蟹』道尾秀介


書いている時に津波警報、、、


どうか、被災地の人々が迅速に普段の生活が送れますように、、
2024年が穏やかでありますように。
そして、全ての争いが一刻も早く終息しますように。

2024/01/01






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