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第一章 誰も気がつかなかったこと_007


あご『脳と腸と心』

これまでの人生の中で、ちょっとした食中毒を起こした
体験をお持ちの方もいるかも知れません。

例えば生牡蠣によるそれは、
最近でも未だ解決のできないポピュラーな現象といえましょう。

五感を使って「脳はこれを食べても大丈夫だ」と判断したにも関わらず、(同じ物を食べた他の友人に問題は起きなくても)
自分だけが食中毒を生じることはあります。

その後、食中毒を起こした人たちは、
さまざまな感想や意見をコメントに作り出していきます。

 再び目の前に生牡蠣が出た時に、
・「2度とこれは食べません。別に食べなくても人生に困ることはないからです」
・「熱を通した牡蠣なら食べてみたいと思います」
・「あの時は体調が悪かっただけなので、今回は再度挑戦をしてみたいと思います」

などと、幾つかのプランを選択肢として作りあげていきます。
しかしながら、一回も生牡蠣でこの現象に遭遇したことのない人は、
単純明快です。
「美味しい季節になったら、また食べることを楽しみにしています」と
コメントするのみです。

失敗は成功のもとと申します。
人間は自分の体を使った実体験から、創意工夫(トライアンドエラー)を
することによって、新たなる思考を生み出す動物なのです。

このことをネズミという同じ雑食動物に登場してもらうことによって、人間の体のプラットホームである「食べて考える仕組み」について、
もう少し詳しく話を進めてみたいと思います。


ネズミは感染症の媒体者として、人間にとって嫌われている存在です。
しかし、殺鼠剤の開発は困難を極めると言われています。

なぜか?

ネズミは新しい食べ物を少しだけ食べてみて、
30分後のお腹の調子を測る動物です。
そしてお腹の具合が悪くなれば、2度と食べないと判断を下すのです。*1

このことより、健康に良い食べ物か?そうでないのか?を決めるのは、脳ではなく腸であることに、お気づき頂けると思います。

腸での判断にパスしなかった不健康情報は、直ちに脳に上げられ、
自給自足の脳に備わっている学習と記憶の装置に
「この情報は2度と食べてはいけない」とインプットすると同時に、
その時に腸に発した情動の情報をもアップグレードさせる仕組みを持っているのです。

さて、五感の中で最も古くから、私たちの体とお付き合いをしている臭覚について、少しご紹介したいと思います。

臭覚神経が他の脳神経と決定的に違うところは、脳と直結している(大脳辺縁系を通らない)ことです。

こんな体験をされた方もいるかも知れません。

かつて嗅いだことのある匂いに再会したとき、
瞬時にそれを嗅いだ過去の情報や、その時の情景までをも、
はっきりと脳に蘇(よみがえ)させる現象を体感されたことがあるかもしれません。(これをプルースト効果と言います)*2。
しかも他の感覚と比べて、臭覚は「好きか、嫌いか」という情動さえも発する機能を持っているのです。

もしかするとこの現象は、五感情報と脳の学習と記憶の仕組みの、
原型となっているのかもしれません。
 
さて同じ雑食動物ながら、ネズミと人間は相当な違いを示していることを、お伝えしておきたいと思います。

それは人間が食べることのできなかった自然界のものまでをも、
食べる動物として進化しているということです。*3

どういうことか?

自然に生息する動植物を「料理する」動物となっているのです。
料理とは、食べることのできない物を食べられるようにする行為のことを申します。(ご存じでしたか?)
人間という動物は、食べることに飽くなきトライアンドエラーを追求する、言葉を変えれば、創意工夫(トライアンドエラー)を命がけで邁進する動物なのです。(このためにどれほどの人が犠牲になったのかは、想像すらできませんが)

*1 R. Paul, et al. The Borders of the Self: Contamination Sensitivity and Potency of the Mouth, Other Apertures and Body Parts. Journal of Research in Personality. Vol.29,1995, pp.318-40.
*2S. Chu. & J. J. Downes. Long live Proust: The odour-cued autobiographical memory bump. Cognition. (2000)75(2), B41-B50.
*3 M.Pollan. Omnivore’s Dilemma. New York.The Penguin Press. (2006)

つづく

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