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娘が教えてくれた、建築家の新しい在り方

基礎なんか全くない

先日ある人と食事をしているときに話題になったこと。

中学3年生のご子息が学校の文化祭のクラスの合唱で大地讃頌のピアノ伴奏の大役をこなしたのだけど、ご子息はピアノの先生にレッスンを受けるでもなく、自分でピアノを弾きたいと言い出したので電子ピアノを買い与えたところYouTubeの動画を見ながら自分で練習し、ピアノを弾けるようになったらしい。

文化祭でクラスの合唱をするときに自ら名乗り出て伴奏を弾きたいと言ったのだとか。親としてはびっくりして「どうしてそんなこと!?」と言ったらしい、ご子息の反応は「だってやりたかったんだもん」だったという。

「あのね、基礎なんか全くないけど、インターネットとツールを使って、やりたければ子供達は自分で勝手に学ぶんだよ。ゲームだよ。太鼓の達人のノリ。子供が興味を持つように環境を整えることと、興味を持ったらその一瞬を逃さずやらせてみること。」と言われてハッとした。

まさに少し前、僕の娘の中学校1年生の今さんは「ピアノが欲しい」と言い出していた。「ピアノ習いたいの?」と聞いたら「いや、習わない」と言っていたので「え?どういうことよ。」僕はピアノは先生に基礎から習わないと弾けるようにならないと思っていた。だけど当たり前だけど僕たちが子供の頃とはツールも環境も全く違う。頭ではわかっていたけど全然体で理解していなかった。

彼女は、iPadのゲームである「プロセカ」にめっちゃハマってて確かに超うまかった。あのノリでタブレット画面に上から落ちてくるキーに合わせてピアノ弾くのだろうなと思い、即日Amazonで一番安かったエレキピアノを買ってあげたら、案の定、動画に合わせてRADWIMPSのスパークルを弾いていた。

今、人気の若いプロのミュージシャンたちもそうやって音楽に触れて自分の仕事にした人たちもいるだろう。確かに。

これで弾けるようになったら笑っちゃうな、と思って静観してる。今後が楽しみ。だけどきっとピアニストからはそんなのはピアノじゃない。って言われる。きっと、指づかいがダメとか。多分言われる。(笑)

高校生に向けて建築家の話をした

さて、先週末、徳島建築士会にお呼ばれして、建築甲子園なるイベントに参加してきた。建築を学ぶ高校生たちが決められたテーマにそって建築提案を行い、各都道府県の代表を選び、代表が全国大会に進むという。

僕は徳島県の高校生たちの審査会の後のレクチャーを仰せつかっていて高校生60人くらいに約1時間半の講演をしてきた。高校生向けのレクチャーなのでいつもの仕事の話を高校生向けにチューニングして、中学生や高校生のときのことや、建築家を夢見て大学に進学したことや、みかんぐみでの華やかなプロジェクトに巡り合った修行の日々とかのことも入れつつリノベーションを仕事にするまでのことをかなりデータなども交えてわかりやすく構成した。タイトルは「建築家の新しい在り方」である。なんとも。

大学の建築学科で受ける最初の洗礼

大学の建築学科に入学したときのことを面白おかしく二つのエピソードで紹介した。一つ目は、入学式の翌日のこと、新1年生が集まるガイダンスの教室で、ある教授が「この中で建築家になれるのは1人いるかいないかだ」っていう話。

建築家になることを夢見て期待に胸膨らませてやってきた若者に対してである。

これはなんのマウントか分からないのだけど、とにかく僕の調査によると同年代かそれ以上の年齢の建築学科入学者のほとんどが言われいる。

この発言の本質は松村淳先生の「建築家として生きる」の中で建築家育成のための裏プログラムとして明らかにされているので興味ある方は読まれたい。かなり面白い。

そしてもう一つが「ウィトルウィウスの建築十書」である。建築を学んだ人なら絶対に一度は聞いたことがあるだろう。ローマの建築家の本。その中に書かれている

「建築家は、文章の学、描画、幾何学、歴史、哲学、音楽、医術、法律、天文学の知識を身につけるべきだ」

の一節。絶対言われる。広く教養を身につけろ哲学を読め。みたいに。

建築十書 16世紀の写本 Wikipediaより

そんなことを交えつつ(聞いていた同年代のおっさん建築家たちは爆笑していたが)講演も終わり、なんと1時間半のレクチャーの最中ほとんどの生徒さんは寝てなかった。頑張った、俺!と思いながら会場を後にして建築士会の若手の方たちとの懇親会の席へ。

そこで家族の話とか子育ての話になり、くだんの今さんのピアノの話をしていた時に脳天に雷が落ちてきた。

そうだ、建築もYouTubeとかソーシャルメディアとかインターネットで素養を身につけた人たちが社会の前面に出てきて活躍する日が来るだろうな。ということ。

いまだに顔も見たことがない2000年前のローマのおっさん建築家の言ってた「哲学を、幾何学を・・・」ということが基本方針みたいな形で知らされるというこの古い学問。古いことが悪いこととは思わないけど、なかなかに変わっていかないのもわかる気がする。

そして、そういう価値観とはまるっきり無縁な基礎も哲学も関係ない新しいタイプの人たちが建築の設計とかデザインとか、はたまた全く違う形の、今まで見たことのないような在り方で建築を作る日が来るだろうな、という未来が鮮明に想像できたのである。

その時に僕たちが絶対にやっちゃいけないのは「そんなのは建築じゃない」とか「そんなのは建築家じゃない」みたいな反応。

その反応こそがおっさんの反応なのだよな、と肝に銘じた週末だった。



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