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人生哲学を聴く:”鋼の騎士Q”

The ALFEE の72枚目のシングル”鋼の騎士Q"は、そのタイトルとは裏腹なケルティック音楽か、南米のフォークローレの様な何ともノスタルジックなイントロで始まる。なんとなく聴き手が過去を回想したり心にあるモヤモヤを浄化したいと思わせるような懐かしいメロディーだ。

全編の歌詞は迷いのない”あなたへの”応援歌である。あなたが15歳でも65歳でも、角度は違えども心にグッと突き刺さり元気をくれる歌詞なのではないだろうか。同じようなメッセージが含まれている楽曲は数あるが、この楽曲は真っ直ぐな”ガンバレーガンバレー”の応援歌ではなく、一つの確立した人生哲学に見える。

高見沢さんの歌詞を何度も読み返しながら心に浮かんだのは一人の哲学者だ。

Friedrich Nietzsche フレデリック・ニーチェ

高見沢さんの人生哲学がぎゅっと詰まったこの歌詞と実存主義の先駆者として知られるドイツ人哲学者ニーチェの言葉を照らし合わせて共通点を見つけてみよう。

歌の出だしからもう哲学

千年経っても変わらないこと 人が明日を迷い悩んだり
そして選んだ道を悔むこと いくつも夢あきらめながら

”鋼の騎士Q” 作詞:高見沢俊彦 以下の引用も同

人間は同じような嘆きや苦しみを千年(永久という意味だろう)も繰り返しているのはニーチェが書いた”永劫回帰”の思想に似ている。
この世界には始まりも、終わりや次のレベルなどなく同じことが永遠に繰り返されるという考えは、キリスト教の”死の次レベルの素晴らしい世界”に焦点を置く”今が苦しくても天国があるから”というキリスト教徒の常識を根底から崩した。
ニーチェが傾倒したインド哲学ともそれまでの主流だったアリストテレスやソクラテスなどの西洋哲学、そしてヨーロッパの”道徳”を司ったカトリックの教えとも違う。”永劫回帰”自体はニーチェが生み出したものではないが、1800年代後半から1900年代前半の社会の現代化の真っ只中で、ニーチェは自分なりの新しい視点を数々生み出した。

高見沢さんは高校時代に実存主義について色んな本を読まれたらしい。
その中には絶対にニーチェがあったはず。そして彼の哲学はそれからの高見沢さんの視点や感性に少なからずとも影響したと思う、そんな出だしだ。

運命を愛せよ・世界にあるのは”解釈”だけ

ニーチェは ”My formula for greatness in a human being is ’amor fati’(人間の素晴らしさとは’運命を愛す’ことが鍵となっている)”と著書で語る。
人生には良いことも悪いことも存在し、その運命を受け入れ愛することが必要だとの考えだ。
”鋼の騎士Q"にもそんな考えが所々見え隠れしている。

だけど春の風に背中押され 新たな気持ちで歩き出せば
勝ち負けが人生じゃないんだと 日差しの中で気がつくよ
比べるなんて無意味なこと それぞれの道信じて

(二番)
努力したって叶わない夢 人を羨んでも無駄なだけさ
なりたい自分になるためには  気負わず らしくあればいい
(三番)
千年経っても変わらないこと 明日へ続く道は一つじゃない

”春の風”が新しい時期や出会い、環境や始まり、などの比喩とすれば”日差し”は前向きな気持ちが湧き上がる様や目の前が明るく照らされるような希望、そんな明るさに信じるものが露わになり、誰に決められたものでもない自分なりの価値というものを見出す。

勝ち負けがあるのが人生だけれど、それだけではないし、勝ち負けという事実すらないのかもしれない。勝ち負けは誰かが決めた価値観だろう。

そんなことを思わせるニーチェの言葉。
"it is precisely facts that do not exist, only interpretations.(事実というものは存在しない、解釈しかない)”

ニーチェによる他人と比べるのは無駄なこと、他人を羨まずに自然な自分でいればよい、と思わせてくれる言葉。
"You have your way. I have my way. As for the right way, the correct way, and the only way, it does not exist.(君には君の、私には私の道・やり方がある。正しい道・唯一の道など存在しない)”
なりたい自分になるためには自分らしさを常に肯定しなければならない。

負けてもいい やり直せばいい 無理に頑張らないで
風向きは突然に変わる 焦らずに自分のペースで 自由に未来 目指せ!

“All truly great thoughts are conceived while walking.(全ての素晴らしい考えは歩いている間に生まれるもの)”というニーチェの言葉は高見沢さんが”自分のペースで自由に未来目指せ”と歌うのに似ている。

ニーチェの”歩き”とは実際に足で歩くのも含め、ゆっくりでも前に進み続けるという姿勢なのだろう。
未来を目指して現在を歩いている人に色んな素晴らしい視点や思考が生まれるのならば、いい風が吹いてきた時にその風に乗る強さ、賢さ、技術も備わる。

彼が残した “The future influences the present just as much as the past.(未来は過去と同じくらい、現在に影響を与える)" の通り、高見沢さんがこれを聴いているあなたに”未来目指せ”と歌うのはその姿勢が今の自分の歩みを重く意味のあるものに変えるからだろう。(これまでにも歩み・道がテーマの楽曲をたくさん書かれていますね)

全てを肯定する超人

見つけよう何気ない倖せ ありふれた日々の中で

普通だと思う日常も、その中にある出来事も全ては”運命”であり意味も意義もある。ニーチェによると善も悪も苦しみも快楽も存在するもの全てに意味がある。

"Happiness is the feeling that power increases(幸せとは力が漲ってゆくという感覚)"と言うニーチェの言葉を思えば、何気ない倖せを見つけようという高見沢さんのこの呼びかけがどうしてなのかわかる。

いつかは終わるこの人生 悔いなく歩いてゆくさ
生きていれば何とかなるのさ 無理に頑張らないで

千年経っても変わらないこと 明日へ続く道は一つじゃない
その胸に剣と盾を掲げ 目の前の壁を越えて行け
鋼の騎士のように

永劫回帰の同じ世界が延々と続き、終わりのない世界に意味も意義も見出せなくなる虚無のことをニーチェは”ニヒリズム”と呼び、今現在を全力で生きる・この瞬間の全てを肯定することがそこに存在する自分を見出し虚無感に打ち勝つことになるという。
彼はそれができる人間をÜbermensch(超人)と呼んだ。
それは直面する全てに(誰かが決めたものではなく)自分の価値観でYESと答え、受け入れ、現実を肯定出来る人、つまり”本当の自分”になるために今を生きる人。
悔いなく、何とかなるさ、と受け入れる人だ。

鋼の騎士はそんな超人なのではないだろうか。
強い信念で今を生きることを肯定し、社会に造られた見栄や欲望や失敗や苦悩などを受け入れ、戦い、生きる価値を探し続ける騎士。

歌詞の中で繰り返される風向きのフレーズを比べてみよう。
1. 風向きは突然に変わる →先の読めないのが人生であり運命、チャンスを見逃すな
2. 風向きは立ち位置で変わる→人生には変化と進歩が必要で、視点は一点であってはいけない、”幸せ・不幸せなんていつも心の持ちようさ”(ロンサムシティの歌詞ですね)
3. 風向きは追い風に変わる→未来を信じる、自分では変えられないが、人生はプラマイゼロ、これまでに自分に向かっていた強風はいつか自分の背中を押す追い風になる。
どれもにニーチェはうんうんと頷きそうなフレーズだ。

哲学書を読み解くのは難しい。
わからない言葉がたくさんあるし、一体何が言いたいのだろうと考えてもわからないことも載っている。
だけど私たちは知らないうちに高見沢さんの歌詞から色んな哲学を学んでいる。
簡単で誰もが理解できるフレーズで、時には真っ直ぐで時には詩的表現で、美しいメロディーと声に乗っている哲学を学んでいる。
諦めるな、乗り越えろ、今を生きよ、前に進め、視点を変えろ、時々は休め
そんなメッセージは私たちの”現在”に大きく影響している。

数々あるニーチェの名言の中でも私が特に気に入っているのがこれ。
高見沢さんも同意するんじゃないかな。

"Without music, life would be a mistake(音楽なしでは、人生は間違いになる)”

音楽は自己の奥深くを見出し表現する素晴らしい存在だと語ったニーチェ。
彼自身も、世間から認められなかったものの、素晴らしい作曲家だった。
”鋼の騎士Q”を聴いたら、どんな感想をくれるだろうか。

QはQueenやQuest(探求)のQ、と高見沢さんは言っていたが、ニーチェの哲学として読むならば Quiddity 実質・本質、Quandary 苦境、Quirky 奇抜な・ 予想不可、のQ でもあるかもしれない。

シマフィー

聴けば聴くほどいい歌だ!鋼の騎士Qを聴きながら人生について考えてみよう↓

参考文献


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