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君の歩む道を信じて、 "The Way"

"The Way" はThe ALFEEの1999年発売のアルバム "Orb" に収録されている桜井さんボーカルの名曲。先日行われた夏のイベント初日の大トリでもあった(参加出来た人羨ましい!)。

このアルバムが発売されたのは私がアルフィーから離れていた長い冬眠期真っ最中だったので、初めて聴いたのは出戻った2020年。
1999年の20代後半の自分と現在の自分を比べて考えると、この曲を聴いたのがこの歳で良かったな、と思う。どの音楽でもそうだが時間と経験と視点が増えると歌詞の世界が大きく深くなるから心の中での響きが変わる。
今、10代、20代のアルフィーファンにはまた違う響き方でこの曲が心に迫っているのだろう。

この曲が発表された時、高見沢さんは45歳。アルフィーは25周年。
それを踏まえて歌詞の考察をする。
*高見沢さんは歌詞は聴き手の受けるままに、といつも言っています。なので私の歌詞の記事は”解釈・説明”ではなくあくまでも考察として読んでくださいね。

歌詞はこちら(Victory Garden様、ありがとうございます)

先日の夏イベの最後、高見沢さんの言葉

”考えてみると、ここまで失ったものそれは若さ。その代わりに積み重ねてきた時間、経験値があります。諦めずこの道を歩いてきて皆に出逢えて本当に良かったです。これからの僕たちにどのくらいの時間があるかわからないけど、できる限り3人でステージに立ち続けるつもりです。もうしばらく僕らにお付き合いください。もちろんまだまだ先は長い未だゴールは見えずです。古希を恐れずまっしぐら!”

Musicmanの記事から抜粋

高見沢さんは常に前を見て歳を取ることを恐れずに未来を楽しんでいる、と思ったときに、ふと私の脳裏に浮かんだのがこの人↓

誰や? (Encyclopedia Britannicaより)

人生の流れを太陽の動きに喩えた心理学者

カール・ユング (Carl Jung)、20世紀初頭に夢の分析や思考の種類、意識・無意識や、内向的・外向的のタイプ分けなどで知られる分析心理学者だ。
アドラー、フロイトと並び後世の精神病研究や心理学の発達に大きく影響を与えた。(ちなみにユングはニーチェの考えに影響を受けている部分も多々ある)

ニーチェと高見沢さんのシンクロニシティを書いた記事はこちら↓


ユングは自己というものは自分で認識している”意識”と、環境や経験に作られており自分の一部であるけれども”意識”として認識出来ない”無意識”から出来ており、両方が良いバランスであることが健康な精神を保つ、と考えていた。彼は誕生から死までの人生を頭上に弧を描くように動く太陽に例え、夜明け前の暗い空から午前中の早いうちを成長の時代、それから正午までを青年・成人期、そして”午後”は中年から徐々に老年期へ移り、そして日が沈むのを死、とした。

そして”午後”は最後へ向かう悲しい時期ではなく、それまでの意識・視点・考え方や信念を進化させ、本当に自分らしく人間らしく生きてゆく実りある時間だと考えた。人生の終着点へとぼとぼと歩くような暗いイメージだった老いをポジティブに捉えた心理学者だ。

夜明けからだんだん明るくなりゆく子供〜青年の時代

鳶色の雲はやがて茜色に空を彩り 時を運び季節の衣を変える
そしてそっと足元に咲く 名もなき花に心動かされ 生きる意味に気がついてゆく

The Way, 作詞:高見沢俊彦。以下の引用も同

まだ自我が芽生えていない子供期はユングのいう”普遍的な無意識”、つまり人間の誰もが持つ ”見えないけれど精神の根底にある意識(人間としての本能のようなもの)” によって行動し、段々太陽が昇り空が明るくなり(成長)につれ、自分の周りや社会、ルールや役割などが見えてきて、自分という存在を意識し始めると考えた。
(ユングは2種類の無意識を定義している。普遍の無意識は全ての人に隠れている、個人の無意識は生い立ちや環境で作られ本人が気づいていないけれど自分・自我を形成している無意識)

高見沢さんは陽が登る前の暗闇を漆黒や群青ではなく”鳶色”と表現している。
それはトンビのように深く多彩な黒や茶が折り重なる色だが、私はそれがとても高見沢さんらしい〜と感動した。
鳶色は背景に赤っぽい色がないと成り立たない。高見沢さんには必ず太陽の光が見えている、暗闇にもある、というのがわかる言葉を選んでいる。

そして 名もなき花に心動かされる のは誰もが生まれ持つ普遍の無意識の根底には小さくとも美しいものを愛でる感受性があり、そこから意識的に 生きる意味に気がつく のはユングが感じた通りの成長を描いたよう。

ワンフレーズ中の短い歌詞にも高見沢さんらしい大きな時間と世界が広がっている。

人生の折り返し(正午)までは葛藤の時

そして子供の時代を過ぎると、正午までは少年から大人(ユングは40代前半くらいを人生のピークとしている)への試練に揉まれる時、自我を見出しながらも世間・社会の常識や期待、これまでに見ていた夢と現実世界との隔たりからの葛藤と苦悩。

昨日までの悔しさ 今日の憂鬱 明日への戸惑い
悩み立ち止まりそして振り返り もう一度前を見つめて

青年期は葛藤との戦い

ティーンから20代、30代は”本当の自分”を探しながらも競争や社会生活に揉まれ、悩み立ち止まり あぁ子供の頃は若い時はよかった と振り返り、それでも明日に備えてやる気を振り絞る毎日を送る。
自分をわかってくれる人はいないのではないか、自分という存在は意味がないものではないか、このままの人生でいいのだろうか・・・経験を積むほどにそんな孤独な葛藤を誰しも経験する。
こんな苦しみはいつか終わるのだろうか、大人になれば終わるのだろうか、と誰もが悩むところに桜井さんが いつかめぐり逢える、と優しく諭してくれる。

いつかめぐり逢えるだろう 孤独な夜に 耐えて
微かな明日への期待を胸に 君は愛を探してる

私たち人間は皆、現実の意識の中では苦しくとも ”普遍的無意識” の部分では希望を持つように出来ているのかもしれない。
皆が見つけようとしている愛は誰かかもしれないし、心落ち着く風景かもしれないし、感銘を受ける音楽や文学かもしれない。(私たちにとってはアルフィーさんたちでした)

ユングは過度の期待や劣等感、ネガティブな態度などの成人期特有の困難が人を子供時代の”好き勝手な”自分へ引き戻し、それが視界・心の狭さや力や快楽への執着を生む、と言う。私たちの周りにもそんな大人が時々いるだろう。時間が過ぎ、太陽が正午に近づいてもまだ好き勝手に誰かを嘲笑ったり平気でルールを破ったり、他人の痛みがわからない人。
残念ながら人間は太陽のように規則的に前に進まない。
成長に時間がかかる人もいれば、意識と無意識のバランスが悪いままの大人もいる。

高見沢さんはそんな困難な時期を過ごしている人を正しい方向へ導くかのように いつか(愛という存在に)めぐり逢えるだろう からそのまま進め、と歌う。(他の曲でも人生は勝ち負けではない、と歌っている)
この時代を過ぎて次のステージへ進んだ45歳の高見沢さんにはその葛藤の辛さも、それを超えこれから謳歌する内面の充実もどちらも見えていたのかもしれない。ひょっとするとこれからの人生、信じた道をまっすぐにいくべきだと言葉にして自分にも”大丈夫”と言い聞かせたのかもしれない。

人生の後半をどう生きるか、を考える

いくつかの過ちが 君を夢に近づけてゆく 流した涙に挫けないように
嵐の海に漕ぎ出そう 木の葉のような船でも
愛し合って傷つけ合いながら 穏やかな日々へと向かう

人生の正午は午前を振り返りつつも午後を見据えて動かなければならない

40歳ほどで人生の半分である”正午”を迎えると人間はまた徐々に変化する。
成人としての興味や大切だと信じていたこと、例えば仕事の成功や勝負、社会での地位や他人と比較する性分なんかが薄れてきて、それまで忘れていた子供・少年の頃の喜びや感性などが少しずつ光に照らされるように湧き出てくる、というのがユングの考える正午過ぎの人生。
同時に青年・成人期の考え方や同じ熱量の闘争心や競争心、言葉のチョイスや態度(これらは全て自分の意識で行うこと)などではもう幸せな日々を送れないのがこの時期。ユングは精神と行動の変化は歳を重ねたこの時期に起こすもの、人生において世界に適応するための変化は要所要所でやってきているが、自分の内面が幸せになるための変化はこの”黄昏”に近づく時期に起こるのだと、と言っている。

*ちょっと話題が外れるが、私が80年代に見たアルフィーのライブはそれはそれは素晴らしかったが曲をジャンジャン聴かせるステージで、今のように愉快なMCも(それも当時は幸ちゃんしか喋ってないイメージ)コントもなかった。
いつごろから現在のスタイルになったのかわからないけど、確実にアルフィーの人生の正午は過ぎ、午後の変化が起きたのかもしれない。

生きている素晴らしさと 変わらない愛情すべて
些細な日々をさりげなく今 君はその手につかまえて

緑の葉は色を変え 過ぎた日々を憂い舞い落ちる
この道遙か黄昏に 君は何を想いそして悔やむのか

人生の午後は内面重視な幸せを

誰もが持つ無意識の中で変わらないのは生の素晴らしさと愛情、子供時代に名前のない花を見て生きることの美しさに気づいたのを改めて思い返し、小さなことに感激と感謝。
三人でわいわいと楽しく音楽をする様子を見ていると午後のアルフィーって素晴らしいな、と思う。

3人とも幼稚な側面があるんです。でもだからよかったと思う。くだらない事で笑い合える仲だからいいなと思えるんです。

(Yahooデイリースポーツの記事より)

そう高見沢さんが語ったように、三人の太陽はずっと頭上にあり続けているのかもしれない。茜色から薄く青に変わる空に、そして永い黄昏前のピンク色の空に。(”太陽は沈まない”って歌もありましたしね)
損得、勝ち負け、嫉妬や妬み、そんな感情を学ぶ前のような”幼稚”で純粋な関係を意識的に作っているのかそれとも無意識にその状態が三人の中だけで生きているのか。どっちにしろユングが見たら”意識と無意識のパーフェクトなバランス”っていうだろうな、と思う。

自分の道を信じて 幸せは側にある
闘う君の胸にはいつも 明日への希望がある
だから今日(いま)をあきらめないで

デビュー50周年を控えた夏のイベントの大トリにこの曲を選んだ意味がよくわかる。
冒頭に載せたMCの”諦めずこの道を歩いて….まだまだ先は長い未だゴールは見えず” の通り、そして見つけた愛と幸せ、桜井さん、坂崎さん、スタッフやファン、音楽やステージ、創作やプライドや軌跡、はそばにある。

夏イベ翌日のT's Licenceをお休みするというメッセージボードにはこうあった
”つかの間の戦士の休息です”
常に新しい自分新しい未来を求めて闘ってきた”君”は高見沢さん自身でもあったのかな、と思わせた一言だった。


さて、この曲途中のコーラス部分、実は以前アル友さんに”なんて言ってるの?”と聞かれた。その時ははっきりと聞こえずあまり意味のないフレーズだと思っていたが、最近の円盤を見たらちゃんと聞こえた!
意味がありありなフレーズだ!(ごめんね、Masaさん)

You live to be a part of your/the future for all your life
君は生涯、自分の未来の一部になるために今日を生き続けている

今を諦めないのはそれが未来の自分を作るからーーー高見沢さんはそう信じてここまで来て、これからも進む。
私たちが三人の今、そして続く未来をこんなにもワクワクした気持ちで見つめられるのは三人の強くブレない人生・世界観を信じているからだろう。

The Way、タイトルにもその信念が見える。
Way でも A Wayでもない THE は道がはっきり見え必ずそこにあるという事実を際立たせている。
その道が愛と幸せに導いてくれるなら高見沢さんを信じて今日を諦めず生きよう、そんな清々しい気持ちにさせてくれる名曲。

人生の午前でも、正午でも、午後に聴いても、眩しい太陽が光を変えてあなたを包む名曲です。

シマフィー

*ここまでで約5000字!読んでくださった皆さん、お疲れ様&ありがとうございました!


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