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中国創業記① 中国へ渡ったときのこと。

 30歳を目前にして単身で中国に渡りました。それから上海天家飲食管理有限公司を創業し、最盛期には14店舗を運営しました。多くの中国人メンバーと毎日たくさんのお客様(中国人)をお迎えできたことは、今でも私の誇りです。

 今回は中国に渡った時のことについて書いてみようと思います。私が中国へ行こうと決意したのは、間違いなく「現実逃避」からです。親に大学までだしてもらったにもかかわらず、20代後半の私は仕事もせずにブラブラしていました。

 30歳手前で無職、貯金は30万円しかありません。私は今後の人生について、猛烈に焦りを感じるようになっていました。その「現実逃避」の結論が「中国へ行こう。」でした。

 就職するにも、いまさら履歴書を書くガッツはありません。起業できるような資金も志もありません。やれることもやりたいことも思い付きません。ただただ人生をリセットしたかったのだと思います。なにごとも簡単に考える私は、思い付きで中国行きを決めました。はい。すべては思い付きから始まりました。

 渡航に際して、ひとつのことを決めました。それは、この中国行きは「現実逃避」であると認めることです。日本でなに一つうまくいかなっかたのです。斜に構えて、努力できない自分をごまかしてきたのです。そのこと自体はなにも恥ずかしいことではありません。自分自身がやってきたことの結果です。文句を言っていく先もありません。

 ただ、この挑戦は「現実逃避」の末にある。そのことだけはじっかり理解する必要があります。この事実としっかり向き合わないと中国でも同じ結果になる。それだけは確信していました。

 もう根拠のない自信にすがるのはやめよう。弱い自分を認めよう。今度は逃げずにやり遂げよう。この「現実逃避」を決して無駄にしない。そんなことを考えながら渡航日を待ちました。

 当時の中国はオリンピック・万博を控え猛烈な勢いで経済成長を続けていました。相手にとって不足はありません。もちろんコネもなければ言葉もわかりません。そんな中国に乗り込む私の未来は、まだなにも決まっていないし可能性に満ち溢れている。「現実逃避」を受け入れた私は、無敵に変身して日本を後にしました。

つづく。










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