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自分の目標について(自己紹介になっているかも)

プロフィールのところにも目標は書いていますが、これについてもう少し詳しく。
(下に行くにつれて重要です)

「好奇心で楽しく生きる人を増やす」


 まず1つ目、「好奇心で楽しく生きる人を増やす」ですが、やっぱり自分が好きなものに突き動かされている時は何より楽しい!それは読者のみなさんもわかってくれるのではなかろうかと思います。人生、楽しく生きるのが一番だと思います。それに、好奇心を持って取り組み続けることは健康にもいいことですからね。健康を大事にする、何を当たり前のことを、と思うかもしれませんが、当たり前のことこそ難しい。新しいことに挑戦しようとしたとき、面倒になってしまうこともあるでしょう。そんなときは、健康を大事にするとは自分を大事にすることと考えます。そして自分を大事にするとは、ここまで命をつないでくださった自分の先祖たちや、常日頃自分を支えてくれる人のためにもなると考えています。ことわっておきますが、私は日本史を専攻にしてるからでしょうかね、すごく先祖のことを考えます。このようにすれば、自分の健康を守ることが人(先祖)のためになると思えて、新しいことへの挑戦も楽しめるのではないでしょうか。ただ、「挑戦」というとハ一ドルが高いことをやる、と聞こえてしまうかもしれません。でも、そんなことはありません。私も、漫画から日本史を好きになって、大学でもまだ日本史をやっています。いつどこで自分の熱中できるものに出会えるかわかりません。もしかしたら、もう出会っているのに、気づいていない可能性もあります。今は情報を入手しやすい時代になっていますから、少しでも気になることがあったら調べてみる、それがとても大事なことだと思います。ここに年齢は関係ありません。私の大学も、やや高齢の大学院生がいらっしゃいますが、そういう方は自分の好きなことをしているおかげが、とてもいきいきとしていて、健康的に見えます。私はまだ二十歳ですが、将来そうなりたいと切に思います。
 

「歴史の知恵で悩んでいる人を救う」


 さて、2つ目の、「歴史の知恵で悩んでいる人を救う」です。どうして歴史を学ぶのか、などという問いは答えるには到底大きすぎるのもではありますが、私自身、歴史に救われてきたな、と思うことは多くあります。大事なことは、時代や国を超えて、様々な人の人生に触れることだと思います。そうすると、自分が尊敬できる人が一人や二人は見つかるでしょう。私はそういう人を「心の師匠」と呼んでいます。みなさんも、親や先生、あるいは上司などが言ってくることに対して納得がいかないという経験が一度はあるでしょう。そういうとき、心の師匠がいないと、理不尽な要求にも従うことになるかもしれません。そんなときこそ、自分が心の師匠とする人物ならどうするだろうか?と考えてみてください。歴史自体にあまり興味がない、という人は名言などを調べればよいのではないでしょうか。きっとお気に入りの言葉に出会えるでしょうし、メモなどして、悩んだときに見るといいでしょう。
 私にも心の師匠は複数いますが、今ふと思いついたのは江戸時代の儒学者である荻生徂徠です。彼は一人一人の個性を重んじ、各自が個性を発揮することで社会に貢献することを理想としました。私も基本的にこの考えです。また、アイヌのことわざの「kanto or wa yaku sak noa-rankep shinep ka isam」(天から役目なしに降ろされたものはひとつもない)も私の心の支えになっています。やっていて自分の心が晴れること、楽しいことをする、それは自分のわがままではありません。天から与えられた役目だと私は考えます。そしてその役目を果たすことこそが個性の発揮なのであり、荻生徂徠が言うように社会貢献になります。自分の好きなことをやろうとして、それをわがままだ、とか無理だろうと止めてくる人がいるかもしれません。そんなときこそこれらの言葉を思い出し、自分の「好き」という気持ちや心の望みに従うことは使命だし、生きる意味そのものだと思ってみてください。自分の考えや活動によって救われる人が必ずいます。いなかったら、私が針千本飲みます(笑)
 まだまだ話足りないのですが、ながくなりすぎても困るので、悩んでいる人の救いとなるような歴史、名言などについては少しずつ紹介していきたいです。

「自分で自分を責めたり、傷つける人をなくしていく」

 最後の目標のこれは、私が人生で一番大事にしたい考えでもあります。聞き苦しい話ですが、近年の日本では殺人事件は年間で850〜900件ほど起こっています。これも大変悲しいことですが、もっと悲しいのは自殺者の数です。日本では年間二万人以上の人が自殺しています。殺人事件の20倍以上の数です。また、日清戦争の戦死者が約1万3000人ほどなので、(『国史大辞典』)これでは毎年戦争をやっているに等しいと思いませんか?このような状況にあるのに、日本が真に平和なのか、私は疑問に思えてなりません。また、自殺までいかなくても、自分で自分を否定してしまったり、価値がないと思ってしまって苦しい思いをしている人は多くいます。 
 私は、自殺であったり、自分で自分で傷つける人を無くしてこそ、真の平和が実現できると思っています。もちろん、これが容易ではないのも事実です。私が生きている間に実現できないかもしれない。ただ、「そんなの無理だ」といって何もしないのは違うと思います。私達は、自分にできることを一個ずつ、ゆっくりでいいのでやっていく必要があります。今この瞬間にも自殺を考えたり苦しんでいる人がいるはずなのですから、この目標を先延ばしにするわけにはいきません。
 私たちにできることとは何か。それはまず自分の「存在の価値」と自分の行為による価値を分けて考えることだと思います。ここで、私の話を一つ。
 私は、中学の頃バドミントン部に入っていたのですが、ある時部内の順位決定戦で最下位になってしまいました。その悲しさといったら、言葉では表せない。私は試合直後に体育館の壁際で泣き崩れました。私はなんてだめなんだろう、頑張ってるはずなのになんで、、といったネガティブな考えで頭がいっぱいになりました。けど、私の母はそんな私をねぎらってくれました。なので、ここまで生きてこれました。部活の順位、つまり試合の結果という「私の行為による価値」はズタズタでしたが、私という人間が「存在している価値」は絶対不変だったのです。そして、存在の価値が絶対不変なのは誰でもそうです。行為の価値はなくても生きていけます。
 私のある友人は、中学のときにいじめにあっていたそうです。生きる希望を見失った彼に、先生はこんな話をしたそうです。
「今ここに20億円があったとする。ただし、受け取ればあなたは明日死んでしまう。それでいて、20億円を受け取るか?」
まず受け取らないでしょう。つまり、自分の命の価値、すなわち存在の価値はどんな大金にも勝っていて不動のもの。しかし苦しんでいるときこそ、このことを私たちは忘れがちです。苦しいときこそこの話を思い出したり、自分が存在している事自体に不動の価値を見出しましょう。
 存在の価値と行為の価値。すぐに納得するのは難しい話でしょう。けれど、こう考えないと、私よりもっと苦しんでいる人、例えばいじめにあっている人、逆にとりかえしのつかない犯罪をおかしてしまい、人から恨まれている人はどうなるでしょう。自分をこの世の中にいらない、と考えて自殺・自傷してもいいのでしょうか。いいわけありません。もちろん、過ちを犯したときは素直にそれを認め、誠意をもって相手に謝罪しなければなりません。けれど、だからといってその人の存在の価値は消えませんし、相手に謝罪するにあたって自分で自分を傷つけたり自己嫌悪に陥るのは無意味です。反省は自己嫌悪になることではありません。天から、先祖から与えられた命を最後まで活かし切り、人のためになることを多く行い、同じ過ちを繰り返さないことを生きて証明してこそ、つらい思いをさせてしまった相手に対して真に誠意を示すことになると思います。
 一方、つらい思いをした相手側、特にいじめで学校に行けなくなってしまったり、事件や事故で大事な人を亡くした人はなおさら、これだけでは腹の虫がおさまらない、ということがあるでしょう。相手を恨んでしまう気持ちが出てきて、夜も眠れないかもしれません。まず大事なのは、そういう自分を受け入れることです。人間は機械ではありませんから、スイッチを切り替えるように感情を切り替えることはできなくて当然です。恨みや怒りに支配される自分のことを許してあげてください。ただ、いつまでも恨み、怒りに支配されていては身も心もすり減ってしまいます。そういった気持ちから離れるのは、相手を許すという側面もあるでしょうが、何より大事なのは自分の健康を守るためです。我々は楽しく生きるために生まれてきたのですから。前にも述べましたが、自分で自分を大事にするのは使命といってよいでしょう。時間がかかっていいので、負の感情から離れていきましょう。一人だけじゃ厳しいことも多いので信頼できる人に気持ちを打ち明けたり、近くに知り合いがいない場合は、各市町村にある悩み相談の窓口を使ってみてください。くれぐれも、一人で抱え込まないで下さいね。
 最後になりますが、私は先程の友人が生きててくれて本当によかったです。彼がいなかったら先程の話は聞けませんでしたし、なにより彼に出会うことができなかった。今死にたいと思っていたり、誰も自分のことを必要としていない、という人でも、未来にあなたを必要とする人が必ず待っています。だから、必ず生き抜いてください。この記事を読んでしまった以上は約束ですよ。

 以上、長々述べて参りましたが、ここまで自分の気持ちを赤裸々に語ったのははじめてかもしれません。もちろん、私の考えに対して批判はあって当然です。ただしどんな考えであったにしろ、自分で自分を傷つけたり、心の健康を害さないで下さいね。
この記事で一人でも気持ちが楽になり、生きる勇気を得たなら、私としてこれほどの喜びはありません。


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