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なぜ歴史にはまったか②

前回は、和食がすきになった等の話をしましたが、今回はその続きです

・小5〜給食の献立への不満

これは別に、味に不満だったというわけではありません。僕が疑問に思っていたのは、僕がいた小樽市では週五日のうち3日がパン、2日が米というものでした。(今はどうなっているのだろう?)つまり、和食の占める割合が低いのです。小学校低学年の頃は何も気になりませんでしたが、高学年になるとここに憤りを感じるようになりました(注 献立における和食の割合は地域差があり、和食への意識を高めようとしている地域もある)
 前回、「和食を食べない人が悪いのではない、和食に触れる機会の少なさが問題なのだ」と話しましたが、このように、

和食の地位が低い給食では将来的に和食を食べない人を増やしてしまうのではないか、

これでは日本の良さが一つきえてしまうことにつながりかねない、と危機感を抱きました。

そして、小学校5年のある日、僕はこのことを担任の先生に相談しました(笑)、別に担任の先生が献立決めてるんじゃないので、先生も困ったと思います、けど他に相談する人が思いつかなかったのでしょう(笑)先生はいい人で、面倒くさがらず話を聞いてくれました。今でもそこに感謝です。先生は僕の考えに理解を示してくれましたが、その一方で「和食を残す子どもも多い」とも話していて、それが給食における和食の地位低下を招いているのではないかと言っていました
そんなわけで、なかなか僕の考えに賛同してくれる同世代の人はいないだろうなぁ、と思ってこの話を胸に秘していたのですが、高校の時に同じ部活で仲良くなった女の子にこの話をしました。彼女は特段「日本の個性」とか意識していないようで(してたならごめん)したが、彼女になら言っても大丈夫、と直感的に思ったのです。案の定、「小5でそういうこと考えるとかどんだけ愛深いの(笑)」と面白がってた一方で、僕の気持ちを尊重してくれました。ここで学んだことは、同世代の人たちも、自分の文化を決して嫌っているわけではないことです。そして、自分と考えが一致していなくても、僕の考えを尊重してくれる人がいることに気づきました。だから僕は、

相手をもっと信頼して自分の気持ちを話したほうがいいと思うようになりました。


 別に相手と自分の考えが一致していなくても落ち込む必要などなかったのです。また、考えが違っていても信頼関係は結べるのです。僕は彼女に本当に感謝しています、しばらく会ってませんが、元気にしているんでしょうか?

・和食への愛→日本の個性を守りたい

ここまで読んでいた人はなんとなく察しがつくかもしれませんが、小5のころになると、和食が好きだからそのよさを知ってもらいたい、というレベルを超えて、僕は日本そのものの個性を守りたい、という気もちが強くなっていました。ここで誤解してほしくないのは、

僕は排外主義には反対です。また、他の文化を卑下することにも反対です。

というのも、日本文化も、また他の文化もそうだと思いますが、必ず外部との交流があるはずなので、そこを無視してはいけないと思うのです。僕は、外部からもたらされたものをどうアレンジさせるのか、そのアレンジの仕方もその文化の個性だと思っています。そうして、新しい文化が生み出されていくことはむしろ大歓迎です。そこで僕が思うのは、そうした、新しく生まれたものも、そして、古くから伝わっていたものも両方守らなくてはいけないということです。どちらか一方ではどこか味気ない気がします。
 そして僕が最も大事だと思うようになったことは

それぞれの人が、自らの属する国や地域の個性を愛すること。そしてその気持ちをもって他者理解をする

ことです。もっとも、この考えに至るには時間がかかりました。(おそらく中3くらいか、これについは後述)小5のときはとにかく日本の個性ばかりに目がいき、他者理解は眼中になかったと思います。今思えば、あの頃の僕はエスノセントリズ厶(自民族中心主義)的なところがあったともいえ、反省しています。
 では、最初は日本のことばかり考えていた僕ですが、どうして他者理解という観点に至るようになったのか、そのヒントはまさに「歴史」にあるわけです

小6 いよいよ日本史に興味をもつ

この時期に日本史に興味をもつようになったきっかけは複数あります。順を追って整理していきましょう
1.「日本の個性」を大事にしたい気持ち
→これはもう今まで長く説明してきたように、和食への愛に始まる日本文化への愛です。
小6以降日本史にはまり、日本建築も好きになった(これについてもどこかで述べたい)

2.曽祖父の戦争体験を間接的に聞き、「先祖」を意識するようになっていた(小学校低学年くらいのときから断続的に)
→太平洋戦争について

3.小樽・北海道の歴史について小3の時ならい、時系列で街の変化を考えるのを面白いと想った

4.小6から日本史の授業を本格的にやると聞き、勉強に自信がなかった僕は学習まんがを読んで知識を蓄えようとした

5.NHKBSの「英雄たちの選択」

これら五つが重なって小6から本格的に日本史が好きになりました。
 ただ、細かく整理しておくと1の比重が最も大きいので、今までこの部分メインで語ってきました
けど、2と3も欠かせませんし、1〜3によりエンジンが出来上がり、4と5がガソリンになったという感じでしょうか。思いのほかながくなってしまったので、2以降のことは次回のべようと思います、おたのしみに!

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