見出し画像

ほこりまみれの模造紙 #2 【短編小説】

「また難しいこと考えてんの?」


同僚の恵太は言う。

「え、なにが? 俺そんな顔してた?」
「お前自分で気付いてないのかよ! 眉間にしわ寄せながらずーっと壁眺めてたぜ?」
「いろいろ考えることが多いんだ。恵太もそういうときない?」
「そりゃあたまにはあるけど、夜寝る前とかシャワー浴びてるときとか…。だけど遥人ほどしょっちゅう恐い顔して壁眺めたりはしないぜ? もっとラフに考えたらいいんじゃね? 楽しく生きるべ!」


 恵太の言うとおり、この世に生を得たからには楽しく生き抜きたいと心から望んでいる。その望みを叶えるべく今を真剣に考えているのだが、真剣に考えすぎることによって今が楽しくなくなってしまうという本末転倒ジレンマに陥っている。いっそ何も考えず今を過ごそうかと開き直ったことも数度あったが、1週間も持たずまた壁を見つめ始める。僕は生まれつきどうも考えることが好きな性質なようだ。

――午後19:30――仕事を終え東急多摩川線に乗って蒲田で降り、ゆっくりと物思いに耽りながら歩き、途中セブンイレブンでチルドのおかずと2Lの水を買って、無事家につく頃には20:30を回っていた。


 電気ポットのティファールでお湯を沸かし、鍋に流し入れ、火をかけ、さっき買ったチルドのハンバーグを鍋に浸し待つ間、冷凍庫から昨日炊いたご飯の塊を取り出してレンチンをする。冷蔵庫を覗くと消費期限が切れた納豆が1パックあったが、まだ2日しか経ってないので今日の献立に加えることにした。食卓が出来上がったところでテレビを付け、画面を眺めることなく芸人と女子アナの声をBGMとして聞きながら、簡易な食事を楽しむ。この何気ない時間が意外と好きだったりする。


 食事を終え、食器を流し台に持っていき即座に洗う。のちのちこびり付くのが嫌いなので、食器は食べ終えるとすぐに洗うのが習慣となっている。作る、食べる、片づける、洗うまでの一連の流れが僕にとっての〟食事〝なのである。


 あらためて〝食事〝を終え時計に目を遣ると、秒針がちょうど頂点を指し22:00になった瞬間だった。そんなちょっとした偶然に幸せを感じながら、8帖一間の部屋の窓際片隅にある小学校時代から愛用している机に相対し、資格の勉強の準備をする。資格と言っても今の仕事に直接関係するわけではない簿記のことだ。勉強の動機はそれほど濃いものではなく、ただ「持っていればどこかで役立つのでは?」という凡庸で漠然とした考えから生まれたものだ。実家が自営業のハウスクリーニング会社で、いつか継ぐことになるかもしれないという潜在意識下の恐怖心も、もしかしたら相まっているのかもしれない。


極力継ぎたくはないが、人間いつどんな形で環境や心が変わるかはわかったものじゃない。そのときに備えておこうという保険的精神が暗躍しているとも言えなくもない。ともあれキレイな動機で簿記の資格を取ろうと考えたわけではないことだけは言える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?