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老いや衰え、夫婦のこと。

夫婦、家族なかよく、末永く、いつまでも楽しく明るく暮らしたい。
そんなふうに当たり前に思っていたけど、当たり前でないかもしれない、そうあるべきと思っていたけどそうもいかない。

常々、時間はたくさんあるようで思っているよりも短い。解ってはいるようで受け止めきれていない時間の概念。

時間は老化でもあり寿命でもある。いつまでも一緒にいるだろうなんて当たり前に思っていても、私の「いつまでも」と彼の「いつまでも」の時間の長さは違うかもしれないと感じた。

老いとともに体を悪くしたり不調が出たり。
大病を患えば生存率は下がっていく。
人生の道のりは、大きい通りからだんだん細々とのんびりしていく。

今私が苦しさや寂しさを感じないのは夫や家族が居るからだ。
怒ったりムカついたりすることも相手がいるからだ。
こんな永遠がずっと続いたらと、当たり前のように来年も再来年も十年後も二十年後も春には桜を見たり、夏は川や海に行き、秋には山を登り冬には鍋をして暖かく凄す。
きっとこれも、親が亡くなり、家族も減り、一つ一つ失くなって自分だけになるのかもしれない。 
この部屋も1人では広すぎるかもしれない。

今の一瞬一瞬の光と時間と活力が妙に眩しくて、暇が暇であることがもったいなく。
暇な時間が貴重なもので、私には何にも残らない空っぽな意味のない時間になってしまうのかもしれないと思ったら、妙に悲しくなってしまった。

「今」あるものが「今」しかないこと。
去年から時間が進まなくなってしまった気がしている。

老いることが寂しい、そんなふうに思ってしまった。

不安を巻き起こしてくれましたが、真剣に時間の大切さを考え直すきっかけになりました。

元気になってね。


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