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鍼灸、マインドフルネス、プラシボ(はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平)

1.はじめに ~大久保適斉=代田文誌による鍼灸治効の近代的理論~
 鍼灸師の代田文誌は大久保適斎の『鍼治新書(治療編)』(医道の日本社、復刻版、1973)の解題「大久保適斉著 鍼治新書(治療篇)再版について」(1970年9月12日筆)の中で

 (略)要するに彼れ(引用者注:大久保適斉)の針治療の臨床的観察によれば、
 1、神経変常の調節作用
 2、疼痛痙攣の鎮静作用
 3、知覚脱失や麻痺の回復作用、

が針治の臨床的効果の主要なものであるというのである。[1]


と紹介し、


 その見解は、近代医学的であり、治療学的である。したがって、本書は明治初年(ママ 
 実際は1892(明治25)年刊行)の著書ではあるが、現代のわれわれにとっても、臨床的に役に立つ書物であり、彼れの説はあまたの示唆に富んでいるのである[1]


と、その見解を高く評価している。 
 余談ながら、筋肉層への刺鍼で生成されるアデノシンに鎮痛作用があることが2010年に報告されるなど[2]、鍼灸施術が生体におよぼす変化についての科学的知見は現在も増え続けている。


2.マインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-Based Stress Reduction:MBSR)について
 マインドフルネスの考案者、J.カバッドジンによれば、マインドフルネス低減法とは「”注意集中力”を高めるためのトレーニングを体系的に組みたてたもの」であり、「自分自身が存在する瞬間の中に入り込み、意識を開く」「何かをするということをやめ、”自分の存在を実感する”という意識に切り替える方法を学」んだり、「自分のための時間を作り、ゆっくりとしたペースで、静かな落ちつきを養い、ありのままの自分を受け容れる余裕を作りだす方法を学」んだりするためのマインドフルネス--「静座瞑想法」「ボディー・スキャン法」「ヨーガ瞑想法」「歩行瞑想法」などがある--を実践することで、種々のストレスを低減できると提唱している。[3]
 また、マインドフルネスを行うことで、「心と体の健康状態」「自己認識とライフスキル」「満足感と達成感」「考える力」の向上が期待できるとしている。[4]
 心身の不調の改善にのみ着目するのはマインドフルネスの効用を矮小化するおそれがあるが、たとえばボディー・スキャン法などで体の一部に全意識を集中させることで、意識の向かう先をストレッサーとは別の方面に変えることができる。
  ストレッサーを意識している間は、緊急反応や抗ストレス反応、痛みの悪循環が引き起こされる。したがって、意識の向かう対象を意図的にストレッサー「ではない何か」に変えるマインドフルネスは、ストレッサーがもたらす種々の悪循環を一時的にシャットダウンさせることになる。その結果、痛みや不定愁訴が和らぐものと考えられる。
 東洋医学の気功、特に内気功もマインドフルネスの一種と言えるかもしれない。よく、臍下丹田に気を練るなどと言うが、その間、意識は臍の下に集中している。気を練っている間、ストレッサーのことなど考えもしない。
 極端な例になるが、ここで古代中国の故事を紹介する。戦国時代、打ち傷の痛みに悩まされていた斉王は名医の文摯を呼ぶことにした。だが文摯は三度も往診の約束を自ら反故にした上、靴も脱がずに王の寝台に上がり、服を踏みつけたまま言葉汚く王を問診した。医師の無礼な態度に激怒した王は寝台から立ち上がったが、そのとき病が治ってしまったというものである。王の意識の向かう先が、自分の傷から無礼な医師に変わったため病が治ったものと考えられる。文摯は釜茹でにされた上、蓋までされて窒息死した。文摯は自分が殺されることになるのを分かっていて、それでも王の病を治さんがため、あえて無礼を働いたのだった。

3.鍼灸、マインドフルネス、プラシボ
 それでは、鍼灸にマインドフルネス的な効果はあるのか?
 筆者はあると考える。つぼに施術をする時点で、患者の意識をそこに持っていかせているからである。そこに痛みや"ひびき"、熱感が加われば、嫌でも患者の意識はそこに向かう。
  鍼灸の教科書などで説明される「誘導作用」は、施術部位に「血液」を集めることで血液量を調整する作用であるとし、どこに血液を集めるかで「患部誘導法」「健部誘導法」と施術技法を分類している。
  筆者は、鍼灸施術は「血液」のみならず「意識」も施術部位に誘導させることができるーー鍼灸施術には「意識の誘導作用=外発的なマインドフルネス様作用」があると考えている。
 この観点からだと、小児はりのような非侵襲系の刺激、ごくごく浅く刺入する低侵襲性の刺激でも、患者の意識を施術部位に向けるマインドフルネス様効果が期待できそうである。

   要するに、施術時に患者の意識をどこに持っていき集中させ、マインドフルネスを誘導できるかということである--特に、痛みや不安に敏感な患者、痛みだけではなく悩みも抱えている患者には効果が期待できそうである。

 ここで、鍼灸の評価に必ずついてまわる「プラシボ(偽薬)効果」について私見を述べたい。鍼灸の効果にマインドフルネス的な効果を組み込む以上、この問題から避けて通るわけにはいかない。
   開き直るわけではないが、薬物のようなランダム化比較試験(RCT:Randomized Controlled Trial)で鍼灸の実効性や鍼灸施術におけるマインドフルネス的な効果の寄与の程度を測定することは「できない」というのが筆者の考えである。臨床上、コントロール群を作るのが事実上不可能だからである。いったい、「鍼を打っているわけではないのに打たれた感じがする」「灸をすえているわけではないのにすえられている感じがする」とはどのような状況だろうか? 対象の薬かプラシボ(偽薬)かがまったく分からない形で投与できる薬物などと違い、鍼灸のような、患者の体に直接触れて行う「術」(西洋医学でも、外科手術や理学・作業療法などは「術」の領域になる)の評価方法として、RCTは適当ではないと思う。もちろんこれは、まっとうな医療として認められるために鍼灸も科学的評価を受けなければならないことを前提にした意見である。
 また、「よくなった」「楽になった」「気持ちが前向きになった」という主観的評価もRCTで測るのには無理がある。鍼灸師の人柄や距離感(たまには会ってもいつも会うわけではない者と会うこと)等でよくなる可能性、家から離れたなじみのない空間にいることで改善する転地療法的な要素を一切排除してしまうのも、科学的には正しいが(科学的に評価するにはそうするしかないと言うべきか)、実際上どうなのかという気もする。
 鍼灸でなくても達成できたのではないか、たとえば催眠療法でも、怪しい(!)民間療法でもよかったかもしれないし、そもそも当人の気の持ちようの問題だろう、といった批判は受け入れなければならないが、事実として、患者が鍼灸院に来、鍼灸施術を受けてよくなったと実感している以上、鍼灸施術に一定の意義が認められてもいいのではないだろうか。繰り返しになるがーー科学的評価としてのRCTに全幅の信頼をおく読者には矛盾としか映らないだろうがーー鍼灸の効果を科学的に吟味される必要があるという意見には全面的に同意するものである。せめて症例対照研究 (case control study)ぐらいはしなければならないと思う。
 

4.結論 
 患者の意識の向かう先を施術場所に持っていける鍼灸施術にはマインドフルネスの側面もあり、これからの鍼灸師はマインドフルネスストレス低減法に準じた(かなうならば同等かそれ以上の)効果を引き出す鍼灸技法を研究・開発していかなければならないだろう。臨床に立てば分かるが、患者は必ずしも、痛みの低減や体の不調の軽減のみを目的として鍼灸院に来ているのではない。

 
【参考文献】
1.大久保適斎『鍼治新書(治療編)復刻版』医道の日本社、1973 ※代田文誌「解題 大久保適斉著 鍼治新書(治療篇)再版について」1970:2
2.Goldman N,Chen M et al. Adenosine A1 Receptors Mediate Local Anti-Nociceptive Effects of Acupuncture.Nat Neurosci 2010;13(7):883-8. 
3.J.カバッドジン著、春木豊訳『マインドフルネスストレス低減法』北大路書房、2007:P2,32
4.ケン・ヴェルニ著、中野信子訳『図解 マインドフルネスストレス』医道の日本社、2016:P12-13

【著者プロフィール】
1976年、兵庫県神戸市生まれ。1998年、大阪大学理学部化学科卒業。2008年、兵庫鍼灸専門学校卒業。神戸大学大学院医学研究科修士課程中退。2015年、兵庫県西宮市に「はりねずみのハリー鍼灸院」を開院。

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