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なぜ地域にアーティストは必要なのか。

昔から思っていた。アートによる町おこしや芸術祭を見るたびに「なぜアートなんだろう?」と。最近、自分の中で仮説ができたので勝手に書き散らしてみたい。

そもそも地域の課題とは何か?

日本全国さまざまな地域があれど、横たわる問題は大体どこも一緒だ。激しい少子高齢化、若年人口流出による過疎化、デジタルなど変化への対応遅れ、成長産業への投資不足などなど、あげればキリがない。ただ僕が真の課題だと感じているのは「新しいことへの機能不全」だ。

若い人が少ない、経済的余裕がない、新しい技術を知らない、外との交流が減っている、それが何を意味するかと言えば、新陳代謝が起きないということ。新しいことをやる理由が消えていき、ますます過去にすがって生きるスパイラルに陥る。

そんな中で面白いことが起きてる地域がある。海外からもそのためだけにやってくるような尖ったホテルやレストランが生まれたり、新しい学校が作られたり、新たな熱狂が起きて外から人が流入している地域。

僕が見てきた限り、そういう地域の始まりにはアーティストがいるのだ。現在という点で見ても分からず、20-30年という時間軸で見ると浮かび上がってくる。

奇跡が起きている地域、
東岩瀬の場合

実はそういう場所は日本各地にある。都道府県の単位でもなく、超局所的なので意外と気づかれていない。沢山あるが、せっかくなので僕が関わりのあるところを紹介したい。

一つ目は、富山県にある東岩瀬。元々は北前船が拠点の一つで問屋街であったエリア。そこに2-300メートルだけ風情ある街並みがあり、そこに出店してる6つのレストランがすべてミシュランを取っている、奇跡の美食ストリートがある。

その仕掛け人は、満寿泉(ますいずみ)という日本酒の蔵元、桝田酒造5代目の桝田隆一郎さん。僕が地元にこんな人いたんだ!と衝撃を受けた一人だ。

どうやら元々美しい景観が残っていたわけではなく、桝田さんが跡を継いだときには、寂れた空き家だらけの通りになっていたらしい。そこで1998年頃から一軒一軒空き家を買って改修しては、そこにガラス作家や陶芸家、鍛治職人などを住まわせていった。作家たちはそこが家でありアトリエであり展示場所になる。

ガラス作家安田さんのアトリエ
陶芸家 岳さんのギャラリー

それが起点となり、一軒一軒、割烹や日本酒の立ち飲み屋、イタリアン、クラフトビールの工場と、クラフト作品の発表の場ができていった。レストランも、近くの漁港でとれる魚はもちろんだが、食事に合わせて日本酒や器やカトラリーが作られることで、体験のクオリティが高まっている。

クラフトビールのブルワリーKOBO
通りにあるイチ押しの鮨屋GEJO
富山と言えば、寿司!寿司!寿司!

行政もその流れに乗り、ストリートは無電柱化され、まちの改修は加速していく。世界の美食家も注目するようになり、例えば、28年間ドンペリの醸造責任者だったリシャールさんのような大物も、富山に移住し、日本酒づくりに取り組むようになった。この前も驚くようなセレブリティが世界から訪れていた。

リシャールさんが手掛ける日本酒、IWA5
東岩瀬を起点に世界の名だたるブランドとコラボレーションしている

神山の場合

もう一つは、徳島県神山町。人口5000人足らずの村だが、「創造的過疎」を掲げ、移住者が増えている町。Sansan創業者の寺田さんが理事長となって開校準備中の、起業家輩出を目的とした「神山まるごと高専」が話題だ。

僕は起業家講師として何度か訪問させてもらったが、学校の発起人であり、神山のまちづくりに長年取り組んでいる、NPO法人グリーンバレー代表の大南信也さんの話が興味深かった。

なぜこの小さな町に新しい学校ができることになったのか。元を辿れば1999年。最初はたった3人のアーティスト移住から始まったという。アートの力を町に生かそうと考えたが、ミニ直島を作っても仕方ない。アートを集めるのではなく、数ヶ月間住んで制作してもらう、アーティスト・イン・レジデンスを開始した。

引用: イン神山
一度は廃れた商店街につくられたアート
大南「補助金などの支援策で人をまちに呼び込もうとすると失敗してしまうでしょう。なぜなら、移住希望者は各自治体で提示される“条件”で選んでしまうから。条件に惹かれて移住してきたとしても、それがまちの力になるかといったらそうではない。“まちの空気が好き”“まちと相性がいい”と言ってもらえるようなまちの雰囲気づくりが大切。アートはその雰囲気づくりの力を持っていると思いました」
CLOCALインタビューより引用

プログラムが終わっても希望者は住み続けられる。それで欧米からの人の誘致に成功し、次に移住政策「ワーク・イン・レジデンス」を開始。神山でIT企業を起こしませんか?パン屋を開業する人はいませんか?と逆指名的に呼びかけていき、窯焼きのパン屋、研修施設、特産である梅を使った料理が自慢のカフェなどの誘致に成功した。

その流れの中で、町内全域に整備された高速ブロードバンド網を生かし、IT企業のサテライトオフィスをつくる。その第一号がSansan創業してまだ3年目の寺田さんだった。

Sansanのサテライトオフィス
古民家の中に突然現代的なオフィス

その縁からまるごと高専の構想が生まれた。100億もの寄付を集め、今ではスポンサーとして、ソニーやソフトバンク、ロート製薬、富士通、ミクシィなど、名だたる企業が神山と関わりを持つことになった。

2023年4月開校予定の神山まるごと高専

アーティストが起爆剤になる

これらの事例を見ていて浮かんでくるのは、アーティストが寂れた地域の起爆剤になってるという事実だ。

経済が廃れた地域にいきなりビジネスマンはやってこない。ゼロから新たな価値を生み出せるアーティストだからこそ、ファーストペンギンのように飛び込んでこれるとも言える。

アーティストがその地域の既成概念を問い直し、閉塞した空気に風穴を開ける。そこに、起業家や商業的なクリエイターが入ってきて新たな価値を創り出す。そしてそこにビジネスチャンスを感じた先進的な企業が関わり、少しずつ大きな経済圏になっていく。

20-30年という時間をかけて、そういうパラダイムをつくっていくのが、地域復興における一つの方程式ではないかと思った。

もちろん理屈があればうまくいくわけではない。まちづくりというマジックワードに騙されそうになるが、結局はたった1人の熱狂からはじまるのだ。桝田さんはよく言っている。「都会と違って地方は、本気の奴が1人いたら変えられるんだよ」と。

そうは言っても閉塞感の中で1人で戦い続けるのは気持ちが持たないはずだ。そう考えると、アーティストというのは、たった1人で風穴を開けようとする地域の変革者にとって、最初の仲間なのかもしれない。