【ホラー考察】くねくねから考える洒落怖スレの伝承媒体としての在り方とシン•洒落怖のスタンス
緒言
タイトルが長くなってしまい、恐縮ではあるが
今回は洒落怖の代表作とも言える「くねくね」について触れていき、当時の洒落怖が如何にして今日までネットミームとして生き残り、奇々怪々とした雰囲気を醸成させていったのか、またそれらを敬愛し追求していく我々のスタンスをここに記したい。
くねくねとは
初めに、根幹となるテーマ「くねくね」とは、創作であることを述べておく。
以下に根拠を示す。
「くねくね」が創作である根拠
まずは「くねくね」のオリジナルとも言える洒落怖スレのレスをご覧いただきたい。
「洒落にならないくらい恐い話を集めてみない?Part31」
レス番号:756の投稿である。(以降、オリくねと表記する)
これがオリくねの、最初の投稿だ。
「くねくね」は以後あまりにも人気を博したため、あらゆる派生を遂げている。まさにこの投稿は原点、オリジナルであろう。
もちろんこれが現実味のない話であることは理解できる。だがしかし、これだけで創作と断ずるには、ホラー好きとしてあまりにもロマンがない。
実は、上記を投稿した主(以降、756氏と表記する)は、これ以前に同スレにてこのような投稿もしていた。
更に、756氏が気に入ったとされる書き込み、つまりくねくねの母体と言い換えても良いハナシ「分からない方がいい・・」(以下、母体と表記する)を見てみよう。
母体に登場する、くねくねくねくねという特徴的な動きと「分からない方がいい」という結末。そして、756氏の書き込みから、オリくねとは、母体を元に756氏が実体験と嘘を織り交ぜて作った創作であると言えよう。
ここで明言しておきたい点が、二つある。
一つは、756氏の書き込みが真実であるというソースが過去ログとしては残っておらず、サイト「うわごとのとなり」からの引用であるという点。
もう一つは、母体の投稿がされていたサイトのURLが伊藤 龍平著、『ネットロア: ウェブ時代の「ハナシ」の伝承』に記載されていたものの、2024年3月現在アクセス不可能となっている点だ。(また、母体は全て創作である『らしい』という記載が引用元にある。今回の考察でもそれに倣うものとする)
このため、どちらも信憑性には今ひとつ欠けるが、信じられないものを信じるというのもホラーを楽しむ要素の一つと、寛大な心で続きをご拝読願いたい。尚、wikipedia:くねくねの項にも同様の経緯が記されているので興味のある方は確認してほしい。
なぜ母体が廃れ、オリくねが残ったのか
ここである疑問を抱いた。
先にも触れた通り、現状「くねくね」シリーズは多くの形で派生をしているが、根幹を成す要素として、
というものが挙げられる。この辺りを抑えておくと、「くねくね」足るとして良いだろう。
つまり母体そのものでも、「くねくねである」という条件を達成しているのに、何故母体は廃れ、オリくねの方が今日まで伝播し、洒落怖の代表作として君臨しているのだろうか。
虚実を織り交ぜるということ
756氏は、自身の体験という真実と、母体の「分からない方がいい」という自身では未体験の要素、つまり嘘を織り交ぜることによってオリくねを殿堂入りにまで昇華させたのだと言える。
虚実織り交ぜるという手法は、創作においては珍しいことではない。寧ろ純度100%の嘘で作り上げたハナシよりも、真実を散りばめる方が信憑性が高まる事は言うまでもないだろう。
そもそも一から十まで創作のハナシを作り上げることは可能だろうか。
それは、誰も見たことのない図形を書けと言われて書けるのか。食べたことのない食べ物を作れと言われて、作れる人はいるのか。存在しない動物を創れと言われて、既存の動物をモデルとせずに全く新しい生命体を創りあげる事ができるのか。と問うているのと同様で、よほどクリエイティブの才がある者でないと難しいだろう。
全ての創作は、比率はさておき真実をベースに嘘を積み上げる事で成り立っているのかもしれない。そして、その真実の部分から匂い立つエンティティこそに、虚を実たらしめんとする機能がある。
また、真実と嘘の比率の最適解はその物語一つ一つに間違いなくあるはずだ。
嘘が増えれば増えるほどスリリングになり、現実離れした、であったり幻想的な、という形容がされるが、一歩間違えれば荒唐無稽な奇天烈で突拍子のないぺらぺらなストーリーとなってしまうだろう。
片や真実を増やす事それ即ち信憑性が増すということになるが、闇雲に真実の比率を増やしても、それは物語ではなく少し不思議なエッセイや日記というカテゴリに舵を切ってしまうことも想像に難くない。
なろう系ファンタジーものも、最早テンプレートと言っても良いほどに、ゲーム要素に中世ヨーロッパの文化を合わせたものが散見されるが、それは中世ヨーロッパ=日本人にとって想像しやすい異世界、ゲーム要素=強さの数値化や表しやすさ、といった読者と作者の脳内にある共通項を以って土台と成すことで、万人に受け入れられる手筈を整えているのである。
オリくねは虚実のバランス感覚に秀でている
さて、オリくねについて、もう少し仔細に虚実の内訳を見ていこう。母体と756氏の書き込みから鑑みるに、
虚 ∶
案山子らしきものの正体が分かるとたちまち発狂し、同様の動きをし始める
因習村の如く怒鳴るおじいさんがいる
罹患したものは対処法がなく、そのまま野に放つ風習がある
実 ∶
都会から秋田の祖母の家に遊びに行き、田舎の空気を楽しむ
田んぼの真ん中に風もないのにくねくねとしている案山子のようなものを見つける
と定義していいだろう。
これら虚実の綯い交ぜ方は実に見事ではなかろうか。
まず、虚の部分から触れていく。
「くねくね」を直接見たものは精神的に異常をきたす、というのは母体とオリくねの双方に当てはまるのだが、母体の方は、「くねくね」を見た=知的障害になった、という因果関係の説明が乏しい。事故や病気など別の理由でなってしまった可能性も排除出来ない。それでも、真実への道が閉ざされてしまったという絶望を味わうにはとても味のある一文だし、大事な部分をぼかしたホラーは個人的には大好物である。また令和におけるホラーの流行りにも『恐い』よりも『気味が悪い』に重きを置いたものが多いように感じる。そういった点では当時母体の方がが人気を博していたのも頷ける。
対しオリくねは、実に見事に正体発見と発狂の因果を表現していると思える。
正体を突き止めた兄が、その瞬間から正常と異常の狭間にいることを表すように片言混じりで上の空で帰宅していく描写、兄の異変を確認した祖父が、何かを察したかのように怒号とともに弟を制止しにきたシーン、家に帰ると白い物体と同じく乱舞し狂気じみた笑顔を見せる兄。
これらを以って、正体を確認することそのものが危険である、ということを読者に明示している。
そして「くねくね」と同じ動きをしてしまうようになった兄を野に放つ、という退廃的な風習があることから、兼ねてから「くねくね」はこの地域に存在しており、そしてまた、明確な対処法も治療法もない、という村としての諦観さえ想像できる。
756氏は「混ぜ合わせると…」という表現を用いてオリくねを発表しているが、マッシュアップというよりかはブラッシュアップであると個人的に礼讃したい。
実の部分はどうだろうか。
田舎における原風景の描写はまさに脳内に思い浮かぶの一言で、本人の言う通り本当に体験しているのだろうと思える。しかし、秋田県という場所に関しては身バレ防止のためのぼかしが含まれている可能性や、後に触れる「くねくね」の正体として推察される妖怪の発生地域という点から、必ずしも756氏の言った通りであるかどうかは断定出来ない。
そして、「くねくね」のような現象も体験していたとすると、下記の事例が挙げられる。これらは、「くねくね」の正体を突き止めようと多くの先人たちが近しい現象や信仰などをまとめてくれていたもので、今回は尻馬に乗らせていただきそのまま記載する。気になった方は随時検索をしてみて欲しい。
熱中症の症状
蜃気楼による幻覚
ドッペルゲンガーのような怪現象
タンモノ様、蛇神、シシカブリなどの土着信仰系妖怪
これらが、「くねくね」の正体として有力だそうだ。
756氏の書き込みによると、体験したこと自体は全く怖くなかったと述べているので、恐らく上二つのどちらかだろう。これらは暑い夏の田舎にて起こり得る現象であるし、実体験だとしても可笑しくない。
以上から、実体験の描写を明確に書き上げることでリアリティを纏わせつつ、母体を更に昇華させたオカルティズムな推敲によってオリくねが完成したのだろう。
前記したが、この虚実のバランスは非常に素晴らしい。
投稿直後こそ、創作であるという明記がされていたようだが、いつのまにかオリくねそのものが怪談として独り歩きしていったのも、母体よりもこの虚実のバランス感覚に秀でており、リアリティを持つ抗えない恐怖現象そのものが洒落怖民に好まれたからだろう。
洒落怖殿堂入りを冠する条件
なぜ母体よりもオリくねが洒落怖の名作として令和まで受け継がれたのか。
今までの考察を放り投げ、身も蓋もないことを言えば、単にオリくねの方が怖かったからだろう。
だか、結局のところそれが全てではないのか。
元々は、ジャンルや真偽を問わずありとあらゆるオカルトを収集する目的で立てられたスレではあるが、次第にひたすらに恐い話を投稿する創作怪談スレへと変貌を遂げた。
なぜか。
それは、スレ民はただひたすらに恐怖を求めていたのではないか。
真偽を問わず、より洗練された恐怖を求めるのなら、虚実織り交ぜたハナシこそ事実よりも奇なり。
つまるところ、洒落怖スレとは恐怖怪談の蠱毒。
より恐ろしいハナシが生き残り、殿堂入りとされ、今日まで生き残る。たとえそれにどんなに人の手が介在していようとも。
シン•洒落怖はどう在りたいのか
おそらく、当時の洒落怖に張り付いて「それはおかしい、あり得ない、現実味がなさすぎる」などとレスしたところで、
だろう。
それでいいのだ。
盲目的に差し出されたホラーを享受してもらい、少しだけ一人で風呂に入る時間を怖くさせる。背筋を震わせる。時折日常の最中に思い出し、嫌な気持ちにさせる。
より怖いものが取捨選択され、怖くないものは淘汰されていく。
そうして今日まで怖いハナシを受け継ぐ役割を果たしてきたのが、洒落怖スレである。
そんな雰囲気を、シン•洒落怖では、改めて作り上げていきたい。
そして、もう一つ。
我々は、洒落怖における実の部分を、つまびらかにしていきたい。
「実」の部分を光とするのなら、「虚」は闇である。
光が輝き強ければ強いほど、闇はより深く、濃くなる。
先日公開した記事、リンフォンの考察を見ていただきたい。
https://note.com/shin_sharekowa/n/nf532bdd91fb9
この考察では、リンフォンが変形していく動物の形状に、ある規則性を発見した。
この変形の規則性という「実」という光を見出したことから、その他の「虚」という闇が黒く悍しく濁りだし、現実味を帯びて来てはいないだろうか。
更に、こちらのにぅま様著、禁后(パンドラ)考察をご覧いただきたい。
【ことば雑考】『禁后』考|にぅま @nedikes #note https://note.com/nedikes/n/n61e941247098
この考察では、なんと今まで不可解とされていた禁后の読み方を明らかにしているのだ。
これを読了したとき、まさに脳天から爪先まで衝撃が走った。
この考察一つで、禁后の生々しい息づかいが聞こえてこないだろうか。隆々たる脈動を感じないだろうか。少なくとも私は、どこまでが虚で、どこまでが実なのか、境界線が曖昧になってしまったような感覚を覚えた。この禍々しい儀式がこの日本の何処かにあっても可笑しくないとさえ思った。
まさしく、数年前に創作されたハナシに、新しい息吹と生命を吹き込んだのだ。
我々もこの考察に倣い、今後とも既存の洒落怖における「実」を掘り起こし、「虚」の部分の闇をより濃く深めていくことを心掛けたい。
結言
種々の浅薄な考察を用いた散文をご覧いただいたが、伝えたいことは、怖ければ真実でも創作でも構わない、怖ければ何を丸パクリしていようが問題ない、そんなホラー至上主義だった洒落怖に並ぶ、若しくは上回るコミュニティが立ち上がればいいな、ということだ。
現在、シン•洒落怖ではDiscordサーバーを運営している。
ホラーを作りたい、でも寛大な心で評価して欲しい。
ホラーを考察したい、稚拙な考察かもしれないけど共感してもらいたい。
大歓迎である。
興味があれば、是非ご連絡いただきたい。
sharekowa.resurgence@gmail.com
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?