きたなそう、という感想
自宅のトイレには暖房がないため、特に夜など非常に寒い。トイレ用のスリッパなどないので、夜中に起き出し裸足でトイレに行くなどする場合は、爪先立ちでよろよろと個室の床を踏むことになる。布団から出て冷たい空気に触れた皮膚には鳥肌が立っている。
少なくともスリッパ、さらに言えば上着を置くべきなのだろう。
しかし考えてみる。トイレの個室の広さは二畳もない。その範囲のためにわざわざそんなものを置く必要が、本当にあるのだろうか?
トイレ用のスリッパや上着だからといって、他のものと製造過程が異なるわけではない。
本来であれば広い部屋を歩き回っていたであろうスリッパや、本来であれば着られてあちこちへ外出されたであろう上着が、二畳足らずの空間に置かれ、たまに使用されるだけの存在になるというのも少し気の毒な気もする。
さらには、上着の方はスリッパよりも衛生を保てなさそうな、なんとなく汚れそうな、そんな気になってしまう。
トイレに上着を置いている方がいたら申し訳ないが、それでも個人的感覚としてなんとなく汚れがつきそうな気がして、頻繁に洗うことが必要な気がしてくるのだ。
かといってそんなことは面倒くさい。だから結局スリッパも上着も置かないのである。
それにしても、なぜスリッパを置いておくことはごく当然のように感じるのに、上着はなんとなく頻繁に洗濯が必要だと感じられるのだろうか。
トイレの床と壁、あるいは床と空間そのものを比べれば、まず間違いなく床の方が埃も雑菌も多いだろう。私たちはトイレ内の空気は吸っているが、床を舐めることはまずしない。
それでもスリッパは気に留めないのだ。
人間の感覚の中でも、体の末端はずいぶん離れたところにあるように感じられているのかもしれない。だから、胴体に着るものは些細な面でも気にしてしまうが、足に履くスリッパは気にしないのだ。
それでもやはり少し不思議なものだ、と感じつつ、私は来冬もまた裸足でトイレに行くのだと思う。
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