首吊り自殺当日③


こんな私のクソイタいオナニーブログを

読んでくれている方がいて嬉しくなった。

自殺は悪いことではない。絶対に。

私は、悪いことをしたとは思うけど

誰かを悲しませたりガッカリさせたとは

思っているけれど、わかっているけれど

私の人生は、私の意思でスタートした訳では無いし、気付いたらウルトラハードモードの社会不適合者としてアラサーを迎えていた。

私はこれまで何度も何度も「生きてたら良いことあるよ〜」と言われてきた。

「大人になったら痩せるよ〜二重になるよ〜」とか

でも結局1ミリも私の生きづらさは改善されなくて年々周りの結婚や出産・社会での活躍を見て絶望していって、

痩せたのも二重になったのも、自分で苦しんで身を削って稼いだからだ。

自然に楽しい人生なんか訪れなかったし、努力しても無理だった。何をしても幸福感が無いのだ。いつも絶望しているのだ。

Twitterに同じような人がいることを知ってから安心した。皆苦しんでいた。多くが風俗嬢や借金に追われている子、家庭環境などに問題を抱えている子だった。世の中では、だから、

「風俗嬢は病んでいる」

「借金をすると…」

「家庭環境は…母子家庭は…離婚すると…」

って精神病と繋げられることが多いのだと思う。

でも、私は思う。

私は、風俗嬢をしただけで病んだ訳でも

家庭環境がめちゃくちゃ悪かったから自殺しようとした訳でもない。

その全てが少しずつ、時にはドシンと積もっただけで、そもそも病んでいる人だったに違いない。

心の容器が小さいのかもしれない。

何をしていても、キャパいっぱいなのだ。

前置きが長くなってごめんなさい。

首吊り自殺をして「死」が見えた時

そこには、痛みも音も無かった。

(あくまで、私の場合は)

そう本当にこの画像の様な感じだった。

画像1

この画像を見ているみたいな気持ちだった。

画像2

首を吊っている自分を部屋の隅から見た。

すごく、悲しい姿だった。

そんな悲しい私をぼーっと眺めている時に

扉が開いた。

ガチャっとドアノブが開いて彼氏が帰って来た。

そこからは、怒られ怒られ怒られた。

彼氏に「で、今後はどうするの?もうしないって約束できるの?」って聞かれた。

ぶっちゃけ、

「もう絶対しません!!!自殺なんて!!!

私は間違っていました!!!」

とは、ならない。なれない。

でも、なんか死んでも私には「無」が

待っている気がした。

画像3

音のない部屋で、この映像のまま

永遠に時がとまるのが私の「死」な気がした。

死んでも幸せにはなれないのが私だ

確信した。

その瞬間、死んだのと同じ気持ちになってしまった。

はい、終了!お疲れ様です。

って感じで、妙にすっきりした。

バターチキンカレーを完食して、ぐっすり寝た。

ご飯をたっぷり食べれたのも、睡眠薬を飲まずに眠れたのも本当に1ヶ月以上ぶりだった。

それから私は精神科の薬をぜーんぶやめた。

勝手にやめた。絶対に良くないけれど、勝手にやめた。

私には精神科の薬は合っていない気がした。

薬をやめてからの方が、若干だが、体調は良い。


こんなことを言うと本当に怒られてしまうと思うけれど

病んだ私➕精神科の薬=意識朦朧の病んだ人

になっただけだった。

だったら意識しっかりの病んだ人の方がコスパ良いな〜仕事も出来るし!と思って私は薬をやめた。

そして余談過ぎるけれど、精神科の薬を飲み始めて1日で性欲が0になって、薬をやめて性欲が戻りました。女の精神安定剤と性欲事情について書いてあるブログは少ないかなと思ったので。

死田




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