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宮部みゆきさん『ソロモンの偽証』/誰かの真実、ひとつの事実。

こんにちは。桜小路いをりです。

先日、宮部みゆきさんの『ソロモンの偽証』を読破しました。

『ソロモンの偽証』は、たびたび映画化・ドラマ化もされている、本好きなら絶対タイトルは知っているくらい大人気の作品。

私自身、小学生の頃に文庫本発売のポスターが書店に大きく掲げられているのを見てから、「いつか読んでみたい」とずっと思っていた憧れのシリーズでした。

一步引いちゃうくらい分厚い単行本で3冊、文庫本だと6冊の超長編ですが、あえて言わせてください。

もしパラレルワールドがあって、そこに、このシリーズを知らずに生きている私がいるなら、今すぐそこに飛んでいって、問答無用で文庫本6冊押し付けて来たい。

そのくらい、「面白い」なんて安っぽい言葉じゃ足らないくらいの圧巻の作品でした。

物語の始まりは、クリスマスイブの夜、柏木卓也という名前の中学2年生の男の子が、学校の屋上から転落死したこと。

当初は自殺と思われていましたが、学校内の札付きの不良が彼を殺したのではないか……という疑惑が生まれたことから、事態は思いも寄らない方向へ転じていきます。

そして、卓也が亡くなった翌年、彼の同級生たちが中学3年生になった夏が訪れ、遂には学校や地域の人たちまで巻き込んだ「学校内裁判」が行われることに。

等身大の中学生の彼ら彼女らの心情、葛藤を、これでもかというほど生々しく切り出した、ミステリーとしても青春群像劇としても傑作のシリーズです。


読み手の「視点」とストーリー展開

この物語は、「俯瞰」で展開していきます。

読み手にある程度、学校の内外でどのようなことが起こっているのかを把握させながら進んでいき、各登場人物の気持ちの深いところまで知りながら物語を追っていくような形式。

なので、登場人物の動きに、「あ~!そうじゃないの……!」というもどかしさを感じることもあれば、「そう!そこだよ!」と大きくうなずいてしまうことも。

一方で、読み手も「柏木卓也はどうして死んだのか」ということは分からないので、登場人物たちと共にその謎を追っていく緊張感も、同時に味わうことができます。なんて美味しい作品。

そして、一見本筋には関係のない描写まで緻密に作り込まれているので、ぜひじっくりと読んでいただきたいです。

もう伏線が完璧すぎて……私は何度も感嘆の溜め息を吐いてしまいました。

早く続きが読みたくてうずうずするのはもちろん、過去の伏線やちょっとした描写がふと気になったりもするので、できればシリーズ全巻を横に積み上げて読むのがおすすめ。

私自身、一度読破したものの、全貌を把握したうえでもう一周したいなと思っています。

等身大の「人間」の心理描写

私のようなひよっこが語るのも畏れ多いのですが……宮部みゆきさんは、すごくリアルな「人間」の描写に長けていらっしゃる気がします。

心の動きだったり価値観だったり、登場人物それぞれが持っているパーソナリティーに、一切無理がないんです。

生々しくて、胸が痛くなるくらい人間らしい。

それが、中学生も、高校生も、彼ら彼女らの父親、母親などの大人、年配の登場人物に至るまで、すごくすごく自然で等身大で。

どんな人物にも自分の心を重ねてしまうし、その人たちの目を借りているような気持ちにさえなります。

登場人物の全員が生き生きとしていて、全員から体温や脈動を感じる小説です。

その臨場感を、ぜひ感じてみてください。

「時代」の中で変わるもの、変わらないもの

『ソロモンの偽証』の舞台は、90年代始めの東京の下町です。

その頃というと、もちろんまだ携帯電話はなくて、登場する中学生たちの連絡手段といえば、家の固定電話か公衆電話、場合によっては家に直接行ったほうが早いこともあります。

インターネットもないので、調べ物をするといえば図書館。

その現在と比べたら不自由な時代背景が、この小説ではすごく登場人物たちのキャラクターを引き立てています。

しかも、時はバブル経済の最中。

好景気によって兎角羽振りがいい家もあれば、「この好景気はいずれ『弾ける』」と分かる人は察知している……というどこか不安定な社会の状況も相まって、「中学生たちが行う学校内裁判」という異色のテーマがより光ります。

田舎町ほど人と人との関係が密ではないものの、大都会ほど全く人に無関心というわけではない、東京の下町が舞台なのもポイントです。

その中で、やはり現在と変わらないのは、思春期の中学生ならではの悩みだったり、考え。

幼い頃の全能感はもうなくなって、でも、現状の全てを「そういうものかな」とあっさり受け入れられるほど、まだ大人ではない。

その揺らぎや震えが本当に緻密に描かれていて、夢中になってしまいます。

時代背景的な「不自由さ」。

かつて中学生だった人なら誰もが感じていた、普遍的な「不自由さ」。

そんな、何重にもなった「不自由さ」の中で奮闘する中学生たちの姿をぜひ目撃してみてください。

『ソロモンの偽証』の「主人公」について

『ソロモンの偽証』は、メインとなる登場人物は多くいるものの、明確に「誰が主人公」とは言い難いストーリー展開が印象的です。

恐らく読み手さんによって、「学校内裁判の発起人である藤野涼子ちゃんが主人公」という人もいれば、「謎の死を遂げた柏木卓也くんこそ主人公」という方もいらっしゃるだろうと思います。

ちなみに私は、この物語の主人公は「真実と事実」なんじゃないかなと感じました。

明確に「誰」と言うのではなく、そのふたつについて訴えかけるためにあるのが、この小説だと思います。

「事実」というのは、例えばこのお話の中で言うと「柏木卓也くんが学校の屋上から転落して亡くなった」という、誰から見ても現実に起こったこと。

その一方で、「真実」は、「嘘偽りのない本当のこと」という意味ではあるものの、それは必ずしも「あらゆる面から見て全く正しいこと」ではありません。

だから、きっと、「真実」をそれぞれに持ち続けている人が二人いて、両者の「真実」が対立していたとしたら、それはどちらか、あるいは両方が「偽証」していることになってしまう。
でも、双方のどちらの「真実」も、それぞれにとっては、「嘘偽りのない本当のこと」なのだろうと思います。

私にとっての「真実」も、他の誰かにとっての「真実」も、ひとつだけ。

『ソロモンの偽証』で彼らが暴こうとするのは、「柏木卓也の中にあった『真実』」です。

その実像に、たくさんの「事実」を重ねていくことで迫っていきます。

その終着点は……ぜひこのシリーズを読んで、誰でもないあなたの目で、心で、確かめてみてください。

読了後に胸に残る、余韻のような残響が、きっとあなたが目撃した『ソロモンの偽証』の、あなただけの「真実」であるはずです。

まとめ

突然ですが、「天秤座」の「天秤」って、「善悪」を量るものだそうです。
それを誰が持っているか、ご存知でしょうか。

あの天秤は、乙女座になった女神アストライアーが持っています。

なぜ、正確を期するべき天秤が、乙女の手という不安定な場所に委ねられたのか……『ソロモンの偽証』を読みながら、私はそんなことを考えました。

『ソロモンの偽証』は善悪の物語ではないものの、はっきりと分けられないそのグラデーションにこそ、神話の時代でも現代でも変わらない「人間らしさ」がある気がします。

さて、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

文庫版『ソロモンの偽証』の第6巻には、書き下ろし中編も収録されていますので、個人的には文庫本で読むのがおすすめ。

文句なしの傑作ですので、ぜひお手に取ってみてください。

今回の見出し画像は、「夜」と「月」のイメージでAI生成した天秤のイラストです。言葉を変えて2、3回生成したのですが、我ながら上出来。


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