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つながりゆく心の温かさ〜瀬尾まいこ『掬えば手には』〜

こんにちは。桜小路いをりです。

先日、瀬尾まいこさんの『掬えば手には』を読み終えました。

この物語の主人公の梨木くんは、勉強も運動も真ん中の順位で、「普通であること」がコンプレックスな大学1年生。

しかし、彼は中学・高校でのとある出来事から、「自分は人の心が読める能力をもっているのではないか」と感じています。

でも、その能力は、取り立てて「超能力」というほどはっきりとしたものではなく、「偶然」とか「ちょっと鋭いだけ」と言われたらそれまでのもの。

でも、そんな力を時たま発揮しながら、同級生の河野さんを始めとした友達と、何不自由なく大学生活を謳歌しています。

そんな梨木くんの日々がほんの少し変わるきっかけとなるのは、アルバイト先のオムライス屋に新しくやってきた、バイトの常盤さんの存在です。
嫌味でいじわるな店長の言葉も意に介さず、梨木くんの言葉にもほとんど反応を示さず、黙々と働く常盤さん。

しかし、ある日、そんな壁のある態度とは真反対の、無邪気で明るい「声」が常盤さんから聞こえるようになるのです。

「人の心が読める能力」は本当にあるのか。
人と人の関わりの温かさ、想いや心が通じ合うことの尊さを、柔らかに描き上げた小説です。

この作品の魅力は、何と言っても梨木くんの人柄とその優しさ。

梨木くんは、「人の心が読む」だけでなく、その人がどんな言葉をかけてほしいのか、どんなふうに立ち回ればその人の手助けになるのかを考えて、きちんと「行動」に起こせる人物です。

お節介だし時折向こう見ずだけれど、その人のために「行動する」ことができる「優しさ」が、梨木くんの何より素敵なところ。

そして、梨木くんのいいところをきちんと分かって、傍でさりげなくサポートする河野さんが、これまた素敵な人です。

瀬尾まいこさんの爽やかで温かなストーリーが、思わずはっとする眩しい言葉が、私はやっぱり大好き。

派手な事件も甘酸っぱい恋愛もないけれど、読み進めるたびに心が「きゅん」と感動の音を立てるような、そんな作品でした。

勝手に人の心を読んで、相手をわかった気になるのはたやすい。勇気を振り絞る必要もないし、相手も自分も傷つかず恥もかかずに済む。だけど、目の前の相手に踏み込むのは難しい。誤解もわだかまりも照れ臭さも生まずに、都合よく人の心に触れられるなんてことはないみたいだ。

「人の心を理解する」というのは、本当に難しいことです。どんなに「分かった」と思っても、そこには必ず綻びがあって、本人にだって「分からない」ことを、他人が「分かる」わけがなくて。

でも、「分からない」ということを理解しているからこそ、一緒に出かけたり、会話をしたりして、「分かろうとする」ことができるのだと思います。

その過程で、どちらか、あるいは両方が少なからず傷つくことも、あるかもしれない。
でも、その傷は、またひとつずつコミュニケーションを取り合って、言葉を重ねることで修復できる。

もしかしたら、それまでに互いに重ねてきた時間と言葉こそが、傷の薬になりえるのかもしれません。

そう考えると『掬えば手には』は、「心と心を言葉で繋いで、抱えている傷を癒やす物語」と言える気がします。

あるいは、「癒えない傷痕をそのまま抱えて生きる、生きていくことを肯定する希望の物語」とも捉えられます。

私は、どんなに「人の心を読む力」があっても、それをもとに行動できたり、言葉を選んで贈ったりできなければ、それは全くもって意味のない能力なのではないかと感じます。

だとしたら、梨木くんの力は間違いなく「行動できるところ」まで含めて才能で、それは、神様からのギフトなんじゃないかな、と。

私は、そんな感想を懐いています。

『掬えば手には』、ぜひ、お手に取ってみてください。

繋がりゆく人と人の心に、その尊さに、胸がいっぱいになるはずです。

今回お借りした見出し画像は、陽だまりのような温かさを感じるイラストです。『掬えば手には』、実体はなくても確かな温もりを感じる光があることを。そんな祈りを込めて。

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