【キャリア相談】 我々は先の戦争から何を学んだのか (50歳・会社員)
福岡市にお住いの50歳の会社員Sさんから頂いた相談を紹介します。
そこで今回は、Sさんのキャリア相談「先の戦争から我々は何を学んだのか」を頂戴して、「我々は先の戦争から何を学んだのか」を「学びに変えるチャンス」にしたいと思います。
【私ならこうする】
子供の頃、親や祖父、祖母から先の戦争の話を何度か聞かされましたが、
戦後生まれの私にとってリアリティがなく関心の薄いテーマでした。
そんな私にとって「先の戦争」に強いキッカケが訪れました。
それは作家の司馬遼太郎氏がテレビ番組で語った次のコメントです。
(氏は戦中 学徒動員で戦車兵になり、本土決戦の準備中に敗戦を迎えた経験を持つ方です)
「敗戦した時、我が国は
「なんとくだらない戦争をしてきたのか」
「いったいなんでこんなことになってしまったのか」
という強い問題意識を抱いたことが日本史への関心につながりました」
敗戦国の現実
「先の戦争」はなんだったのか?
私が(関心の赴くままに)訪れた先で、感じたことをお伝えします。
【まず私が住んでいる杉並区】
① 富士見ヶ丘駅近くの、旧陸軍のB29迎撃高射砲が設置されていた旧NHKグランド(現在「高井戸公園」)を訪れたとき、
→子供達のはしゃぐ声を聴きながら目をつぶると、目に映っていたカラーの景色がモノクロに変わる錯覚を体験しました。
② 高井戸駅近くの旧陸軍の特殊情報部に接収された高齢者施設の浴風会病院を訪れたとき、
→買い物をした(院内)売店の若いスタッフにそのことをお話したら「ここに毎日通っていますが、この病院にそんな歴史があったとは知りませんでした」と打ち明けてくれました。
【町中が火に包まれた墨田区】
③ 両国駅近くの、大空襲で甚大な被害を受けた場所に立つ東京都復興記念館を訪れたとき、
→普通の生活が一瞬にして断ち切られた様をナマナマしく伝える数々の遺品や写真に息を呑みました。
【山本五十六の生誕地 新潟県長岡市】
④ 新潟県長岡市の山本五十六記念館を訪れたとき、
→高齢のボランティアガイドさんが「私たち年配者は山本五十六に対して複雑な気持ちを持っています。彼の生地と言うだけの理由で、罪無い多くの長岡市民が大空襲で犠牲になりましたから」と教えてくれました。
【特攻隊基地の知覧と飛行訓練所の太刀洗】
⑤ 鹿児島の知覧特攻平和会館と福岡の太刀洗平和記念館を訪れたとき、
→特攻隊基地の知覧では、16歳17歳18歳のまだあどけない特攻兵の顔写真を見て遺書を読んで目が潤みました。
→飛行訓練所の太刀洗では、
空襲で多くの小学生が巻き添えになった場所(先生と共に逃げ込んだ大木のあった場所)に立ち手を合わせました。
【原爆が投下された広島】
⑥ 原爆が投下された広島市の広島平和記念資料館を訪れたとき、
→空から大量にばら撒かれた「新型爆弾の投下を予告する大量のビラ」の現物を見て改めて当時の指導者たちに対する怒りがこみ上げてきました。
戦勝国の理屈
フランスの思想家 ルソー は「戦争および戦争状態論」の中で、
戦勝国の最終目的は、
敵対する国家の主権と社会契約を変更させることにある。
と述べていますが
アメリカを中心とする戦勝国は ルソー の言葉通り、
・敗北した日本とドイツの「憲法」を書き換え、更に日本では「天皇制」を根本から変更させました。
・軍部は、戦前戦中「先の戦争」を「大東亜戦争」と命名していましたが、
GHQは、対米戦であったことを強調するために呼び方を「太平洋戦争」に
改めさせました。
・またGHQは、国民に天皇の補佐を求める「教育勅語」を廃止しました。
敗戦国民に残ったモヤモヤ
最後に、読売新聞が【終戦から60年後の戦争の見方】と題して掲載した世論調査の記事(2005年10月27日付)を紹介します。
(質問)中国との戦争、米国との戦争は「日本からの侵略戦争」と考えるか
・ともに侵略戦争 34.2%
・中国との戦争は侵略戦争だったが、
米国との戦争は侵略戦争ではない 33.9%
・ともに侵略戦争ではなかった 10.1%
・無回答 21.8%
中国との戦争に関しては7割近くの日本人が
「日本からの侵略戦争」と答えています。
(質問)日本の政治的指導者、軍事的指導者の戦争責任は十分に議論されたか
・十分に議論されてきた 5.6%
・ある程度議論されてきた 24.6%
・あまり議論されてこなかった 43.2%
・全く議論されてこなかった 14.7%
・無回答 21.8%
「あまり」と「全く」を合わせると6割近くの日本人が
「議論が十分ではない」と答えています。
日本軍の死者数70万人ともいわれる日中戦争
民間人も含め300万人の犠牲を出した日米戦争
この先、この2つの戦争を引き起こした当時の指導者に対する戦争責任を
議論する気運が生まれてくるかどうかは分かりませんが、
私は当時この記事を目にしたとき、
先の戦争に対して「モヤモヤ」を感じているのは自分だけではなかったことを知り、この国の将来に微かな期待を感じたことを覚えています。
ご相談の答えになりませんでしたが、この「モヤモヤ」をアナタと共有したくなりました。
私たちの輝く未来のために!
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