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私の本棚 #6 1は赤い。そして世界は緑と青でできている。

「知ることができない世界」を知ることができる本です。

1は赤い。そして世界は緑と青でできている(飛鳥新社 望月菜南子 著)

この記事は
Part1 構成と特徴
Part2 印象的だった内容
Part3 この本を読んでの私の意見

と言った構成になっています。

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Part1 構成と特徴

はじめに

「共感覚」ってご存知ですか?

視覚や聴覚などにおける特性のことであり、

1つの刺激に対して2つ以上の感覚を感じるという知覚様式
(本書より引用)

のことを指しています。
実は私も持っている、かもしれないのですがその話は記事の後半で。
まずは具体例も兼ねて、簡単に著者のプロフィールをご紹介しましょう。

**********

著者の望月菜南子さんは現役の大学生で、今回のテーマとなる共感覚の持ち主。
文字に色を感じる色字という種類の共感覚があり、人の名前や日付など、文字に変換できる情報を知覚すると、それに応じた色が見えてくるという特性を持っています。

望月さんは数字、かな文字、アルファベットに対して色を感じる特質で、
数字の1は赤、2はピンク、かな文字の な は緑、アルファベットのRは黄色など、文字ごとに色が厳密に割り振られているのだそう。
(この一覧は本書の中でまとめられています)

しかもこれらはご自身が「この文字はこの色」と決めたわけではなく、気づいたら、自然と見えるようになっていたもので、
それを当たり前に過ごしていたために、他の人にはない感覚を持っているということ自体に気づかなったとのこと。

今では生活の中でこの特別な感覚を活かせるようになり、
場所や予定を記憶するのに「色」を使った独自の方法を編み出したりもされているそうです。

**********

本書では共感覚を持っていてよかったと感じられることや、持っているが故に苦労したことなど、
幼少期から現在に至るまでの様々なエピソードが綴られています。

構成としては非常によくまとまっているように感じました。
横文字などの難しい表現が少なかったり、体験談ではその情景がイメージできるような的確な言葉が用いられていたりと、好感を持てる内容でした。

しかし自分たちが見ることはできない世界を理解するものだから、文章を読んでそれを噛み砕くのにとても時間を使いました(笑)
逆にいうと、その世界をしっかり解釈しようと前向きになっている(実際とても興味が湧きました)証拠と思われるので結果的にはよかったのですが、予想に反してボリューミーな読書時間になったような気がします。

この記事をまとめるにあたって二周目に突入したのですが、やっとさらさら読めるようになってきました。
色字の世界を想像する余裕も出てきたので、このまま完走すればまた新しい世界が見えてこられそうです。

Part2 実際どうなの、共感覚

そうはいっても、実際にはどう見えているの?と疑問に感じられる方もいるのではないでしょうか。

結論から言うと、見え方は人によって異なるそう。
更に、色字は文字の組み合わせや書かれている状況などによって変わってくるようで、一概にどうである、ということは説明ができないようでした。
本書ではこのことについてFAQ形式でまとめられている部分があったので、一部引用として掲載します(掲載の形式を変更してあります)。

Q.色付きで書かれた文字はどう見えるの?
A.私には「あ」が赤く見えるが、これは「あ」が黒いインクではなく青いインクで書かれていても赤く見える。ただし、これには例外がある。
例えば、文章として陳列している文字が一つ一つ違う色でカラフルに書かれている場合は、共感覚によって見える文字の色はものすごく弱くなる。
Q.赤、青、緑などの「色の名称」の漢字は何色なの?
A.「漢字の色はその読み方のひらがなの頭文字の色に見える」
これが原則なのだが、なんと、「色の名称」の色は基本的にはその漢字が指している色に見える。
Q.文字を読んだり書いたりせず、音声を聞いたときにも文字の色は見えるの?
A.人と普段、会話をしているときに文字の色が見えることはない。
しかし、約束ごとを言われたり、授業中に先生に言われたことを頭に叩き込まなければならないときなどに、その言葉に意識を集中させると色が見えることがある。

いかがでしょう。これを見て、「なるほど、こういう感じね!」とイメージできる人はなかなかいないと思います。
しかし共感覚の研究者曰く「それを理解するためには直接経験するしかない」とのことなので、自分なりに想像ができれば十分なのかもしれません。

個人的には数日でもいいので体験してみたいな、とは思いました。
今まで見たことがない色彩を感じることができるだなんて素敵じゃないですか。
最近は色覚補正のメガネがあるくらいだから、普段の世界のいろどりを変えるツールが出てくるかもしれませんね。

Part3 人の特性に向き合うこと

実は、私も共感覚を持っているのではないかと考えたことがあります。
種類としては、音に色を感じる「色聴」。
それも単一の音に対してではなく、和音に対してこの認識が働くのです。

以前「蒼夏」という音楽作品を投稿した際に書いた記事でもまとめましたが、私は調性に対して色彩の意識を持っています。

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この「調と色」を参考にして曲を作ることもしばしばあったりと、私の作品作りの確かな指針になっています。

しかし、実のところ直感的にこの色を感じとるのは半分くらい。それ以外については「もし表現するとしたら」という程度な上、曲の雰囲気によってそれが変わったりします。
学術的に認められるかどうかわからないので、せいぜい「自称共感覚者」としてこれからも創作活動に精を出そうと思います。

と、私が共感覚について語れるのはこれくらいなので…
「特性」という観点から改めて見ていきましょう。

Part2でも説明した通り、共感覚によるものの見方というのは非共感覚者には分かりません。
以前取り上げたHSPもそうですが、そうである人とそうでない人で主観の相違が生まれるのが、こういった特性の常なのです。(HSPの記事は最後にリンクを貼っておきます)

それ自体は仕方がないのですが、問題はその後。つまり、

人に特性があることを知った時、それとどう向き合うか

ということ。

正直 「文字に色が見える」と言われても、理解するのは難しいわけです。
私は単語をイメージしてもそれに色彩を感じることはないし、これまでそういった感覚を持つ人に出会ったこともない。言ってしまえば、私の「普通」の範疇を超えています。

ではそんな人と相対した時、どうすべきかと考えた時に

あまり考える必要はないのかな、と思ったのです。

こうやって書くと少し冷たく見えるかもしれませんが(笑)
自分には見えていないのだから完全な肯定はできないけれど、逆に見ていないからこそ否定はできない。

深く考えずに「そんな人もいるんだな」でいいんです。

残念なことに、共感覚は病気だと思っている方もいらっしゃるよう。
本人の私生活に支障をきたす場合なんかは「病的」と捉えられることもあるかもしれません。が、それはあくまで主観の話。
客体として捉える側はそんなシビアな切り分けをせずに、ただただ個性として受け入れるだけで十分だと思うのです。

以前に比べて個性や特性が認められる傾向にはなっていますが、個人的にはまだまだその余地はあると思います。
そしてその余地を埋める手っ取り早い方法は、多くを知ることだとも思っています。
自分の知らないパーソナリティにどんどん触れ、人のライブラリを広げていく。それこそが、この多様化社会で柔軟に生きていくコツなのかな、なんて大仰にも考えたりするわけです。

人を傷つけるような病人扱いや差別は即日撤廃。自分も他人もゆったり許容できる余裕を、常に持っていたいものですね。


↓HSP関連の記事はこちら↓


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