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「密室」本編

櫻井は103号室のチャイムを鳴らし、乱暴にノックをして「大黒」と呼びかけた。

部下の長谷川と目を合わせて1、2、3秒と待つ。応答はない。「開けるぞ」とドアの向こうに声をかけてからドアノブを捻った。が、鍵がかかっている。

長谷川とこのアパートの大家、それぞれと目を合わせて頷いた。

「お願いします」

櫻井が大家に小さく頭を下げる。大家は神妙な面持ちで103号室のスペアキーを取り出し、鍵穴へ挿れた。

昨日、この部屋の住人である大黒雅也が空き巣で逮捕された。

空き巣の被害者から現金と高級腕時計がなくなっていると訴えがあったが、大黒が所持していたのは現金2万円だけだった。盗んだものはどこへ消えたのか。捜査三課の刑事である櫻井は、部下である長谷川とともに、窃盗物が他にないかを確認するために家宅捜索に来ていた。

「開きました」

大家がドアを大きく開けた瞬間、むわっとした死臭が襲いかかってきた。一気に緊張感が高まる。櫻井は目を見開き、部屋の中をざっと見渡した。死臭の原因になりそうな影が一つ。すぐ側で腰を抜かした大家が尻もちをついたが、構っている時間はない。

「行くぞ」

玄関口から部屋一面を見渡せるワンルームの作りで、こたつに突っ伏している女がいた。女の背中には包丁が突き刺されており、飛び散った血液が一帯を汚している。息を止めて女に近づくが、すでに死んでいるのは明らかだった。

長い髪の毛を茶色に染めた30代後半。濃い化粧が乾燥してひび割れていた。念のため震える大家に顔を確認させたが、一度も会ったことはないという。

長谷川に指示して鑑識を手配させた。部屋は手狭で所狭しと物が溢れている。ベランダに面した大きな窓がこの部屋にある唯一の窓で、青色のカーテンがかかっていた。窓の鍵はたしかに閉まっている。窓の鍵を開けてベランダを確認するが、ゴミ袋が2つあるだけで特に異常はない。

換気のために窓は開けておくことにした。長谷川も新鮮な空気を求めて窓際までやってきた。

「大黒の交際相手か」

所々血液で赤黒く染まった女の背中を見下ろしながら、櫻井はつぶやいた。43歳の大黒とは年も近そうだし、それなりの関係だったのかもしれない。

「そうかもしれませんね」

発見時刻や経緯を手帳に記しながら、長谷川はため息をついた。嫌なものを見つけてしまったという思いは俺も一緒だった。よく晴れた秋の日で、外からは子供達の遊ぶ声がした。改めてベランダ側から部屋を見回すと、こたつの上に置かれた日本人形に気がついた。

「なんだこれ」

赤色の着物を着たおかっぱ頭の人形は、死んだ女を見下ろすような冷ややかな表情だった。安っぽい作りで窃盗品というわけでもないだろう。手に取ってみると着物の隙間からポトリと何かが落ちた。銀色の鍵だった。

櫻井がハンカチ越しにその鍵を摘まみ上げる。

アパート前のベンチで休んでいた大家に確認すると、この部屋の鍵で間違いないようだ。試しに鍵を鍵穴に差し込むとガチャリと閉じた。大家曰く、この部屋の鍵はスペアキーを除いてこの一つだけで、しかも、合鍵を作るにはマンションへの申請が必要だという。

一本しかない鍵が室内にあったとすれば、この部屋は密室だったということになる。女は背中を刺されているから自殺の線は薄く、ほぼ間違いなく他殺だ。

「いわゆる密室殺人事件というやつですね」

三課は主に窃盗事件を扱い、殺人事件は扱わない。この事件は捜査一課に指揮が渡るはずで、部下は他人事のように呟いた。


遺体発見から三日が経った。

結局、大黒の自宅から高級腕時計や盗品らしいものは見つからなかった。被害者を厳しく問い詰めると、保険金が欲しくて腕時計が盗まれたという嘘をついたと告白した。三課としての仕事は空き巣の立件のみになり、捜査の指揮は一課に渡った。

遺体の写真を勾留中の大黒に見せると泣き崩れたそうだ。読み通り交際相手の女で、名前を橋口桃子と言うらしい。

解剖の結果、橋口の死因は刺傷による出血性ショックで、血中から睡眠薬や麻薬成分は検出されなかった。死亡時刻は櫻井たちが発見した日のおよそ二日前で、大黒にその日のアリバイはない。包丁の柄に指紋は残されておらず、部屋からは橋口と大黒以外の指紋は出てこなかった。

コタツに入っているところを後ろから刺されていたので、犯人は被害者と親密な関係であった可能性が高い。しかも部屋は大黒の部屋だ。大黒と橋口が二人で過ごしている時に、隙を見て大黒が後ろから包丁で刺した、と考えるのが自然だろう。

捜査一課の見立ても同じで、大黒が隠し持つ合鍵の存在が証明できればすぐに立件できると考えたようだ。近所の鍵屋への聞き込みや、大家の持つスペアキーの保管場所などを確認したが、どちらにも引っかかるものはなかった。

状況からは大黒による犯行が最も疑われるが、密室の理由が説明できない。密室の謎が解けない限り、大黒は無実ということになってしまう。一課は相当手こずっているようだった。


遺体発見から4日目の夜、櫻井は長谷川を誘って小料理屋を訪れていた。

「あの事件、結局どうなるんですかね」

長谷川は相変わらず人ごとのように話した。櫻井はとりあえず生を二つ、と女将さんに頼み、温かいおしぼりで顔を拭いた。

届いたビールで乾杯し、喉を潤してから長谷川に向けてつぶやいた。

「解決は難しいだろうな」

櫻井はあの日の大家の話を思い出していた。大黒の部屋で鑑識の捜査が始まり、手持ち無沙汰になった櫻井と長谷川は、アパート前のベンチで大家に最近何か変わったことがないか尋ねたのだ。

「事件には関係ないと思いますけど、大黒が、捨てても捨てても部屋に戻ってくる、呪いの人形?みたいなものがあって、代わりに捨ててくれとか言って人形を渡してきましたよ。日本人形みたいなやつ」

部屋にあった赤い着物の人形を見せると、大家は目を瞬かせて驚いた。

「そうです、それそれ。私が一週間前のゴミの日に捨てたはずなんですが、それ、どこにあったんですか?」

あの時、大家に嘘をついている雰囲気はなかった。

女将さんが出してくれた突き出しの芋の煮物を口に放り込む。塩気が効いていてビールに合う一品だった。

「例えばですよ。例えばですけど」と慎重な前置きで長谷川が話し始めた。

「大黒が橋口を包丁で殺害し、鍵を閉めて部屋を出た後、呪いの人形に鍵を仕込んで捨てたってのはどうですか。放っておけば呪いの人形は部屋の中へ戻る。これで密室殺人事件の完成です」

言い終わると照れたように長谷川はジョッキを傾けた。まるで酔っ払いの戯言です、と判を押すような態度だった。大黒が呪いの人形を持っていたなんて話は一課に報告しなかった。

「櫻井さんはどう思いますか。一課があれだけ調べても合鍵の情報が出てこないってことは、もう残された可能性は呪いの人形しかないですよ」

櫻井は苦々しい気持ちで長谷川の話を聞いていた。呪いの人形なんて信じるタチではないが、この事件はそうだとしか言いようがない。長谷川の推理のように、呪いの人形に悩んでいた大黒が、その特性を生かして密室を作り上げたのだ。

「お前の言う通りだと思う」

現実的な可能性は一課がしらみ潰しに調べたはずなのだ。それなのに事件が解決していないと言うことは、残りは非現実的な可能性ということになる。

「それで相談なんだが」

櫻井は少し間を置くために枝豆に手を伸ばした。長谷川がなんですか、と身を乗り出してくる。

「どうすればその呪いは解けるんだ?」

鞄から取り出した赤い着物の人形を見て、長谷川の笑顔が凍りついた。事件現場でこの人形に触れた日から、捨てても捨てても人形が家に帰ってきて困っているのだ。

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