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下水

7日目の残業の夜だった。
下水処理場の所長である私は、深夜遅い時間までパソコンと格闘をしていた。日々処理場に溜まっていく下水をどうにかしないといけないのだが、何が悪いのか、どうしても下水が減っていかない。
とりあえず部下は皆帰らせて、一人で残業を続けていた。

パソコンのブルーライトに目をやられ、頭に熱がこもってきた頃、窓の外のギラギラした光に気がついた。ちょうど下水処理場の辺りだった。
記者だろうか、と目を凝らしたが眩しすぎてよくわからない。下水処理場の付近には住宅街があり、最近の異臭がひどいとクレームが入ったばかりだった。
懐中電灯を手にし、光が落ちた場所に向かった。はじめは車のヘッドライトだと思っていた。記者であろうと、不法侵入者は発見次第警察へ通報をしなくてはならない。

下水処理場のど真ん中に落ちた光に近づいていくうちに、それが丸く全方向に光を発していることに気がついた。どうやら車ではなさそうだ。それに少し浮かんでいるように見える。あれは一体、なんなのだろう?
眩しさに目をしかめながら近づくと、人型の影が見えた。
「すみません、ここで何をされてるんですか?」
警戒心をこめて、語尾を強くして聞いた。怯むのか、それとも開き直るのか。相手の反応次第でこちらもとる行動が変わってくる。いつでも動けるように重心は後ろに引いていた。
返ってきたのは平坦な声だった。

「私たちは、宇宙人です。敵意はありません。これは契約に則った行為で、あなたに一切の危害を与えません」

内容をすぐには理解ができなかった。宇宙人?・・・契約?分からないことだらけだった。次第に光に目が慣れてきて、発光体の詳細が見えてきた。ネットで見るような、銀色に光る宇宙船だった。
右足を一歩引いて、逃げる準備を整える。人型の影の姿も見えてきた。全身が銀色で、目は昆虫のように大きい。いつか映画で見たような宇宙人の姿そのままであった。

「逃げないでください。誰かに報告をすれば、それだけ記憶を消す人間が増える」

記憶を消すということは。
「殺すということか?」
宇宙人は鼻で笑ったようだった。人を嘲るような笑いだった。

「危害は加えないと言ったはずです。どうして地球人は、宇宙人が攻撃的だと信じている?地球より進んだ文化と、宇宙空間を行き来する科学力を持った私たちがあなたを殺す?利益のないことはしない」

ふっと宇宙船の光が消えた。再び暗闇に包まれた下水処理場で、宇宙人の銀色は見えなくなった。逃げようとしているのか。姿は見えないが、気配はまだそこにあった。私は闇の中で叫んだ。
「じゃあ契約ってなんだ、誰がそんな契約を結んだって言うんだ」
握り込んだ手には汗をかいていた。暗闇からまたあの平坦な声。

「宇宙船のエネルギー生成に地球人の尿や便が必要なんです。だから私たちは地球人を殺さない。あなたたちが石油を捨てたりしないように。下水処理の方法がわからないから、あなたが契約したいと言い出したんじゃないですか」

宇宙人の手が私の方に伸びてきた。攻撃か、と思い逃げようとしたが遅かった。頭に電流のようなものが走り、私は今日一日の記憶を失った。

宇宙人は船に乗り込み、また宇宙空間へ飛び立っていった。

翌日、溜まっていた下水がすっかりなくなっていた。部下たちは喜び、どう下水を処理したんですか、と聞かれたが分からなかった。もう何十年も、下水を処理する方法を知らないのだ。

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