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「信用できるから」

 年末や盆をのぞくほぼ毎週末にある仕事に電車で行く途中、高校時代に通学で乗り換えのために下車していた駅を通る。寝つきの良かった日でも必ず中途覚醒してしまう決して深いとは言えない睡眠と、始終何かものを考えてしまうこの脳のためか、電車に揺られているとすぐに眠気を催し、二駅目に着く頃にはもう浅く眠ってしまっていることも少なくない。けれど、停車する度に意識は戻ってくるので、比較的目が覚めているときなどは、その駅に停まると、車窓の向こうに見える乗り換えていた路線の車両を眺める。その少し左奥には、当時気になっていた同級生が通っていた予備校も見えて、何度見ても懐かしさが込み上げてくる光景である。
 電車が動き出すと、またうつらうつらしてきて、ふたたびまどろみと覚醒の繰り返しに戻ってしまうのだが、そのなかで夢のかわりに当時の記憶を見ているようなときがある。最近見たのは、卒業式以来一度も会っていない、インターネット上でのつながりさえ今でもまったくない、ある同級生のことだった。
 彼女とは二年、三年と同じクラスだったはずだが、よく話すようになったのは、三年のときだったと思う。とりわけ、その年の秋ごろだったか、席が前後になったときは、お互いにその周りに仲の良い同性がいなかったこともあって、ほんとうによく喋った。席替えを頻繁に行うクラスではなかったので、期間も長かったような気がする。私には、あまり人前でふざけたりするような性向はないが、彼女には、今思うとまったくセンスのない冗談などをよく言っていた。彼女と何をそんなに話していたのか、具体的にはあまり覚えていないのに、その恥ずかしい記憶に限って鮮明に残っている。音楽のことばかり考えている変わり者の私のその冗談や話を、うっすらと茶色がかった長い髪をシンプルに後ろで束ねた、小柄だけれど見るからに運動部だとわかるような健康的でさっぱりとした明るさを持った彼女は、「くだらないけど、S君が言うから笑える」と言って面白がってくれた。
 そんなふうにして毎日笑いながら話していたので、あるとき、今でも定期的に四時間ほど語り合う同じクラスの友人から「Yさんといつも話してるね」と言われた。同じころ、彼女のほうも、彼女の友人から同じことを言われたと話した。年頃ヽヽであるし、私たちの間に特別な感情が萌しているのではと遠回しに探りを入れたのだろうか。そうだったのだとしたらもちろんそれは誤解だったが、傍目にはちょっとそう思えなくもないほどには打ち解けている様子だったかもしれない。
 そのとき彼女は、「あんまり男子とは話さないけど、S君は信用できるから」と答えたと言った。そういえば彼女は、受験校やあまり好きではない人のことやその理由といったことを、特に尋ねなくても私に話してくれていたことを思い出したが、確かにそれらは、「信用」している人にしか話したくないことだろうし、話せないことだっただろう。
 その言葉を聴いた私は、自分はそんな「信用」に足る人間ではないと思って、後ろめたいような気持ちになった。ちょうどその少し前、想いを寄せていた別のクラスの人に、ある意味で嘘をついてしまっていたことを打ち明けたことをきっかけに、交流を絶たれてしまった。その「嘘」は、感情をコントロールできなくなって相手との距離の取り方がわからなくなった挙句についてしまったというようなものだったが、まさに信用を失って絶交されるという経験がショックで、その失敗を毎日悔いていたのだった。
 今にして思えば、友人に対してとそれ以上の感情を抱いている人に対してとでは、接し方が変わってしまうのは自然なことなのだから、「嘘をついてしまった自分」が本質で、「信用される自分」は本質ではないなどという粗雑な自己分析で自分を責める必要などなかったのだが、十八の私にはそう冷静に考えることができなかった。
 しかし同時に、その好きだった人との関係はもう戻らないけれど、彼女が私に抱いているこの「信用」は裏切りたくないとも思った。高校を卒業して彼女と会わなくなってからも、たとえば人が何か大切な話や思いを聴かせてくれたときには決してそれを他言しないようにしたり、必要以上にこちらから話を引き出そうとせず、相手が話し出すのを待つ姿勢を取るといったことを、ほんとうにできているとは言い切れないけれども、少なくとも心がけ続けてはきたつもりである。思慮に欠けるふるまいをしてしまったり、恋の状態に陥ると相変わらず適切な距離感がわからなくなって相手を困らせたり、人を傷つけたりといった恥も一方では重ねてきたけれども……。
 まどろみから脱して目的地に着き、仕事が始まるまでの時間にソーシャルメディアで彼女の名前を検索してみた。それらしきアカウントを見つけたが、投稿もなければ誰もフォローしておらず、アカウントだけ持っていて放置してある様子だった。
 少し前のある日、まだそれほど親しくはないある人が、個人的な話をこぼしたあと、「Sさんには話しても大丈夫かなと思って」と言った。
 その人が私の何を見てそう思ってくれたのかはわからないが、その「何か」は、たぶんあのとき彼女が言った「信用できるから」という言葉に支えられているのだと思う。




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