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『キャリアワープ』 ~天職拓いた人生図鑑〜

※本記事は、宣伝会議 第47期「編集・ライター養成講座」の卒業制作として作成しました。

「天職」ってなんだろう?
人生100年時代で一生における働く期間が大いに延びた。一方でAIの台頭によりこの先無くなっていく仕事が山程あるらしい。

今の仕事を続けるべきか、新しい道を模索するか?正解の無い時代に働き方、さらには生き方に悩む人も多そうだ。

イラスト:ゆざわひろゆき

そんな中、悩みながらも自分なりの天職を見つけた人達がいる。彼らは世間の常識に縛られず、一風変わったキャリアアップ、もはや〝キャリアワープ〟とも呼べるような大きな転身を果たした。本記事では天職にキャリアワープした3名にインタビューをした。

1人目は個人事業主から「霊媒師」兼「YouTuber」に転身した男性。

2人目は会社員から「ゲストハウス管理人」「ラジオパーソナリティ」「イベントプロデューサー」に転身した男性。

3人目は介護職員から40代半ばで「絵本作家」に転身した男性。

彼らはこれまでどのような人生を送り、どのようにして今の天職に辿り着いたのだろう?そこには三者三様の輝く生き方があった。



【人生図鑑①】漫画家の夢を挫折し、イラスト制作個人事業主から「霊媒師」兼「YouTuber」に転身

「霊媒師」という職業をご存知だろうか?世間的には怪しいというイメージを持つ方もいるかもしれない。
埼玉県を中心に活動する霊媒師「日々」氏(38)。世間からどう思われようと、自身の天職に誇りを持っている。日々氏の印象はとにかく優しく、ユーモアに溢れる。相手の悩みを「霊視」というスキル(?)で解決したり、人生のアドバイスをしたり。さらにYouTubeチャンネル『日々ch』も運営。日々氏の底知れぬ優しさと感性は、これまでの多くの挫折経験にルーツがあった。


日々氏(38)


少年時代の日々氏は、クラスの中心の活発な子供だった。変化があったのが中学1年生の時。ある日の給食時間、突然何の前触れもなく、自分の存在理由がわからなくなる。繊細な独自の感性ゆえ、人とのコミュニケーションの取り方も見失い、そこからの3年間は心を閉ざし続けた。暗いトンネルの中で、唯一の心の拠り所が「漫画を描くこと」だった。

高校に入るも数ヶ月で中退。翌年別の高校に再入学することに。そこから卒業まではひたすら漫画を描き続けた。クラスでは変わり者と認識され、いじめにも遭った。自分は普通のサラリーマンにはなれない。将来は漫画家になろうという気持ちが芽生える。辛い思いは、全て「表現」のための修行。漫画家になれば全てが報われると信じていた。

大学に進学。ジブリ作品が好きで、将来は宮崎駿氏の弟子として漫画家デビューしようと考えていた。一方で「本当に漫画家になれるのか?」という疑問も。時は経ち、卒業の時期が近づく。就職活動は一切せず、一縷の望みをかけて作品をスタジオジブリに持ち込むことを決意。魂を込めて作品を作った。勇気を出して持ち込んだ作品だったが、受け取ってもらうことはできなかった。その瞬間、自分は漫画家にはなれないことを悟った。これまでの人生は一体何だったのだろう?日々氏は生きる目標を失ってしまう。大学卒業からも就職はせず、実家でふさぎ込む毎日。どん底の4年半が過ぎた。

不思議な転機となったのが27歳の時。テレビに「未来が見える霊媒師」が出演していた。なぜかわからないが、ふと会いに行ってみることに。この時の出会いがその後の人生を大きく変える。初対面の霊媒師に、60分のカウンセリングを受ける。無気力状態だった日々氏に、まさかの言葉がかけられた。「あなたは将来独立してすごい人間になる。まずは修行だと思って、3年間だけ就職なり職業訓練なり、何かしらに属しなさい。」衝撃だった。漫画家の道を諦めて以来、初めて見えた光。4年半の絶望をたった60分で解決してしまう、「霊視」というものの凄まじさをこの時知った。
その日を境に、求人情報や職業訓練の情報を読み漁った。たまたま見つけたデザイン関連の職業訓練校に半年通うことに。その後WEBメディアの運営会社で営業職として初就職を果たした。

会社員生活を経て、イラスト制作のスキルを活かし独立を決意。個人事業主として行政や企業のイラスト制作等を請け負う生活が始まる。しかし思うようには稼げず、取引相手から不当な扱いを受けることも。悔しく、辛い生活が続いた。

30歳を超えた頃、それは突然の出来事だった。ある日、名刺交換をした女性と話していた時のこと。突然頭の中に、相手の過去や人間関係の悩みが、浮かんできた(!)。なんとなくその内容を伝えると、女性は感動で涙を流したそう。
その日から、人の過去や未来を言い当てられるように。姉の転職予定の職場の様子、取引先の社長の過去の恋愛の失敗など。(信じる・信じないはご自身の判断にて)
言い当てた相手からは口を揃えて「本業にした方が良い!」と言われる。その度日々氏は「霊媒師なんて怪しく見られるし絶対に嫌だ!」と思っていた。そんな思いとは裏腹に「当たる霊視」の噂は次第に広まり、彼のもとには「お金を出すから視てほしい」という連絡が殺到。最初は断り続けたが、ちょうど個人事業主として収入を得られなくなっていたこともあり、霊視でお金を受け取ることを決意。

最初は不本意な霊媒師デビューであったが、漫画制作で培った感性や言葉の表現力、辛い経験で得た共感力が、ここで大いに活きた!相談依頼は、口コミのみで日ごとに増え続け、毎月50−60件の霊視をするまでに。日々氏の言葉を求め、遠方からも相談者が訪ねるように。

ある時期から、活動の幅をネットにも広げる。YouTubeチャンネル『日々ch』を開設。配信を通じて視聴者の悩みに答えたり、希望の未来を言い当てたり。日々氏の自虐トークや、視聴者からの優しいイジリがあったりと、穏やかでユーモア溢れるチャンネルだ。チャンネル登録者数は間もなく1000人に届きそうな勢い。


You Tubeチャンネル『日々ch』


日々氏いわく霊媒師というのは、誰かが人生に迷った時にそっと現れて「こっちですよ」と地図や灯りを渡してあげる存在。相談者さんの顔がパーッと明るくなる瞬間が毎回必ずあるそう。その瞬間こそが「この仕事が天職だ!」と感じる瞬間だと、日々氏は語る。

今後はいろんなアイデアで霊視を表現していく展望を持っている。
その1つが歌のプロデュース(!)。ひょんな縁からプロのアーティストの協力も決まり、日々氏自身も歌い手として参加。2024年リリースを予定している。
さらにはアニメ制作も計画している。かつて挫折した漫画家への道が、全く別の形で実現することになる。
日々氏の活動は、これまでの辛い経験のオセロをひっくり返すように、ここからさらに輝いていきそうだ。

【人生図鑑②】自販機メーカー会社員から「ゲストハウス管理人」 「ラジオパーソナリティ」 「イベントプロデューサー」へ転身


1つの職業・肩書で勝負すべきというのは、誰が決めたのだろう?
秩父市にあるゲストハウスで管理人として働く梅澤修氏(48)。彼は宿泊業の他、多くの顔を持つ。地域の魅力を発信するラジオパーソナリティ。地元を盛り上げるイベントプロデューサー。他にもTシャツプロデュースや観光地のインバウンド事業など活動は多岐に渡る。


梅澤修氏(48)

梅澤氏の価値観の礎となったのが、幼少期から参加していたNPO法人主催の課外活動だ。子供の自主性を伸ばす山登りや川遊び、キャンプを全力で楽しんだ。そこには料理が得意な子、火おこしが得意な子、泳ぐのが得意な子、たくさんの得意が集まり、各々存分に発揮していた。子供ながらに梅澤氏は、人は誰もが得意なこと、輝ける分野を持っていると実感。自身は「人の得意を見つけることが得意」であると気付く。

中学入学と共に学校に強烈な違和感を抱く。自主性を重視する課外活動と違い、クラス全員が同じ型にはまることを良しとする学校教育。入学当初から強い拒否反応を示した。抑圧され、辛い中学生活の反動で高校に入ってからは自由奔放に過ごす。学校にも行かず家にも帰らず、不良一歩手前の生徒だったという。

高校を卒業し、就職したレストランは1ヶ月で退職。自分が何をやりたいのかわからないまま2年程ニート生活を送る。
21歳で神奈川に移住し、以後20年勤めることになる自動販売機メーカーに就職。自発的に動ける中小企業の社風が梅澤氏には合っていた。仕事も楽しく、順調な会社員生活を送る。

10年程経った頃、職場に変化が。会社が大手企業に吸収されたのだ。組織風土が変わり、大企業のルールを押し付けられる機会が増えた。中学の時に感じたような違和感が再び、心の中に生まれる。
30代半ばのある日、幼少期に参加していた課外活動に今度は運営側として参加しないかと声がかかる。会社員生活の傍ら、週末だけ活動に参加。子供達が全力で楽しむ姿に触れ、梅澤氏の中にある大切な価値観を思い出す。「人は誰もが得意なこと、輝ける分野を持っている。」

40歳の時、勤めている会社を辞め、地元秩父に戻ることを決意。ニートや引きこもりを支援するカフェで働く。久しぶりに住んだ秩父の良さを心から実感。人と同じく「地域」というものも、それぞれ得意(魅力)を持っているのだと強く感じる。

大きな転機が44歳。地元のゲストハウス『ちちぶホステル』の管理人をやらないかと声がかかる。宿泊業は全くの未経験ながらも、秩父の魅力を多くの人に知ってもらいたいという思いから、引き受けることに。

秩父市:ちちぶホステル

秩父市の中心、古民家をリノベーションしたちちぶホステルには国内外から多くの観光客が訪れる。宿泊客におすすめスポットや穴場飲食店を伝えた。観光客・地元飲食店・移住者など、梅澤氏の周りには地域を愛する仲間が増えていく。仲間達と共に地域の魅力をより広く発信したいという思いが募っていった。

ある日、地元FMラジオ局の枠を買い、オリジナル番組を放送するというアイデアを思い付く。人の得意を引き寄せる梅澤氏。宿泊をきっかけに秩父に移住してきたクリエイターに番組の構成作家を任せる。デザインが得意な友人に番組ロゴを依頼。作曲が得意な地元DJにテーマ曲を依頼。かくして地域を愛する仲間達で作る完全オリジナル番組がスタート。梅澤氏がパーソナリティを務めた。

月2回でスタートした番組は徐々に人気を博し毎週放送に。地域で面白い活動をする人をゲストに迎え、トークを繰り広げる。番組の企画で梅澤氏が秩父市から熊谷市まで60キロマラソンに挑戦したりと、番組は異様な熱を帯びる。

梅澤氏の活動はさらに加速する。地域の飲食店を盛り上げたい。そこで思い付いたのが、イベント『カレーフェス』だ。熊谷市の大型公園を借り、地域のカレー屋が一堂にカレーを振舞う大規模イベント。イベント運営のノウハウがない状態での挑戦。準備に大いに苦戦し数多くの失敗を重ねながらも、イベント当日は4000人が来場し大盛況のイベントとなった。

梅澤氏の活動は、もはやフリーランスの枠には収まりきらなくなっている。48歳の今、起業の準備を始めているという。新たな宿泊施設の経営や秩父の魅力を発信するフリーペーパーの発行の計画も進行中。
型にはまらない梅澤氏は、これからも数多くの肩書に挑戦し、仲間の「得意」を集めながら邁進していくことだろう。


【人生図鑑③】介護職員から40代半ばで「絵本作家」デビュー


夢を追い始める。それは若い世代の特権だというイメージがある。
絵本作家の湯澤宏行氏(48)。これまでに『ゆざわひろゆき』名義で10冊の絵本を世に出し、絵本出版賞にも入賞。
彼が絵本作家を目指し始めたのは40歳を超えてから。介護職員として長年働き、人間関係に苦しんだ中で見つけた夢。夢を追い始めるのに遅いということはないのだと、彼の人生が教えてくれる。


湯澤宏行氏(48)

物心ついた頃から絵を描き始めていた。両親が共働きの家庭で、よく叔父が面倒をみてくれた。叔父は油絵が趣味で、市で入選するほどの腕前だった。子供の頃は「憧れ」を絵に描いた。保育園では戦隊ヒーロー、小学生時代はスポーツ漫画のキャラクター。当時ファミコンがどうしても欲しかった彼は、ファミコンの絵を描くことで両親に熱望したという。

中学時代には写生大会で入賞、卒業文集のイラストも描いた。高校時代は音楽に熱中。ギターで作詞作曲を始める。メロディに自作の詞をのせる過程は、振り返ると絵本の文章を作る原点となっていた。

介護の専門学校に進学し、同じ学校の同級生に恋をする。彼女は湯澤氏の親友のことが好きだった。三角関係に悩みながら湯澤氏は、彼女への想いを絵に描く。そこに未来の理想の展開を文として添えた。想いは叶わず彼女は親友と恋仲になるが、「憧れを絵とストーリーにする」という原体験が残った。

卒業後地元の老人ホームに就職。22歳の頃、同じ職場の女性と付き合うことに。結婚を考えるほど好きな彼女に、油絵を描いてプレゼントした。誰かのために一生懸命絵を描いたのはこの時が初めてだったそう。彼女からはある日突然別れを告げられる。失恋のショックは、彼女との思い出を絵に描くことで癒した。初めて誰かのために絵を描き、自身の傷を癒したのもやはり絵だった。

20代後半で訪れる別れと出会いが、日常に大きな変化をもたらす。27歳の頃、両親が病で倒れる。半年後に母との辛い別れ。父は介護が必要な状況に。自身の職務経験を活かし、父の介護に励む日々に。翌年、かつてボランティア活動で知り合った女性と再会。話しているうちに意気投合し、交際を経て結婚をする。日常の変化や忙しさもあり、ここから数年は絵を描くことからは離れることに。

30歳を超えた頃から職場で大きな悩みを抱え始める。ケアマネージャーの立場で、協力スタッフとの人間関係に苦しむ毎日。体調も崩しがちになり、ある日カウンセリングを受けることに。そこで「今の仕事は向いてない。自分が好きだったことを仕事にすべき。」と言われ、キャリアチェンジを考え始める。介護の仕事は続けながらも、適職を求めデザインのスクールに通い始めた。

大きな転機が37歳で訪れる。夫婦でカフェに入った時のこと。カフェ店主との会話の中で、もともと絵が好きだったことを話した。すると店主から「店に飾る絵を描いてほしい」と頼まれる。絵は久しぶりだったが、数日かけてジョンレノンのデッサンを仕上げた。店主はその絵を大絶賛してくれた。お客さんの間でも湯澤氏の絵が話題となる。
数年後、そのカフェで絵画個展を開くことに。湯澤氏の優しい絵が、多くのお客さんを魅了した。1人のお客さんから「絵本作品は作らないのですか?」と聞かれ、それまで考えたことのなかった感覚が芽生える。別の日、子供連れの友人からも「絵本を作ったら是非読みたい」と言われる。

湯澤氏は決意する。本職の方では依然悩みを抱えながらも、密かに絵本の構想を練り始めた。
43歳。ついに自費出版サイトを通じデビュー作となる「ピピのへや」「ピピとララ」の2冊を出版。

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自分の想いを伝えることが苦手なフクロウが主人公の2作。湯澤氏自身が人間関係に悩んだり、大切な人に上手く想いを伝えられなかった経験をもとに描いた作品だ。

翌年には新作『プンドンカリーのくらべっこ』を発表。それぞれ違う個性を持つハリネズミ3兄弟のお話。人と比べず自分の強みを活かす大切さを、ハッピーエンドを通し優しく教えてくれる。


この作品が見事出版社の賞を受賞。本職だった介護現場を辞めることを決意。絵本作家としてメジャーデビューを果たす。
10冊の絵本を出版した今は、絵本作家の傍ら、介護施設の送迎のパートも兼務し定期的な収入を確保している。充実感と使命感で、日々新作絵本の制作に励む。

湯澤氏には大きな目標がある。それはイタリアで毎年開催される国際的な絵本コンクールだ。来年初のエントリーを狙っているという。入賞すれば名実共に国内有数の絵本作家の仲間入りができる。
終始穏やかにインタビューに答えてくれた湯澤氏から、この時はただならぬ情熱の炎が垣間見えた。
大きな夢への道のりは、まだ始まったばかり。


【最後に】「天職」を見つけるためには?


今回インタビューした3名に、最後に「天職を見つけるためには?」という質問を投げてみた。

日々氏「辛かったことや挫折経験、誰にも言えないようなみじめな過去こそが、その人にしか辿り着けないオリジナルの人生(天職)に向かわせてくれる。」

梅澤氏「常識に縛られずに自分の心が『好き』と思うもの、ワクワクすることを徹底的に考えることが大事。」

湯澤氏「まずはやりたいことと収入を別で考えてみる。天職というのは必ずしもその仕事で食べているという意味ではない。日本人特有の『プロ=その道で稼いでいる人』という偏った先入観に縛られず、まずは自分の興味のある分野を考える。収入はそれ以外のことで確保する生き方も、大いに有り。」

今回の記事を通し、読んでくれた方の今後の何かしらのヒントになれば幸いだ。もしくはより頭が混乱してしまったならば、さらに幸いだ。固定概念や価値観が一度ひっくり返り、リセットされた頭で、目の前には実は無数の選択肢があることに気付いてほしい。

イラスト:ゆざわひろゆき

これまでの道を歩き続けるのも、新しい道を模索するのも、「そんなのアリ?」なキャリアワープをするのも。

さあ、どちらに進もうか?


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