社会のOSを書き換えてきた哲学・思想

2月に出す予定の本について、出版社から「感想なりレビューなりを投稿してくれそうな有名人の知り合いはいませんか」と。いや、有名人の知り合いなんてほとんどいないし・・・と思いながらフォロワーを眺めていたら、結構な有名人がフォローしてくれていることが判明。で。

「献本したいから教えてくれ」と言われたので、その方たちのツイッターアカウントを出版社にお伝えしました。もし献本の連絡がありましたら、ぜひご一読いただき、感想をツイッターでお流しいただければ幸いです。さあ、どなたに当たるか!?お楽しみに!

内容は、哲学や思想の歴史を紹介する本です。・・・と言ったらきっと、「うわー、つまんねー、読みたくねー」と思われた方も多数いるかと。それもそのはず、哲学や思想は、勉強の中でも一番難しくて何が面白いのかわからないとされている最たるもの。しかも。

哲学や思想を語る人間って、決まってお勉強ができる人間で、使う言葉もなんか小難しい。説明して、って頼んだら、見下されそう。実際、「そのくらいのこと勉強してから物を言え」という人も少なくない分野。実にいけ好かない学問と大半の人たちから捉えられがち。これ、無理もない。

哲学や思想は専門用語を好む傾向が強い。これは一つには、こうした分野は「音読み熟語」が大好きな人が多いから。形而上とか形而下とか。何言ってんだかわかんねえ。「頭の中で想像するだけで、形で表せないもの」「形を持っていて見たり触ったりできるもの」って「訓読み」で言ってくれりゃいいのに。

あと、哲学や思想は、それを主張した哲学者や思想家がなんか小難しいことをウンウン考えたもので、話が長ったらしく、「それがどうした」と途中で投げ出したくなること多数。人の思考を追いかけるのって、面倒くさい。何のためにそんなことしなきゃいけないの?という気分になる。

たとえばデカルトの「我思うゆえにわれあり(コギト・エルゴ・スム)」って言葉は有名だけど、自分の信じているものを否定して否定しまくって、最後に残るのは「お前も否定してやる!」と考えている自分の存在だけは否定できない、ってもんだけど。「それがどうした?」感が強い。

では、なんでデカルトのその言葉が歴史に名を刻んでいるかというと。現実社会を大きく変えてしまったから。デカルトがとんでもないことを言い出したため、時間はかかったものの、社会が大きく変化してしまった。でも、それがどうやって起きたのか、分かりやすく説明してくれる本がイマイチ少ない。

デカルトのやらかしたことを理解するには、デカルトが生きた時代背景を把握する必要がある。デカルトが育った時代は、キリスト教が旧教(カソリック)と新教(プロテスタント)に分裂し、文字通り「血で血を洗う」争いをしていた時期。聖バーソロミューの虐殺なんかも起きてしまっている。

旧教と新教に分裂するまでの中世の時代は、西欧の人々はキリストの教えに従っていればよかった。もう少し砕いて言えば、近くの教会のお坊さんの言うことを聞いていればよかった。そして事実、庶民は疑うこともなしに信じ切っていた。ところが、その信頼を破壊する出来事が起きた。十字軍。

「イスラム教徒に支配された聖地エルサレムを奪回せよ!」と坊さんたちが唱え、その理想に燃えた西欧の人々は武器を持って十字軍に参加した。異教徒であるイスラム教徒は人間じゃないくらいに思っていたから、平気で虐殺した。エルサレムでは、くるぶしが浸かるまでの血の海になったと記録がある。

十字軍では残虐極まりないことをし、第4次十字軍では、同じキリスト教国である東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルを襲い、陥落させてしまったりしている。もう何をやっているんだか。そして、自分たちキリスト教徒の正しさを揺るがす人物が現れる。英雄サラディン。

イスラム教徒の指導者であるサラディンは、十字軍と戦い、キリスト教徒を捕虜にしても、身代金もとらずに釈放したりした。戦えば必ず勝ち、強く、賢かった。寛容で賢明で強い。人間的に非常に優れていた。なのにキリスト教徒の側ときたら。あれ?自分たちは正しいのか?と疑問が湧いた。

しかも教会の坊さんたちは、自分たちに大変なものを隠していた。プラトンとアリストテレス。自分たちよりもはるかに高い文明を誇り、豊かな生活を送っていたイスラム教徒たちや東ローマ帝国の人々は、プラトンとアリストテレスを研究し続けていた。西欧人はすっかり忘れていたのに。

なぜ教会の坊さんたちは隠していたのだろう?キリストの教えこそ絶対であり、プラトンやアリストテレスなどの哲学は、キリストよりもはるかに劣るものでしかない、と考えていたからだ。特に危険思想であるアリストテレスに至っては無視しまくっていた。

しかし、自分たち西洋人よりはるかに高い文明と豊かな生活を送っているイスラム教徒や東ローマ帝国を見て、「いや、俺たちの足元であるローマで繁栄していたプラトンやアリストテレスなどの哲学を坊主たちが隠していたことが、大きな問題だったんじゃねえか?」と考えるようになった。

この結果、十字軍がある意味呼び水になって、ルネッサンスが始まるようになった。ルネッサンスは「文芸復興」と訳されるように、絵画などの芸術、プラトンやアリストテレスなどの哲学が花開いた。そして皮肉なことだが、ルネッサンスの振興には教会の坊主たちが主導的に関わった。

レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといった芸術家に資金を提供し、絵や彫刻を作らせていたのは、教会の坊主が多かった。ミケランジェロの絵は、胸もあらわな女性を描いたものもあった。みだらだ、と批判されることもあったわけだけど、坊主たちはこうした絵画に惜しみなく資金を提供。

こうした「アルプス山脈の南」で起きていたことに、苦虫かみ潰していた人たちがいた。「アルプス山脈の北」に住む、ドイツの坊主たち。彼らからしたら、イタリア半島の坊主たちはルネッサンスの華やかな文化に酔いしれ、堕落して見えた。

こうして反発が高まっているところに、ルターが現れた。ルターはイタリアを中心とする教皇側の人間と論争を繰り返しているうち、「堕落した教会って必要か?堕落した坊主をあがめる必要あるか?」という話になり、教会も坊主も否定した。聖書だけあればいい、というプロテスタント(新教)が誕生。

教皇側、つまりカソリック(旧教)としては、キリスト教を二つに分裂させるわけにいかない。新教を徹底して弾圧しようとした。それが聖バーソロミューの虐殺となって現れた。しかし新教側も徹底的に抵抗し、しかも応援する庶民も多かった。旧教側の堕落に腹を立てていた人も多かったから。

この結果、キリスト教は旧教と新教の二つに分裂してしまった。そして互いに「自分こそ正しい、相手が間違っている」と自分を正当化し、相手を否定した。当時の知識人、エラスムスは、両陣営から「当然うちの味方するよね?」と誘われ、断ると、両陣営から否定され、批判されるかわいそうなことに。

このため、この時代の西欧人は何を信じてよいのかわからなかった。旧教を信じる人、新教を信じる人の中にも、「うーん、どっちが正しいのだろう?」と疑問を持つ人がいても当然だろう。どちらも、自分だけが正しいと言い張り、相手が間違っていると言うのだから。

何が正しくて何が間違っているのか、見抜く方法はないものか。間違いを全く含まないで知識を身に着ける方法はないものか。そんな欲求が高まってきた。そんな時代にデカルトが現れた。そしてデカルトは、その欲求にこたえる考え方を示した。

デカルトはその著書「方法序説」で、二つの原理を示した。
1.すべての既成の考え方を疑うか、ないしは否定せよ。
2.確からしいと思われる事柄から思想を再構築せよ。
つまり、第1原理でブルドーザーのようにこれまでの考え方を根こそぎに否定すれば、間違った考え方をすべて除去できることになる。

その後、第2原理で、石橋を叩いて渡るように「いや、これはまず間違いないだろう」と確かさ、正しさを十分見極めたもので思想を再構築し直す。こうすれば、過ち、間違いを一切含まない、全く正しい思想を再構築できる、とデカルトは主張した。当時の知識人は、これに驚嘆した。

デカルトのこの方法に従えば、絶対正しい思想を構築できるやないか!デカルト以降の人々は、多くがデカルトの提案したとおりに既成概念を全否定し、思想を再構築する、という作業を行うようになった。さて、多くの知識人がこれをするようなってから、キリスト教がすっかり弱体化してしまった。

デカルトは「方法序説」の中で、いちおう「神の存在証明」ってのをやってはいるのだけれど、その神様が旧教なのか新教なのかははっきりしない。というか、キリスト教の神様なのかさえはっきりしない。何なら、神の存在証明なんかせずに思想を再構築することだって可能。

このため、デカルト以降、「無神論者」が多数現れるように。しかも昔と違って、無神論者は殺されなくなった。昔は教会の坊主たちが無神論者を許さず、火あぶりの刑にしていた。しかしデカルトが思想の再構築法を提案してからは、キリスト教は絶対唯一の正しい思想とは考えられなくなってきた。

後にニーチェは「神は死んだ」と述べたが、神を殺したのはデカルトの方法だと言ってよいだろう。すべてを否定する、という作業の中には、どうしても神様をいったん否定する作業が加わる。その作業をする人が増えれば増えるほど、キリスト教は弱体化し、神様も弱体化した。

もはや、教会が「太陽が地球の周りをまわっているのだ、地球が太陽の周りをまわっているなどという世迷言は許さん!」と言っても、そうですね、と信じる人は減っていった。しかもティコ・ブラーエやケプラーが実に緻密な天体観測を行い、そのデータをもとにニュートンが万有引力の法則を発見すると。

もう、教会の坊主が何を言っても人々の思考を縛ることはできなくなってしまった。そっちに思考を伸ばしてはいけない!といっても、思考はどんどん広がっていった。デカルトの「方法序説」が合理主義の時代を切り開いた、というのは、こうした意味。

でも、デカルトが世界を変えてしまったわけを知るには、デカルトの生きた時代背景を知らないと、ピンとこない。時代が「正しさを見抜く方法、間違いを排除する方法」を求めていたから、デカルトの提案に人々が飛びついた。そうした事情があったことがわかれば、すんなり理解できるというもの。

しかし、こうした話を分かりやすく解説してくれる本は、あまり見当たらない。「社会思想史概論」という素晴らしい本があるのだけど、それはそれは言葉が難しい。読み方がわからない漢字の羅列。これを読みこなすのは至難の業。

そこで、その哲学者・思想家が、どんな時代背景の中で、何が求められていて、それにどう答えたのか、そして社会がそれによってどんなに大きく変化していったのか、という流れを分かりやすく説明する本を書いてみようと思った。高校生・大学生あたりなら、十分読みこなせるようにしたつもり。

いわば、世界をアップデートしてきた人たちの物語。哲学や思想とは、パソコンでいえばOSのようなもの。古いOSでは社会がうまく機能しなくなってきたとき、哲学者や思想家は新しいバージョンのOSを提案し、それが社会に広がっていった。哲学・思想は、社会のアップデータだと言ってよいだろう。

こうした「世界をアップデートしてきた人たち」の事績を学べば、だんだんと「世界をアップデートさせる方法」が見えてくる。今の時代のOSにどんな問題があるのか。では、OSをどう書き換えればよいのか。そうしたことに見当がついてくる。

だから私は、哲学・思想を学ぶ理由とは、社会を動かすOSの書き換え方を学ぶため、だと考えている。哲学者や思想家は、時代時代の要請に従って、OSを書き換えてきた。私たちも、先祖にならって、OSを書き換える必要がある。

しかも私たちは、OSの大幅書き換えが求められている。第二次世界大戦後は、「石油依存社会」だった。石油で自動車、船、飛行機が飛び、プラスチック製品であふれ、大量の食料を生産できるよう、化学肥料をエネルギーを使って製造し。豊かな生活は、石油のおかげで実現できた。現在のOSは石油が前提。

しかし新しいOSでは、石油に依存するわけにいかない。石油は昔ほど取れなくなっている。1の採掘エネルギーで200倍の石油が採れたのに、今は10倍を切るように。3倍を切ると、石油からガソリンや灯油を製造できなくなる。その3倍という数値に刻一刻と近づいている。

石油に依存しないOSを私たちは作らねばならない。これまでのOSとあまりにも違い過ぎていて、私たちはそちらのOSに移行するのをためらってしまうほど。でも、ためらっていても石油はエネルギーとして意味をなさない時代が近づきつつある。

私は、できるだけ多くの人に「OSの書き換え」に参加してもらいたいと考えている。みなで知恵を出し合い、気づいたことを口にし、それをヒントに思考を深める。こうした連鎖を続けることで、OSを書き換え、社会にインストールする方法を見出す必要がある。

2月に発刊する予定の本は、もはや躊躇しているわけにいかない「OSの書き換え」に、できるだけ多くの人が参加できるよう、その作法が読んでいる間に身に着くようにと考えて書いてみた。献本が届いた方は、ぜひこの作業にご参加いただきたい。

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