先進国は「農家」がいなくなる?

先進国は「農家」をなくそうとしているのかも。
世界最大の農業国アメリカは、95%が家族農業。それだけ聞けば圧倒的に農家が中心のようだが、どうもそのアメリカでも、農地のかなりが企業によって運営され始めているらしい。農地の50%以上がオーナーとは別の「農家」に貸し出されている。

ブラジルでは、数千ヘクタールにも上る耕地を企業が所有しているという。どうやって耕しているかというと、耕作者に家族で住んでもらい、その人たちに耕してもらっている、と。給料支払って。定期的に食糧や医薬品が運ばれ、病人が出るとヘリで運んでもらえる。

今やスマホがあるから、エンタメも事欠かない。町まで200キロ以上離れ、子どもは学校にも通えないが、ネットで教育を受けることも可能。大面積を巨大なトラクターで耕すやり方だから、忙しいときは忙しいが、結構ヒマな時間も多く、なり手を見つけるのはさほど苦労がないという。

こうした方式だと何千ヘクタールもの耕地をわずかな人数で耕せる。だからコストも大きくカットできる。価格競争力のある農業生産が可能だという。農薬も飛行機で撒く。肥料も大規模に。とにかくスケールが違う。ブラジルやアメリカ、オーストラリアなどの農業国はそうした経営にシフトしているらしい。

昔の言い方ならその人たちは「小作人」であり、企業は「地主」ということになるだろうが、小作人も地主も特定の個人をイメージする言葉。どうもそれらの言葉は似つかわしくない。耕している人は「農家」というよりは、「従業員」。企業から命じられたとおりに働けばあてがわれた家に住め、給料も。

こうなると、「農家」とは何か、という疑問が出てくる。第二次大戦が終わるまで、途上国だけでなく先進国においても、国民のかなりの割合が農家だった。日本だと、戦争直後では国民の約半分が農家だった。というか、人類の歴史において、仕事と言えば農業、という時代がほとんどだった。

江戸時代に至っては、国民の8割近くが百姓だった。職業の多くが農業。そんな時代を、社会体制を、恐らく農業が始まった1万年前からずっと続けてきた。しかしどうやら、先進国がこれから進めようとしている農業の形では、農業に従事する人が極端に減ることになりそう。

もちろん、何を育てるのかによっても違う。コーヒーのように収穫に手間のかかる作業は、人手が必要。機械化はちょっと難しい。そういうものは、ともかくたくさんの人に低賃金で働いてもらって、というプランテーションの形が普通だろう。

しかし、大豆やトウモロコシ、小麦といった、広大な土地で、地平線の向こうまでその作物で埋め尽くされている、という作物では、超巨大なトラクターがあれば1台で耕したり収穫できたりする。そうした農業が、先進国では増える傾向にあるらしい。

ブラジルなどでは、大学など研究機関が企業と協力して農地の調査を行い、最適な栽培計画を立てるなどをしているという。人手を極端に減らしているが、農地を痛めるようなことを企業も好まないという。こうした農業は、人件費がかからないだけ、コスト競争力が非常にあるだろう。

では、日本もそのマネができるか。正直、難しい。日本の国土は7割が山地で、平らじゃない。田畑も段々畑になる。大型トラクターで一気に耕せれば効率的だが、それは平地でないとうまく動かない。農地の4割が山がちな場所(中山間地)にある日本では、大規模に栽培すること自体が難しい。

では平らな田畑だけでも欧米先進国のように大規模にすればいいじゃないか、というと、これも簡単ではない。日本だと、平野や盆地は決まって都市が発達している。都市のそばでは、コメよりも野菜や果物の方が高く売れる(近郊農業)。コメやムギよりもそっちの栽培が盛んになりやすい。

日本と同じ島国のイギリスは、なんと国土の7割が農地。日本は1割強でしかない。イギリスは国土が平らなのに対し、日本は山が多くて平らな場所が少ない。このため、耕地にしたくても平らな場所がない。平らな場所は都市も発達し、大型のショッピングセンターができたりする。

そんな条件の日本で、欧米のように大面積を一人の人間に耕してもらう、というやり方ができるかというと、難しい。北海道などできるところもないではないが、そうした場所は日本では多いわけではない。手間がかかり、人手がかかる。それが日本の地形。

日本は今、急速に農業人口が減っている。20年前には300万人を超えていたのに、今や152万人。半減した。高齢の農家が農業をやめていくから、さらに急速に農業人口は減るだろう。田んぼなどの農地は、地域の担い手農家の元にどんどん集まりつつある。

もっと農業人口が減り、80万人くらいになれば(フランスがその程度)、日本も「所得補償」ができるようになるだろう。もしコメなどの農産物が暴落しても、農家に一定の収入を保証するという、所得補償。農家の人数が多いと巨額の資金が必要になるけど、十分減れば財政負担も大きくはなくなる。

だからコメ農家はもっと減ってほしいと政府は願っているのだろう。もしコメ農家がもっと減って、所得補償しても財政的にもつようになれば、コメはもっと安く販売されることになるだろう。それでも所得補償があるから、農家は生活に困らずに済む。農家は一種の公務員かすることになるのかも。

しかし、そこまで果たしてコメ農家を減らせるのか?コメというのはただ苗を植えればよい作物ではない。コメは「水の流れ」が極めて重要。川(用水)の流域全体で考えてコメは生産しなければならない。自分の田圃だけでなく、水路のすべてに想像が行き届く必要がある。

その水路は誰が維持管理するのだろう?これまではたくさんのコメ農家が自主的に水路を管理していた。壊れた個所にもすぐ気がつき、修理することもできた。たくさんの人間がいて、たくさんの「目」があったからできたこと。しかし大規模化して、田んぼだけでなく水路にまで注意を向けられるだろうか?

欧米は日本と違って雨が少なく、比較的水害も多くはない。しかし日本は山が多く、川の流れは速く、雨も多い。変化が激しすぎて、水路の管理は非常に大変。それを大規模農家に任せることができるだろうか?結局、人手が必要になるのではないか。

やたら平らな土地が広大な欧米先進国と違い、日本は山がちで雨も多く、用水路の管理も非常に大変。水路周りの雑草を刈るのをサボると、水路はすぐ埋まってしまいかねない。日本は雨が多いから雑草もすぐに生い茂る。雑草管理だけでも人手がかかる。乾燥気味の欧米とも違う点。

こうして考えていくと、日本は欧米先進国のマネをしたくてもできない面が多々ある。日本の地形を考えると、一部例外を除いて、人手をかけて栽培するしかない、という条件があるようだ。その上で農業政策を考えねばならない。日本の食料安全保障を考えるのは、本当に大変。

それに、果たして欧米先進国のその大規模農業のやり方はいつまで続けられるのかも微妙。超大型トラクターで大面積を耕す、なんて荒業は、石油が安いからできている。しかし石油がもし今のような安い時代が終わってしまったとき、果たして継続可能な農業なのだろうか、疑わしい。

トウモロコシ由来のバイオエタノールは、1haのトラクターを動かす燃料を作るのに2ha以上のトウモロコシ畑が必要。2haのトウモロコシを燃料にして1haのトウモロコシを栽培したのでは、エネルギー的に大赤字。これでは意味がない。石油の代替にバイオエタノールを使うのは難しい。

太陽電池で発電して、バッテリーで動くトラクターを開発しようとしても、難しい。大型トラクターを動かせるだけのバッテリーが開発できていない。容量が小さく、すぐエネルギー切れを起こしてしまう。自然エネルギーで大面積を耕すのは、難しい。

そう考えると、大規模農業の形態は、石油が安い間にしか成立しないやり方なのかもしれない。それをマネしてよいのか?という問題もある。
技術の進歩(たとえばバッテリーが大幅に改良されるとか)があると話は変わるが、現時点では、石油がないと大規模農業は難しくなるだろう。

欧米先進国で農業の大規模化が進んでいるのは、実は日本と同じで農家が高齢化し、しかも後継者がいないから。それもあって、企業が大面積を引き受け、従業員に耕させるという形になっているらしい。やむを得ずの面もあるようだ。ただそれにしても。

石油がどうも採れなくなり始めている(1のエネルギーを投入して10倍を切るエネルギー分の石油しか採れなくなってきている)時代に、果たして大規模農業でやっていけるのか?新エネルギーで大規模農業を支えられるのか?すべてに目を凝らさないと、未来は見えてこない。

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