西洋が世界最強に躍り出たキッカケ、十字軍

もしこの事件が起きなければ、西洋が世界を牛耳ることもなかったかもしれない。世界中で侵略を重ね、各地に植民地をもち、科学技術を発展させ、今も世界をリードし続ける存在にはなれなかったかもしれない。この事件が西洋を目覚めさせ、世界最強の地域に変貌させることになった。それが十字軍。

十字軍が起きる前、西洋は世界でもとびきり技術が遅れていた地域だった。というと、不思議に思われる人もいるかもしれない。西洋は古代ギリシャ・古代ローマ帝国の時代から、世界最先端地域だったはずではないか、と。ところが中世ヨーロッパは、一時、石器時代にまで技術が後退していたといわれる(※技術を残した地域もある)。

確かに古代ローマ帝国が健在だった頃は、世界最先端地域だった。ところが4世紀にゲルマン人の大移動が起きて、帝国が崩壊すると、あれよあれよと文明も技術も失われてしまった。「連鎖倒産」が起きたからだ。

ゲルマン人達はローマ皇帝さえもやっつけてしまった。すると、古代ローマ帝国の兵士たちは給料がもらえなくなった。社長が消えてしまった会社のようなものだ。すると、兵士たちを顧客にする武器商人も倒産する。武器商人に皮や金属を納品していた業者も倒産する。

こうして連鎖倒産が起きると、ごく一般的な商品も売れなくなった。だって、買ってくれる人がいなくなってしまったのだから。こうしてデフレ経済に陥ってしまった古代ローマ帝国は、連鎖倒産の嵐に遭い、経済が低迷した。それまで高い技術を持っていた人たちも、生活できなくなった。

高度な技術を持っていても、それを買ってくれる顧客がいなければ食べていけない。やむなく、多くの人々が農家になった。こうして、陶器を作る技術も何もかも失われ、鉄器を購入するお金もないものだから、石器でことを済ませるようなハメに陥った。こうして旧ローマ帝国の少なからずの地域で一時期、石器時代にまで技術が退化したといわれる。

古代ローマ帝国では、庶民でも文字を読める人がそこそこいたのに、帝国崩壊後の西洋ではほとんどいなくなってしまった。西洋地域で文字を読む能力を維持し続けたのは、坊主(僧侶)だった。ゲルマン人の大移動で大混乱する中でも、教会は何とか市民を守ろうとした。また、教会間で情報をやり取りした。

ゲルマン人により、ありとあらゆるシステムがズタズタにされた中で、キリスト教会のネットワークだけは維持された。西洋で唯一と言ってよいくらい、文字を読める知識人として残ることになった僧侶達は、西洋でのオピニオンリーダーとして活躍することになった。

何せ、僧侶以外はほとんど文字を読める人がいない状態。このおかげで、西洋はキリスト教以外の知識を持てなくなった。中世の西洋では、学問といえばキリスト教。それだけとなった。そのキリスト教の教えを独占するのが教会であり、僧侶。だから教会と僧侶の権力は絶大となった。

ここでキリスト教の僧侶達は、後から考えると大きな過ちを犯すことになる。それが十字軍。僧侶達は、「異教徒に奪われた聖地エルサレムを奪還せよ!」と叫んだ。すっかり敬虔なキリスト教徒ばかりになっていた西洋人は、この呼びかけに熱狂し、手持ちの武器を携えてゾロゾロと中東へ出発した(※このころには三圃制や鉄製鋤の普及があり、食料生産が増大したことも十字軍の背景にある)。

そして聖地エルサレムに住んでいた異教徒たちを虐殺した。文字通り血の海となり、くるぶしまで血に浸かる程だったと記録されている。
僧侶達はこの快挙にすっかり気をよくしたようだ。何しろ西洋の人々がこぞって自分たちの言ったとおりに動くのだから。支配の快感を味わったことだろう。

この快感が忘れられないからか、十字軍は数次にわたって呼びかけられた。その都度西洋人は熱狂的な信仰心で中東に赴いた。しかし第四次十字軍なんかはおかしくて、同じキリスト教国である東ローマ帝国の首都(コンスタンティノープル)を陥落させるアホなことをしでかしている。

このように十字軍は、キリスト教の僧侶達の絶大な権力を見せつける事業でもあったのだけれど、同時にキリスト教の土台を掘り崩すことになってしまった。それが古代ギリシャ・ローマ哲学の流入。

先ほども述べたように、西洋ではキリスト教以外の学問をすっかり忘れていた。教会の図書室には、古代の哲学書、プラトンやアリストテレスなどがあったにはあったのだけど、キリスト教以前の学問が存在することを僧侶たちは隠していた。かろうじて研究が許されていたのはプラトンくらい。

これは、中世キリスト教の土台を作った聖アウグスティヌスが、大のプラトン好きだったことにも関係している。それにプラトンは「イデア」という、よくわからん抽象的なことを考えるのが好きで、観念的になりやすい当時のキリスト教にもマッチしていた。

しかしアリストテレスはシャレにならなかった。アリストテレスはあまり頭の中でリクツをこねくり回す観念的な様子が少なく、やたら現実を「観察」する、実証的な姿勢が強かった。こんな姿勢があるものだから、アリストテレスはありとあらゆるものを観察する博物学をも生み出した。

これは中世キリスト教にとってとても不都合だった。ありとあらゆる知識は聖書に書かれていると僧侶たちは説明してきたのに、アリストテレスは現実を直視することで、聖書にない知識を次々と発見してしまう。聖書と辻褄の合わないことが次々と発覚してしまう。だからアリストテレスは危険思想だった。

古代ローマ帝国が崩壊してから、アリストテレスのことは触れないようにしたため、西洋人のほとんどは存在すら忘れていた。ところが十字軍が侵略した中東や東ローマ帝国では、アリストテレス哲学が脈々と受け継がれ、研究が進んでいた。西洋人は、かつて自分たちの足元にも存在した学問を再発見して驚いた。

アリストテレス哲学などの古代の哲学を見直すきっかけになったものとして、ある人物の存在が大きいように思う。英雄サラディン。サラディンは十字軍の敵ではあったが、その戦いぶりは見事で、常にキリスト教徒達との戦争に勝ち、その強さもさることながら、振舞いが立派だった。

西洋人は異教徒を捕虜にすると、殺してしまうか、或いは身代金を要求して金づるにしていた。しかしサラディンはキリスト教徒を捕虜として捉えても殺さず、それどころか身代金もとらずに釈放した。それでいて十字軍を向こうに回して勝ち続けた。キリスト教徒もほれぼれせざるを得なかった。

こうした、尊敬せずにはいられない人間が異教徒にもいるのはなぜなのか?そういえば、キリスト教徒はみんなみすぼらしい格好をしているのに、異教徒達はきらびやか。文化文明も高い。豊かな生活をしている。しかし西洋人は石器時代に近い文化しか持ってない。あれ?と、疑問に思う人たちが増えた。

もしかして、異教徒達の振舞いがキリスト教徒よりも立派で、優れた文化文明を誇るのは、本来自分たちの地域でも古代に発展していたという、古代哲学のおかげなのではないか?と気がつき出した。十字軍をきっかけに、プラトン、アリストテレスなどの古代哲学がブームになり始めた。

これに教会の僧侶達は慌てた。プラトンはまだしも、アリストテレス哲学なんかが流行るとキリスト教の矛盾に気づく人が増えるかもしれない。これを憂慮した教皇は、パリ公会議などでアリストテレス哲学の研究を禁止する決定を下したりしている。

しかし、いったんアリストテレスの存在に気づいてしまった人が増え、その魅力にとりつかれた人たちが増加すると、止めようがなかった。そこでトマス・アクィナスという人物は、アリストテレス哲学とキリスト教の「合体」を画策した。それが「神学大全」という著作に結実した。

アリストテレス哲学の観点からキリスト教を解釈し直すことで、アリストテレスがキリスト教と矛盾するものではないことを示そうとした。これはある程度成功して、中世キリスト教がある程度支配権を握り続けることを可能にした。しかしやはり、延命策でしかなかったといえる。

十字軍によって、キリスト教の僧侶達は自ら支配権を損なったように思われる。その原因は2つ。一つは、すでに指摘したように、すでに自分たちの地域では失われていた古代哲学を逆輸入するハメになったこと。もう一つは、僧侶達の堕落を招いてしまったこと。

「十字軍を派遣する!そのために寄付を!」といえば、面白いようにお金が集まった。十字軍派遣のためという口実で免罪符というのも発行した。これを買えば罪が許され、天国に行けるというもの。これもバカ売れした。僧侶達はこれに味をしめ、免罪符をどんどん発行するように。

その金で腐敗する僧侶たち。そしてキリスト教以外にも優れた世界観を描いてみせる古代哲学の再発見。この2つの要因が、やがてキリスト教を土台から切り崩すルネサンスや宗教改革を生み出すことになる。

もう一つ、外の世界が西洋にもたらしたものがある。大砲。
西洋人の多くは、すでに指摘したように様々な技術が低下していた(鉄の武器はいちおう持ってはいたけど)。だから異教徒との戦いで大砲を見たときは、びっくり仰天した。

これをきっかけに、西洋の人々は大砲の研究を開始した。あっちで飛距離がこれだけ伸びたと聞けば、それに負けじとさらに破壊力のある大砲を開発しようと、開発競争が加速した。
ところが案外、大砲の先輩だった異教徒たちはさほど大砲の技術を発達させなかった。

自分たちの技術だからこそ、自分たちの技術をそんなに高く評価できなかったという皮肉な現象が起きたらしい。しかし大砲の存在にビックリし、その威力に魅了された西洋人は、なんとかしてその技術をものにしたいと考えた。その勢いが大砲技術の発展につながったのだろう。

この開発意欲の高さは近代に至るまで続けられ、日本で江戸時代が終わる頃には、飛距離も破壊力も比較にならないほど発達した。これにより、西洋は世界一の軍事力を誇るようになり、世界中を植民地化する力となった。

ルネサンスが起こり、僧侶達による思想支配から徐々に逃れると同時に、古代哲学の研究から始まって、科学が発展し始めた。正直、中世の頃までは科学も中東や東ローマ帝国のほうが圧倒的に発展していたが、ルネサンスで西洋が逆転した。なぜだろうか?

これは恐らく、西洋では宗教の支配から逃れようとして科学が発達した、という側面があるからかもしれない。
中東や東ローマ帝国では、宗教と科学がそんなにケンカせずに済んだ。だから科学がそこそこ発達したのではあったけど、逆にいえば、宗教の緩やかな縛りからも逃れられなかったとも言える。

しかし西洋のキリスト教は、中世において圧倒的支配権を握っていただけに、キリスト教以外の思想を許そうとしない狭量さがあった。だから古代哲学や科学を志そうとすると、どうしてもキリスト教のクビキから逃れようとしないと続けられない面があった。

結果的に、西洋における哲学と科学の発展は、宗教のクビキから逃れる形で発達することになったように思う。もちろん、ルネサンス以降の哲学者や科学者も、ほとんどがキリスト教徒であり続け、宗教といかにうまく付き合うかは課題であり続けた。

ガリレオが宗教裁判にかけられ、「地球が太陽の周りを回るなんてことは今後言わないようにします」と誓わされたのなんかは、典型的な例と言える。しかし十字軍以降も、大航海時代を迎え、キリスト教を一切知らない人たちが世界中にたくさんいて、しかもそこそこ幸せそうに暮らしてるという「発見」が。

あれ?キリスト教を信じなければ地獄に落ちるんじゃなかったっけ?知らなくても幸せに生きられるの?しかも西洋よりも文化文明が発達してる事例もある?これらの発見により、いくら教会が、中世のときのように絶対的な思想支配を回復しようとしても、もはや不可能になっていた。

中世において、ヘタに「キリスト教は絶対無二」と言っちゃった手前、哲学や科学を緩やかに包み込む包容力を示せず、むしろ禁じよう禁じようとしてしまったことが、キリスト教とは別の勢力として哲学や科学が発展することを許してしまった感がある。

このように、西洋が世界最先端地域に成長したそのキッカケは、十字軍にあったといえるように思う。もし十字軍を起こそうなどと思わなければ、西洋はさらに長い間、キリスト教の支配する地域であり続け、哲学も科学も発達しない地域であり続けたかもしれない。まあ、歴史にifはないのだけど。

その意味で、十字軍は日本における「黒船」とよく似ている。日本人の多くにとって、世界とは日本だけだった。海の向こうを考える必要はなかった。江戸幕府はその環境に甘えて、西洋文明を拒否し続け、日本だけで思想も文化文明も完結する社会で居続けようとした。しかし黒船が来航し。

日本の外には「世界」があることに否応なしに気づかざるを得なくなった。しかも西洋は日本よりもはるかに科学を発達させ、軍事力も経済力も圧倒的になっていた。この事実に慌てた日本は、明治維新を経て西洋文明を取り入れ、技術開発を進めた。その結果。

国際連盟が結成されたときはアジアで唯一の常任理事国となり、第二次大戦後は高度経済成長により、世界第2位の経済大国にまで上り詰めた。自らが後進国であることを自覚し、だからこそ必死に外国から学ぶという姿勢を示したことは、十字軍以降の西洋とよく似ている。

黒船は攻められた形、十字軍は外に攻めに行った形という違いはある。しかし自分たちの住む場所の外には優れた文明がある、ということに気付かされたという点で、この2つの事件はよく似ている。十字軍は、西洋における「黒船」、ルネサンスは、西洋における「明治維新」のようなものだったといえるだろう。

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過去の事件、あるいは哲学や思想が、現代という時代をどう作ってきたのか。その道筋を、専門用語を使わずに説明することを試みた本。哲学・思想はおろか、歴史にも興味を持てなかった人も面白く読めるように工夫してみた。

「世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方」
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