哲学・思想はなんで学ぶの?

哲学や思想って、読んでも面白くないと思ってる人が大半だと思う。その通りだと思う。言葉は難しいし、何を言ってるかわからないし、何よりそれが何の役に立つのかもわからない。こんなつまらないものはない。

とある東大生が正直に語ってくれた。「読んでないと恥ずかしいと思うから読むけど」と。


哲学・思想を読む人は、「オレは読んだぜ」と自慢することを唯一の動機にしてるんじゃないか、と感じることも多い。実際、教養のあるところを見せようと、「誰それはこう言っている」と、知識を披露されることもしばしば。でも、「だからそれが何やねん」と感じるのも正直な気持ち。


私も大学生になって哲学や思想に取り組んでみたが「・・・つまんねえ・・・」というのが正直なところ。友人に「オレは読んだぜ」と自慢できるということくらいしかメリットがない。でも正直、その振る舞い、恥ずかしいやん?という気持ちもあった。


大学生の時、「ソフィーの世界」というベストセラーが出た。ソフィーという女の子が哲学や思想に触れながら、わかりやすくその内容を解説してくれるという触れ込みだった。やった!これで哲学や思想を学ぶ意味がわかるかも!と期待して読んだのだが。


本当に哲学者や思想家の言ってることをわかりやすく説明してくれてるだけで、「で、なんで哲学や思想を学ばなあかんのん?」という問いに答えてくれているとは言えなかった。専門用語を使ってないだけで、それぞれの哲学者や思想家を紹介してるだけ、という印象。


なんで哲学とか思想とか、小難しいこと学ばなあかんねん!なんか意味があるのかもしれんけど、意味があるから今も残ってるんだろうけど、その意味がさっぱりわからん!と悩んでいた。哲学・思想を学ぶ意味がさっぱりつかめないでいた。そんなある日。


中学の歴史の教科書にも載ってる「デカメロン」という本を読もうと思った。歴史で習うくらいだからきっと重要なのだろう、と思って。

大阪の旭屋書店だったと思う。ちくま文庫のその本を手にとって、表紙を見たあと、本棚に戻した。「なんやこれ?女性の下着姿?エロ本か?」


タイトルと著者名を見ると、確かにボッカッチョのデカメロン。間違いない。でも表紙はまるでエロ本。多感な若者だった私は、レジを見た。今は若い女性が担当。エロ本買ってるなんて思われるのイヤだ。男性職員に変わるまで待ち、デカメロンを手にとってレジに向かった。


私の前に1人挟まった。待ってると、レジ係が若い女性に変わってしまった。私は本の裏を見せて渡したが、その女性は表紙もチェックした。私の努力は全て水の泡に。

さて、持ち帰って読んでみると、エロ本そのものだった。中学の教科書にも載ってる本なのに。こんなにエロい古典、他に知らない。


私は考え込んだ。内容はエロ本そのもの。だけど中学の歴史の教科書にも紹介されてる本。なんでエロ本が歴史に残っているのか?

そこで私は気がついた。「そうか、これは命がけのエロ本なんだ!」


ボッカッチョの生きた時代は、キリスト教が圧倒的に支配していた。キリスト教の坊主の悪口を言ったら地獄に落ちると信じ切っていた時代。なのにボッカッチョは、エロを描く際、坊主を頻繁に登場させた。坊主がいかにエロいのかを、エロ本という形で暴露していたわけだ。


中世キリスト教は妙にエッチに対して潔白であろうとした時代が長く、坊主は独身であることが(基本的に)求められていた。けれど実態は、教会の地下室には赤ん坊の骨が転がっていたと言われる。坊主が産ませた赤ちゃんたちの。当時の少なからずの坊主が堕落していた。


庶民はこうした坊主の実態を知らないわけではなかったが、何せ坊主の悪口を言ったら地獄に落ちると言われていたから、口をつむぐしかなかった。坊主が堕落していることに気づいていても、黙ってるより仕方なかった。

その状況を、デカメロンが変えた。


坊主のエロスを描くことで、坊主がいかに堕落しているのか、その実態を暴いた。当時のキリスト教の坊主は当然怒り、著者のボッカッチョに「悔い改めなさい、そうでないと地獄に落ちますよ」と警告したが、ボッカッチョは死ぬ間際まで相手にしなかった。


さすがに死ぬ間際になると、ボッカッチョも怖くなったらしく、「坊主の悪口書いてごめんなさい」と悔い改めた。しかし、「デカメロン」は坊主の堕落ぶりを明らかにしてしまった。それに著者のボッカッチョも、すぐに天罰が下るかと思ったらそうでもなかった。


あれ?坊主の悪口を言ったらたちまち天罰が下るんじゃなかったの?案外平気?

ボッカッチョがエロ本で坊主の堕落ぶりを描いても大丈夫そうな様子を見せたことで、キリスト教や坊主への遠慮が徐々に失われていったのでは、と考えられる。これが、キリスト教の縛りから離れ、ルネサンスを加速させることになったのでは。


そうか!エロ本が歴史に残ったのは、社会を変えたからなのか!

あれ?もしかしたら、哲学や思想も、その時代の常識を覆したから歴史に名を残したのでは?


哲学や思想を学ぶ理由の発見!


それからは、哲学者や思想家が置かれていた時代背景を調べるようにした。すると、彼らがどんな常識の中で生きていたのか、そして彼らがどんな風に常識に挑戦していったのかがわかるようになった。「そうか、彼らは新しい常識を創った人達だったのか!」


哲学・思想とは、それまで常識とされていたことに疑問を持ち、新しい常識としてこっちの方がいいんじゃないですか?と提案したもの。そう考えると、哲学・思想を学ぶ理由がわかるように思った。それからだ。私が哲学・思想って面白い!と思えるようになったのは。


しかしいまひとつ、哲学・思想がどうやって過去の常識を破壊し、新しい常識を創ったかをわかりやすく説明してくれる本が見当たらない。難しくても構わないなら「社会思想史概論」という名著があるけど、専門用語も多く、難しい。読みづらい。すぐ眠くなる。睡眠薬の代わりにちょうどいい感じ。


哲学・思想を学ぶ理由がよくわかり、それを知ることが楽しくてならないような本を作れないか。それが今回の本「世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方」(https://x.gd/MWrKc)。果たして狙いが成功してるかはわからないが、専門用語を一切使わず、彼らがどんな風に常識を覆してきたかを描いてみた。


そして、その新常識が現代に生きる私達にどんな影響を及ぼしているかも、私なりの仮説を述べた。「そんなこと、どこの本に書いてるの?」ということも書いている。しかし、私なりに考えて、彼らが私達に与える影響を指摘してみた。そのほうがなぜ学ぶのか、その理由が感じられるように思うから。


哲学・思想の専門家だと、かえっていろんな方面に配慮しなければならないから書けないことも多いように思う。そこは素人の私だからこそ、「素人の見解です」を全面的に利用して、大胆なものの見方をしてみた。理想は美術界に激震を与えている「びじゅチューン」。


哲学・思想はだから学ぶのか、だから哲学・思想は面白いのか!そう思ってもらえるとありがたい。私の本はあくまで入口を楽しく演出するためのもので、信じ込む必要はない。「そんな意見もあるのか」くらいの受けとめで結構。楽しんでもらえたらありがたい。


・・・・・・・

哲学・思想なんか読む気がしない!という方にこそ読んでほしい。こんなに面白いものだったのか!と感じてもらえるように書いてみた。2月末に発刊。


「世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方」

https://x.gd/MWrKc


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?