見出し画像

荒木経惟とうつの作用

いつ知ったか、何で知ったかはもう忘れたが、荒木経惟の写真が大好きだ。
大学時代はバイトで稼いだお金を全て趣味につぎ込んだ。荒木経惟の写真集も買った。貧乏学生だったのであまり高額なものは買えなかったが、とにかく荒木経惟に関わる本は買ったり、立ち読みしたりと、強い興味を持っていた。

私の大好きな作家、山田詠美と対談してたなあ。

荒木経惟対談集 『写神論』(リプロポート出版 1994年)
現在リプロポート出版社は無くなったため、ネット古書通販のサイト貼ります。お手頃価格です。ttps://www.komodo-books.com/?pid=121919439

多分これが初めて知った荒木経惟かもしれない。山田詠美は高校時代に知った小説家。私の思考や価値観の基盤を作ってくれた、私の聖書だ。

荒木経惟の写真の何が好きって、あの生々しさ、濃厚な色彩、無機物ですらもまるで血が通ってるかのような、あの“生”の質感が大好きだった。
例を挙げるまでもない有名な写真家。欲しかった本はいくらでもあったし、絶版になった写真集は古本屋で必死になって探したものだ。
当時は鈴木いづみリバイバルで、荒木経惟が撮影したエッセイも売られていて、全部買って読んだ。二人に共通して言えることは、とにかくエネルギーが尋常じゃない、そして、必ずどこかに影が差す、陰と陽の絶妙なバランスが小気味良く、読む度に、観る度に、体の中から何かがふつふつを湧いてくるのを感じた。きっとこれが生のエネルギーなんだろな、と思った。

そして数年、30代でうつになり、何もかもが興味を失ったあの頃。死にたい気持ちを抑えるべく、いろんなことに挑戦しては失敗の繰り返しの日々の中で、部屋にあった荒木経惟の写真集を手に取った。
あれほど好きだった、生々しさ、濃厚な色彩と血生臭さ、生のエネルギーが全く受け付けられなくなった。吐き気すら催すほどだった。死ぬことに気が傾いていた私に、あの力強い原色の色彩は目に毒でしかなかった。
金策と身辺整理も兼ねて、荒木経惟の本はほぼ手放した。今手元にあるのは、買取できなかった日焼けした文学全集が数冊、そしてサイン会で購入した写真集のみだった。


荒木センチメンタル沖縄1971~2005 サイン本

懐かしいなあ。たまたま寄った大手書店でサイン会があるのを知り、即購入、サインを貰いに列に並んだ。やはり写真好きには大人気で、カメラを首にかけた子が何人もいた。男同士で来た奴はもれなく「キスしろ」と要求されてた。気さくで明るい、いい人だった。

この本が残ったのは、サイン入りが「ヨゴレ」と認識されたのか、日焼けしたかのどちらかで売れなかったからなのか、この本だけは手放したくなかったのかは全く思い出せない。今こうして振り返ることが出来て、手元に残ってて良かったな、と感じる。

今現在もうつ状態は続き、芸術関係にはあまり興味を持てなくなってしまったが、やはり今でも荒木経惟の存在は私の中で大きい。
私小説を謳い、色と情に溺れた様のグロテスクなまでの描写、亡き妻を思いモノクロでベランダを取り続けた切なさ、街中の住人の、美も醜もあらわに切り取ったリアルさ、やはり私の思考や価値観の基盤を築いてくれた写真家である。

20代の頃に行った東京の個展、『色情花』(タイトル個展場所うろ覚え・“花”がテーマだったことは覚えている)は今でも忘れられない思い出だ。


展示場で販売していた“NYARARKEE”ストラップ

お金が惜しくてパンフレットを買わなかったことを後悔しているが、確かDVD付きでめちゃ高かったんだよなあ。

叶うなら、もう一度、荒木経惟の個展で、写真を直に観たいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?