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まず一歩、農業の世界へ #7

農家になることを決意した私は、とにかくまずは山形に拠点を移すことにしました。実家に戻り、祖父母から農業の知識や技術を習い就農しようと考えたのです。

しかし、祖父母の年齢は90歳。やはり体力的にも精神的にも実際に畑に出て私に指導することは難しい状況になっていました。農業に関する簡単な質問や相談はできたとしても、本格的に知識や技術を習得しなければそれを生業としていくのは困難なことです。

祖父とわたし

そこで私は方針を転換し、ゆくゆくは独立して農業を始めることを前提に、研修生として働きながら農業を勉強させてもらえる農家さんを探すことにしました。

研修先を探すにあたって、はっきりさせなくてはならなかったこと。それは「実際自分は何をつくりたいのか」。そして「どんな農業を営みたいのか」でした。

まず、つくりたい作物に関しては野菜を選びました。幼い頃から、祖父母が栽培していた野菜たちが毎日食卓に並んでいたこともあり、私にとって野菜は身近な農作物だったように思います。

祖父母が仕込んでいた干し柿

また震災やパンデミック等の有事の際には、何は無くても野菜があれば生きていけるのではないかと本気で考えもしました。だから、数種類の野菜に限定してつくるよりも、多品目の野菜をつくる方が自分の考えに合っていると思うようになりました。

さらに、昨今の食糧問題や食の安全性について、そして自然環境への危機感を感じていた私は、それらの問題に対しての自分なりの向き合い方として農家になる道を選びました。なので、土壌汚染や環境負荷の少ない方法で作物をつくりたいという想いから、化学肥料や農薬を使わない有機栽培での生産に取り組みたいと考えたのです。

思い起こせば、幼い頃から祖父母は私に「うちの野菜は無農薬だから。」と常々言っており、そう言われ続けた私は農薬を使って野菜を栽培するということが、どうしてもしっくりこなかったということもあります。

これらを踏まえて、私は少量多品目野菜を有機栽培する農家を目指すことにしました。

無農薬で栽培されている里芋

とは言いつつも、農業を営んでいる友人や知り合いもいない私はどうしたら有機栽培をしている農家さんの元で働けるのかもわからず、まずは市役所や県庁等の農業関係の窓口に電話をしまくりました。

時には「君が連絡するところはうぢんねがらぁ、他さ連絡してけろ。」と門前払いをされることもありましたが、基本的には電話口の方々は一様に就農することに関しては親身になって相談に乗って下さりました。

しかし、その中で私が有機農家になりたい旨を話すと、電話の向こう側の雲行きが怪しくなり、少し沈黙のあと「有機はやめだ方がいいず。食っていがんねぇよぉ。」と皆さん異口同音に言うのでありました。

「農薬を使わないで栽培すれば、その分虫に食べられたり病気になってしまったりと、穫れる量が農薬を使ったときより少なくなってしまう。すると、収入が減少する。では、農薬を使わない分一つひとつの単価を上げて利益を出せるかと言えば、ほとんどの消費者は高ければ買わない。だから、有機栽培で経営していくのは難しい。」というのが行政の方々の言い分でした。

そう言われてしまうと、まだ農業を経験したことが無ければ知識もない私はそれを覆すだけの引き出しは持ち合わせておらず、それでもとにかく有機でやりたいんだ!という気持ちだけを伝えて、あとはノコノコと引き下がるしかありませんでした。

なかなか思い通りにはいかない日々

近くに有機栽培をしている農家さんが居ないか、という質問に対してもウヤムヤに流され、全く話が前に進まず絶望の時間だけが過ぎてゆきました。

そんなある日、ひょんなことから里芋を無農薬で栽培している、さとう農園の佐藤卓弥さんとみかさんご夫妻と出会うことができました。

河原で中学生たちに芋煮を振る舞う卓弥さんとみかさん
キッチンカーのイベントで日本一になった、さとう農園の芋煮

お二人からは山形の農業事情や経営に関してなど、実際に栽培に取り組まれている生産者の生の声を初めてお聞きすることができ、大変有意義な時間を過ごしました。

粘りが合って芋煮に入れると最高に美味しいです

そして、お二人とお話している中で寒河江市にあるお日さま農園さんという少量多品目野菜を有機栽培している農家さんがいらっしゃるということをお聞きしたのです。

オヒサマノウエン・・・?

これが、私がその後2年間研修生としてお世話になる、お日さま農園との出会いでした。

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