Shinta Ninoto

”たねを蒔いて未来を育む” 50年後、100年後先の未来に何が残せるか。子供たちの世代…

Shinta Ninoto

”たねを蒔いて未来を育む” 50年後、100年後先の未来に何が残せるか。子供たちの世代が楽しく、前向きに暮らせるためには何を繋いでいくべきなのか。 答えはないけれど、私は農業を通してずっと考え続けていきたいと思います。 その過程で感じたことや考えたことを、ここに綴ろうと思います。

最近の記事

目指す農業像 #18

いよいよ来月4月に迫った独立就農。それに向けて現在は、お借りする予定の農地の契約申請手続きを行ったり、なめこ栽培用のホダ木の伐倒を行ったりと準備作業に追われています。 これまで、このnoteで私がどうして農業を始めようと思ったのか、そしてこの農業研修の2年間で何を感じどのように考えたのかを書き綴ってきました。そして、今回はそれらを踏まえて私がこの4月からどのような農業を始めようと思っているのかをお伝えできればと思います。 栽培する作物は3種類。まずは、春先から夏にかけて収

    • アスパラパラダイス #17

      私が独立就農後に栽培したいと考えている作物がもう一つあります。それは、アスパラガスです。 数ある野菜の中からアスパラガスを選んだ理由は、味の美味しさに惹かれたからということはもちろんですが、それだけではありません。 まず私は、蔵王かぼちゃを栽培することを先に決めていました。(note #14 参照)蔵王かぼちゃを栽培する中で忙しくなるのは年2回。6月上旬の定植時期と、9月10日前後の収穫時期です。そして、次に栽培しようと決めたのは原木なめこです。(note #16 参照)

      • 山は巡る #16

        私の就農予定地である中山間地域において農作物を栽培するには、クマやイノシシ、サル等の害獣から畑を守ることを考えなければなりません。 農作物を荒らす彼らが住処としているのは、雑草や木々が生い茂った鬱蒼とした森。そのため、中山間地域の農家は畑の周りの森や山々の環境を整え、彼らが暮らせる住処をなくすよう心掛ける必要があると、私は考えています。 そこで大事になってくるのが、定期的な草刈りと木々の伐採です。ただ、刈り取った草はまだいいとしても、木ってどうやって処分すればいいのだろう

        • 山に境界線はあるのか #15

          志高く有機栽培で蔵王かぼちゃを生産することを決めた私。そのために、今年は畑の土づくりをしようと連日日が暮れるまで作業をしていたある日のこと。暗くなってきて視界がだいぶ悪くなってきたのでそろそろ帰ろうかと畑を出た瞬間、何かただならぬ気配を感じました。 ・・・イノシシだ。 数十メートル離れた草むらから、体長1m50cmはあろうかという3頭のイノシシが、そろって私の方を見ていたのです。突然の遭遇に私はたじろいでしまったのですが、数秒間お互い動かず見つめ合ったのち、イノシシたちが

        目指す農業像 #18

          蔵王かぼちゃへの想い #14

          私が山形に戻ってきた2年前。どんな農業をしようか、何を栽培しようかとまだ考え決めあぐねていた時期に、知人から”ある”かぼちゃをいただきました。見た目は、表面がやや白っぽい皮をしていて、おしりの所には大きな”でべそ”のようなもの付いていました。普段、スーパーなどで目にするかぼちゃは表面が緑色でおしりもスマートな形をしたものが多いので、正直ヘンテコなかぼちゃをもらってしまったと思いました。 でも、せっかくいただいたので食べてみようと、包丁でそのかぼちゃに一太刀入れようとしたので

          蔵王かぼちゃへの想い #14

          新規就農の苦悩 〜開墾編〜 #13

          さあ、農地やビニールハウスの目処が立ったところで、いよいよ畑の土づくりのスタートです。しかし、ここではさらなる困難が私を待ち受けていました。 というのも、祖父母の農地にしても別の地主さんからお借りすることになった農地にしても、ここ数年はまともな作付がされておらず、雑草も伸び放題の荒れた土地、いわゆる耕作放棄地になっていました。なので、兎にも角にもまずは畑の全面草刈りから開始しなくてはなりませんでした。 面積は4反歩と5反歩を合わせた9反歩。(ちなみに、1反歩は100m×1

          新規就農の苦悩 〜開墾編〜 #13

          新規就農の苦悩 〜ビニールハウス編〜 #12

          次に頭を悩ませたのが、農業用ビニールハウス(以下、ハウス)の問題でした。 ハウスには大小さまざまなサイズがありますが、基本的には鋼管のパイプに被覆材としてビニールのフィルムが貼られている農業施設です。この中で、野菜などの作物を栽培したり、作物の苗を育苗したりしています。このハウスは本当に優れた機能を持っていて、これが1棟あるだけでやれることの幅がぐんっと広がります。 ハウスを持つメリットとしては、 ①雨風をしのいで、天候の影響を受けずに作物が栽培できる ②外からの虫の侵入

          新規就農の苦悩 〜ビニールハウス編〜 #12

          新規就農の苦悩 〜農地編〜 #11

          ここからは、私が新規就農するための準備の中で直面した問題や悩みについてお話させていただこうと思います。 まず、私が最初にぶつかったのは農地の問題でした。 幸いなことに、私は新規就農といっても祖父母が営んでいた農地があったので、そこを使用させてもらいスタートすることにしていました。 しかし、そこは元々ぶどうを栽培していた丘陵地のため、近くに沢や水路などの作物に水を与えるための水源がなく、野菜を栽培するには多少難がある場所でした。そのため、そことは別の農地も第三者からお借り

          新規就農の苦悩 〜農地編〜 #11

          研修2年目 #10

          2年目のシーズン。この年は、昨年経験した少量多品目有機栽培農家の1年間の流れを、反省や復習をしながらより自分の中に落とし込めるよう実践する年になりました。 というのも、少量多品目有機栽培農家の作業はとにかく膨大で、同時に何十種類もの野菜を並行して栽培・管理しているので、1年目には経験できなかった作業もあったり、経験したとしても忘れてしまっていたりと、まだまだ自信を持って独立就農に臨めるという状況ではなかったからです。 そのため、前年自分が書いた研修日誌を見返したり、野菜の

          研修2年目 #10

          研修1年目 #9

          研修1年目は毎日が新しい発見や学びの連続で、とても充実した日々を過ごすことが出来ました。野菜は種類ごとに栽培方法や収穫の仕方が異なるので、それらを覚えるだけでも私にとっては四苦八苦。恥ずかしい話、最初は野菜なのか雑草なのかわからない作物もありました。 研修1年目で一番印象に残っている作業。それはなんといっても、雑草取りです。播種・定植・収穫とともによく行った作業の一つでした。有機栽培において最重要課題とも言えるのが、雑草との戦い。有機栽培を行う上で、雑草の発生を抑える方法が

          研修1年目 #9

          お日さま農園 #8

          善は急げということで、早速お日さま農園に連絡をとってお話を伺いに行くことにしました。 お日さま農園は山形県寒河江市にある、少量多品目野菜を生産している農園です。ここを切り盛りされているのが西尾佑貴さん沙織さんご夫妻。当日は沙織さんが畑の様子を見せてくれながら、農園のお話を聞かせてくださいました。 この農園では化学肥料や農薬を使わない方法で、年間約100種類もの野菜を季節に合わせて栽培しています。また、県内約120件におよぶご家庭向けの定期野菜セットの宅配、そして全国にある

          お日さま農園 #8

          まず一歩、農業の世界へ #7

          農家になることを決意した私は、とにかくまずは山形に拠点を移すことにしました。実家に戻り、祖父母から農業の知識や技術を習い就農しようと考えたのです。 しかし、祖父母の年齢は90歳。やはり体力的にも精神的にも実際に畑に出て私に指導することは難しい状況になっていました。農業に関する簡単な質問や相談はできたとしても、本格的に知識や技術を習得しなければそれを生業としていくのは困難なことです。 そこで私は方針を転換し、ゆくゆくは独立して農業を始めることを前提に、研修生として働きながら

          まず一歩、農業の世界へ #7

          生き方としての農家 #6

          私が農業を志すもう一つのターニングポイントとなったのは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックでした。 コロナ禍において人や物の流れが制限されたことによって、食べ物の供給に大きな偏りが生じたように感じました。誰にも消費されずに廃棄されていく食べ物もあれば、海外からの輸入に依存していたために一時的に供給が不安定になる食べ物もあったように思います。 私たち人間はひとりで生きてゆくことは出来ませんが、誰かや何かに過度に依存していたり頼ったりしていると、有事の際には自分ではどうし

          生き方としての農家 #6

          転換期 #5

          映画や演劇などのエンターテイメントの世界に携わってゆきたいと考えていた私が、なぜ山形に戻ったのか。そして、なぜ農業を始めることにしたのか。 そのきっかけは、私の大好きな祖父母にあります。 私の実家は先祖代々ずっと農家としてやってきましたが、祖父母が高齢となり農家を引退したことでその流れが途絶えようとしていました。私の両親は会社員で、農業とは全く関係のない仕事に就いていたので後継者はいません。また私自身も、自分が農業を継ごうと考えたことはこれまで一度もありませんでした。

          俳優を目指し、東京へ #4

          アメリカの大学を中退し日本に帰国後は、心機一転、東京に拠点を移しました。シェイクスピアから現代劇まで扱う老舗の劇団や、全国の小・中学校を廻りながら子供たちにお芝居を届ける旅廻りの劇団に参加し、イチから演技の勉強を始めました。 滑舌が悪く田舎育ちで訛っていた私は、上京当初はよく発声練習をしていました。夜な夜な環七通りの歩道橋の上でやっていました。たまに通る人には不審がられたりもしました。それでも楽しかった覚えがあります。でも舞台では、本当に言いづらい言葉は早口で言って誤魔化し

          俳優を目指し、東京へ #4

          アメリカンドリーム #3

          高校卒業後は、英語と演技を勉強するため単身渡米。世界中の人と自分の言葉で意見を交わしたいという思いと、ずっと憧れがあった舞台や映画の世界に挑戦したいという想いがあり、そのどちらも学ぶことができるということでアメリカへの留学を決断をしました。 いま考えると若気の至りというか、若さゆえの勢いのある行動だったなあと思います。そして、それを許してくれた両親には本当に感謝しています。 アメリカではユタ州のシダー・シティという小さな田舎町に暮らしていました。日本人も少なく大学以外には

          アメリカンドリーム #3