火曜日のルリコ(5)

 久保田と別れた後、携帯から高梨という人物の番号に電話をかけた。名前を告げると、相手はこう言った。

「ああ、この間電話くれた記者の人だね。近々取材に来ると言ってたのに連絡がないので、どうしたのかと思ってたよ」

 高梨は平塚に住んでおり、昔、松村亜利と同級生だったらしい。

 どうやらルリコは、何らかのルートで高梨を割り出し、松村について取材しようとしていたらしい。

 平塚ならそれほど遠くない。翌日の土曜日に、彼の家族が経営しているというイチゴ園を訪ねることになった。

 

 その日ルリコは、平塚まで出て、駅からバスに乗り換えた。

 十分以上もバスに揺られて行くと、高梨イチゴ園という看板が道端に見えた。そこで、次の停留所でバスを降り、看板を頼りにイチゴ農園まで歩いた。

 看板のある場所には、ビニールハウスがいくつか並んでいた。

 ハウスの外には人影がなかったので、少しばかり後ろ暗い想いを感じながら、順番にハウスの内側を覗き込んだ。二番目のハウスの中には、三人の男女がおり、腰をかがめて地面の赤いイチゴを手で摘んでは、プラスチックの桶のような容器に入れていた。

 一人は三十くらいの小太りの男で、他の二人は初老の男女だった。

 ルリコは、彼らの誰かが自分に気づいてくれないかと期待しながら、しばらく入り口で収穫作業をながめていたが、いっこうにその気配がない。観念したルリコは、おずおずと声をかけた。

「すみません。高梨新一さんは、こちらですか」

 若い男と、初老の女が顔を上げ、ルリコの方を見た。

「新一は、僕です」

 若い男が、気取ったように背を伸ばしてから言った。

 肥満気味の丸い顔、ぼさぼさの髪に黒縁の眼鏡をかけている。

 天宮編集長が若い頃は、こんなだったろうか?

 その容貌に、ルリコはそんなことを思った。

 母親とおぼしき初老の女性も、興味深げにこちらの様子をうかがっている。ただ、もう一人の父親らしき男は、このやりとりを無視して、黙々とイチゴを摘み取っていた。

「お忙しいところすいません。昨日お電話した、白井です」

 若い男が、なぜかにやりと笑った。

 母親らしき女もこちらを向いて、意味ありげな笑いを浮かべた。初老の男は見向きもしない。

 彼らに悪気はないのだろうが、ルリコには彼らの対応が、何となく不気味に思えた。

「新一に女性の客なんて、雨でも降るんじゃないかね」

 初老の女が、新一に向かって話す。

「いやだよ母さん。彼女は雑誌の記者で、松村君の取材に来たんだよ」

 このとき、父親の手が一瞬止まった。少し顔を傾けて、キャップのつばの端から、横目でちらりとルリコを見た。

「立ち話もなんだから、中で座っていただきなさい」

 母親が言った。

 ハウスの隅には、小さなテーブルが置いてあり、その上に魔法瓶と紙コップが置いてあった。

 農作業中、ここで一服するのだろう。

「どうぞ、入ってください」

 新一は、ハウスの奥に突っ立ったまま、片方の手の先をテーブルに向けた。ルリコは一瞬ためらったが、入らないと話が進みそうになかったので、その言葉に甘えることにした。

「すみません、お邪魔します」

 この季節になると、ハウスの中はかなり暑い。濃い土の匂いも鼻の奥をついた。

 ルリコは、イチゴを踏みつけないよう気を遣いながら、株の隙間にある狭い露地を踏みしめて中に入った。

 新一の方は、先にさっさとテーブルまで移動し、その下から、背の低いプラスチックの三脚椅子を二脚とりだした。

 ルリコがテーブルまで来ると、一方をルリコに勧め、自分もルリコと向き合うように座った。

 それから新一は、何か珍しいものでも見るように、まじまじとルリコの顔をみつめていた。

 あまり良い感じはしなかったが、ルリコにとっては貴重な情報源だった。もしかしたら、失われた記憶をとりもどす、重要な手がかりが得られるかもしれないから、丁寧な対応をしておくに越したことはない。

 ルリコは、営業用に取り繕った物言いで切り出した。

「お忙しいところ、本当に申し訳ありません。私たちは、予言者ホストとして知られる松村亜利さんのことを記事にしたいと思ってまして、亜利さんの知り合いという方々から、いろいろお話をうかがっているんです」

「大丈夫ですよ。そりゃ、今収穫期で忙しいけど、僕らには勤務時間というものはないですから。何でも訊ねてください」

 世間ずれしていない応答は、ルリコを少しばかり安心させた。

「では早速なんですけど、ひとつ確認させてください」

「なんでしょう」

 なんとなく、嬉しそうな顔に見える。

「高梨さんは、確か、松村亜利さんと同級生なんですよね」

「ああ、同級生といっても、幼稚園ですけど」

 え、何、幼稚園?

 ルリコは、一瞬絶句してしまった。全身から力が抜ける思いだった。

 同級生と聞いて、ルリコは勝手に中学か高校くらいと思い込んでいたのだ。

 しかし早合点したのはルリコの方だし、そもそも高梨新一の情報をどのように得たのか、その経緯さえ明らかでない状態では、誰をとがめることもできない。

「最初の電話のときも、同じことを訊いたよね」

 新一も、ルリコの失望に気づいたようだ。あわててフォローする。

「あ、そうでした、失礼しました。じつは、松村さんの幼稚園時代の情報も、何か参考になるのではないかと思ってるんです。その頃から、何か予知したこととか、なかったかなと」

 とってつけたような様子を悟られなかったかと、少しばかり気になった。一方、幼稚園時代の情報から何か得られる可能性もあるじゃない、と、自分自身にも言い聞かせていた。

「幼稚園のとき?とくに何かあったということは、覚えてないな」

「そのとき以来、付き合いはなかったんですか」

「ないね」

 あまりにも素っ気ない返答ぶりに、ルリコはさらに深く失望したが、そんな気持ちを見せないよう押し隠して、質問を続けた。

「同じ幼稚園に通っていたということは、住んでいたところが近かったということでしょう。だったら、小学校も同じところに行くように思えますが」

「彼はちょっと特別なんだ。幼い頃は平塚に住んでて、同じ幼稚園に通ってたけど、年長組のとき、どこかへ越してったんだ」

「越してった?」

「それ以来、どこでどうしてたか知らないけど、いつのまにかホストなんてやってたんだね。週刊誌で見たよ。でも、彼が売れっ子ホストだと聞いても、あまり驚かなかったね」

「驚かなかった。どうしてですか」

「だって彼、けっこうイケメンだろ。日本人で、あんなハンサムはなかなかいないよね」

「でも、高梨さんは、幼稚園以来松村さんに会っていないんでしょう。幼稚園のとき、彼がハンサムだなんて、思ったりしてたんですか」

「幼稚園のときは、特に何とも思わなかったけど、お母さんがとってもきれいだったのは覚えているよ。週刊誌の記事を見たとき、やっぱりあのお母さんだから、松村もハンサムになったんだなって納得したよ。彼のお母さん、確か日本人じゃなかった」

「え、日本人じゃない?」

 ルリコにとっては、予想外の展開だった。

確かに松村は、純粋な日本人にしては目鼻立ちがくっきりし、彫りの深い、いわゆる濃い顔をしていた。それも、混血ということなら納得できる。

「お母さん、どこの国の人なんですか」

 いまどき外国人とのハーフは珍しくない。しかしルリコには、松村の母親の国籍が気になった。もしかしたら、彼女の出身国にこそ、松村の能力の秘密が隠されているのかもしれない。そんな気さえしてきた。

 しかし、高梨の反応は心もとなかった。

「さあ、どこだったかな」

 新一は、首を傾げて考え込んでしまった。

 ルリコは、じっと松村の顔を見て回答を待っていた。すると、いきなり背後で女の声がした。

「たしか、イランの人と聞いてましたよ。お名前はファーティマさん」

 振り返ると、新一の母親がルリコのすぐ後ろに立っていた。

 音もなく背後に忍び寄られていたことに、少しばかり背筋が震えたが、地面は柔らかい耕作土で、母親もスニーカーを履いていたから、足音が聞こえないのも無理はない。

「そうだ、確か、イランって言ってた」

 イラン。イランといえば、確か厳格なイスラム教国だ。

 ルリコが生まれる前に革命が起きて、その後ずっとイラクと戦争していたことは、新聞か何かで読んだ。でも、そんな国に、未来を予知する魔術の伝統とか残っているのだろうか?仮に残っていたとしても、松村がその秘術を学んだ可能性はあるだろうか。

 ルリコは、母親に訊ねた。

「では、亜利君も、イラン人だったんですか」

「いいえ、お父さんが日本人で、ファーティマさんもお子さんも日本国籍のはずですよ。でも、もう一人弟がいたんですよ」

「弟?」

「はい、でも、ファーティマさんと一緒に交通事故で死んでしまって」

「交通事故で」

「確か、年長組のときですよ」

「そうだよ、確か、そうだ、フセインという弟がいたよ」

「フセイン!どんな漢字ですか」

 新一は、ふたたび考え込んだ。ルリコは母親を向き直ったが、母親も、息子同様首を傾げていた。その姿勢が、二人ともよく似ていた。

 

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