見出し画像

中華の日々⑯ 東の男、落ち込んでカネについて考える。


歳を取るにつれて図太さも増す。しかし、それでも落ち込んでしまうことはある。もちろん落ち込む理由はその時々にあるわけだが、それにしても(ああ、何となく、それでいてとてつもなくロウだ)という気分になる時がある。「それはバイオリズムが悪いんだ」と言ってくれた方が昔いて、それからは(そうか。バイオリズムの問題か)と少しは気楽になることができるようになった。生きている限りバイオリズムはあり、またバイオリズムはどうしようもないからだ。

だが、そうはいっても落ち込むのはきつい。故松本零士先生のお言葉だったか、「男には、何をやってもうまくいかない、どうしようもない時があるものだ。そんな時は酒でも飲んでひっくり返って寝ていればいいんだ」という旨のものがあったと思う。実にその通りだ。実にその通りなのだが、現実には「クソみたいに仕事があってそんなことできない!」という方のほうが多数だろうとも思う。今の私もその状況だ。落ち込んでいるのに、待ったなしに仕事はクソの山のようにある。しかし落ち込んでいるので、平時には「こんなクソ、とっと片付けてギターを弾こう」と片付けられるものが片付けられなくなり、よけい落ち込んでくる。この負のサイクルがさらに悪化すると、人は鬱になってしまったり、さらには自殺するということになってしまうのではないだろうか。幸いにも私は自殺に向いていないが、それでも消えてしまいたいと思う時はある。

そして私は思った。(あ、やっぱりこれもカネがあれば解決するわ)と。カネがあれば、仕事など全部放り投げて逃げることができるからだ。といおうか、一生を遊べるカネがあるなら今すぐに仕事を放棄するが、そんな多額ではなくても「当分は生きられるカネ」があれば、(いよいよ心身がヤバくなれば逃げてしまえばいいや)と思える。

そんなわけで、一定の金を確保しておくことはとても大切なことだと改めて思った次第だ。まあ、まともな人々は病気などの時のために金を確保されていると思うが、病気というのは体だけではなくて心のものもあるよ、ということで。そういう意味では、「口座の残高を見るのが好き」という人の感性も理解できる。GhostGoldだろうがプラシーボだろうが、最高レベルに効く精神安定剤だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?