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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(22)掛川宿→見付宿

こんにちは。ぽん太です。ゴールデンウィークに入ったので2泊3日で東海道を歩きました。ちょうど昨年のゴールデンウィークには箱根越えをしていましたが、まだ静岡県を歩いています。静岡県は東西に長いのです。


旅日記

 2023年5月1日。9:20掛川駅を出発。今回靴を新調。前回までの靴は底が擦り減ってしまったので、本格的な防水ウォーキング・シューズを調達したのだ。
 右手に掛川城を眺めながら商店街を進むと、レトロ仕様の清水銀行の壁に掛川城主、山内一豊と千代の浮彫刻がある。たしか大河ドラマ「功名が辻」(2006年)で、上川隆也さんが一豊役、仲間由紀恵さんが千代役を演じていたな。少し進むと十九首塚。天慶の乱(940年)で滅ぼされた平将門とその家臣以下19名がこの地で首実検を受け、葬られた場所のようだ。

JR掛川駅
山内一豊と千代の浮彫刻
旧道を行く
十九首塚。住宅街の中にあるのが少しおっかないが・・・

大池橋からまっすぐの秋葉山道が伸びている。数々みてきた秋葉山常夜燈の本家本元の秋葉山までの道だ。この大池橋は広重の絵にも出てきているが、今は当時の面影は全くない。
 そして前回乗った天浜線のガードをくぐると、西掛川駅。ここからは旧道らしさの残る道を歩く。

大池橋
西掛川駅
趣のある旧道

 しばらく旧道を行くと立派な松並木(原川の松並木)が現れる(10:50)。横にはちょうど田植えを終えたばかりの田んぼが広がり、すばらしい景観だ。原川は「間の宿」(宿場と宿場の間の、茶屋や荷物の運送を頼める荷宿があった場所)でもあった。そして松並木が少しとぎれ、巨大な駕篭が出現。このあたりは花茣蓙(ござ)を売る店があったと書かれている。そしてまた松並木(名栗の松並木)が現る。このあたりの松並木は、素朴で、飾らない感じがとてもよい。

原川の松並木
巨大な駕篭出現
名栗の松並木

11:40 久津部一里塚跡に到着。その横の小学校の看板には「東海道五十三次どまん中東小学校」とある。すごいネーミングと思いきや、後から「どまん中」を冠したお店等がいっぱい現る。ここ袋井宿は、東海道五十三次のちょうど半分の27番目の宿ということで、「どまん中」で町おこしをしているようだ。

久津部一里塚跡
東海道五十三次どまん中東小学校

 袋井は遠州三山と呼ばれる法多山尊永寺萬松山可睡斎医王山油山寺の拠点でもあり、これらの道標も見られる。また、ところどころ立派な彫刻を施した木造屋形の秋葉山常夜灯が散見され、多くの家の北西の角には、秋葉山常夜灯のミニチュア版が置かれている。秋葉山信仰が盛んだった証なのであろうか。

法多山道標
石造りの秋葉山常夜燈
木造屋形の秋葉山常夜燈
各家で設置されているミニチュアの秋葉山常夜燈

 12:20、東海道どまん中茶屋に到着。残念ながら定休日ということであったが、たまたまスタッフの方が掃除に来られていたので、中を拝見し、東海道五十三次タオルを調達。
 ここで京都から歩いてこられたご夫婦とお話をする。今年からスタートされ、隔週くらいのペースで歩き、ここまで20日位かかったということだ。旅の情報交換をし、是非日本橋で再会しましょうと約して12:50出発。(その後6月30日に無事日本橋に到着され、完歩祝いをさせていただいた)

東海道どまん中茶屋
「どまん中」だらけの袋井宿
レトロな雰囲気の澤野医院

 そろそろお腹がすいてきたので、国道沿いの「かつさと」でランチタイム(13:15-13:45)。とんかつを食べパワーをつけて歩きを再開。
 このあたりは配送センターや倉庫が多く、東海道の物流を担っているのだと思われる。
 また、木原畷古戦場跡大日堂など、徳川家康と武田信玄と戦った名所がいろいろある。家康や信玄ファンにとっては聖地なのだろう。 

木原一里塚(復元)
木原古戦場跡
大日堂からの眺め。確かにここからだと敵陣が丸見えだ。

 大日堂の近くは「三ケ野七つ道」と言われ、各時代別に作られた道がここで交差する珍しい場所だ。鎌倉の道・江戸の道・明治の道・大正の道・昭和に作られた国道1号線・平成に作られたバイパス。後一つは?

三ケ野
大正の道
明治の道
江戸の道

 このあたりから足が痛み出し、休み休み歩きながら、15:40見付の東木戸跡に到着。少しアイスとジュースで休憩して16:15旧見付学校に到着。旧見附学校は1875年にできた日本最古の擬洋風木造小学校で、1922年閉校後も病院等様々な施設で利用され、現在は教育資料館となっている。今日は残念ながら閉館日であったため、見学することかなわず。
 近くの「みつけ屋」でサッカーボールもなかを調達。さすがサッカーの町ならではのお菓子だ。

見付の東木戸跡
こいのぼりがたくさん泳いでいる
予備校まで古風な造りだ
旧見付学校
みつけ屋のサッカーボールもなか

 見付から磐田までは少々距離があり、脇本陣跡、遠江国分寺跡など散策しながら、17時JR磐田駅に到着。駅前には2002年のワールドカップの時のサッカー選手の足跡が。さすがサッカーの町、磐田だ。今夜は駅前のホテル泊。今日は20km歩いたのでさすがにくたびれた。

サッカーだけでなく、卓球も世界レベルの選手を輩出
脇本陣大三河屋門
広大な遠江国分寺跡
IR磐田駅
サッカー選手の足跡

記録

  • 総歩数:33,205歩

  • 実際に歩いた距離:19.9km

  • 訪れた宿場:袋井宿・見付宿

  • 宿泊:くれたけイン磐田

本日の行程

掛川から磐田までのルート

広重の絵

袋井宿

「袋井 出茶屋ノ図」  
出茶屋とは架設の茶屋のことで、給仕がお茶をわかし、旅人がくつろぐ様が描かれている。奥は、稲刈りが終わった田園風景が広がる。
現在の袋井市郊外

見付宿

「見附 天竜川図」  
  暴れ天竜と呼ばれる天竜川の渡しの様子。川は二筋に分かれ、手前は船頭が客待ちをしている。奥は舟の往来と舟待ちの客が描かれている。さらにその奥は、対岸の景色が濃淡で描かれている。
現在の天竜川河川敷

(参考)


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