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明日死ぬつもりで好きに生きてみる。

ここ最近の記事で、自己肯定感の低さや自身の無さに言及してきた。
今回は、なんでそんなに自分の自己肯定感が低いのか、自己分析がてら書いてみる。不思議なもので、書くことで、自分の知らなかった自分の問題や感情に気付くことが出来るのだ。

自分の自信の無さは、親との関係が一番大きく影響していると思う。私は三人兄弟の真ん中で、いわゆる一番「重要じゃない」ポジションだった。
親が私の選択を応援してくれたことや、素の自分を褒めてくれたこと、愛してると伝えてくれたことなど、全く記憶にない。父親は激務かつ海外赴任なども多く、母親は一人で三人の幼い子供を育てることに余裕がなかったのか、常に不機嫌だった。小さい頃は、両親が言い合っている場面を沢山見た記憶がある。

また、父親が、テレビに映る女性タレントやインタビューに応じる一般女性の容姿を悪く言うという癖があった。小さい頃は何も感じてなかったけど、その言動がルッキズムに囚われる大きな原因になったと思う。
20代後半になったら、おばさんと言われたり、結婚をせかされたり、傷つくことを沢山言われた。

自分の子供をわざわざ傷つけることが理解できない。言われる内容よりも向けられる「悪意」に心が疲弊する。
これを赤の他人から言われるのと、親に言われるのでは、その言動の破壊力がケタ違いだ。自分から近ければ近い存在であるほど、刺のある言葉を言われると真正面から受けてしまう。

一年も付き合ってない元カレから言われた、「努力した経験が無いから視野が狭い。」とか、「甘やかされて育ったから常識がない。」などの言葉も未だに引っかかってる。付き合って一年もしない、私の人生を全て知らない人から言われた言葉だから、気にしなくていいはずなのに、わざと私を傷つけようとするその「悪意」が恐ろしかった。元カレから言われた言葉がトラウマになり、「恋愛=傷つく」という方程式が出来上がり、新しい恋愛に踏み切れない。

両親との関係は悪い。一時帰国を考えると、両親の顔がチラつき憂鬱になり、結局日本に行くのを止めるということもある。

海外で暮らす私の精神は、ただでさえ張りつめてるのに、もし両親から傷つけられたら、正気ではいられなくなるだろう。

経済的に不自由だったとか、施設に保護されるほど虐待を受けたとか、そういうことはもちろんないけど、それでも私は両親の言動にたくさん傷ついて自信もなくした。この年になって親のせいにするのはみっともないというのは分かってる。それが嫌だったから、海外移住を通じて自分に自信をつけてあげたかった。でも海外移住をしても、両親からつけられた傷は癒えない。

このトラウマを乗り越えるには、アヤワスカやマジックマッシュルームセラピーなどの違法薬物に頼るしかないのかと思い、ネットフリックスで薬物関連のドキュメンタリーを見漁った時期もあった。

大げさに聞こえるかもしれないけど、「死にたい。」と思うこともよくある。そうすれば、結婚やルッキズムからも解放されるし、自分の心のトラウマから向き合わなく済む。

でも、死ぬならどうせ貯金を使い果たして好きなことをやりきって死んだ方が悔いなく知れるんじゃないか?と、ふと思った。
だから、今年は、無理に歯を食いしばって、難しいことを考えるんじゃなくて、これやりたいからやる、やりたくないからやらない。くらいのシンプル思考で生きてもいいんじゃないか。

趣味の韓国エンタメをより深く楽しむために、語学堂に3か月留学してもいいし、整形したい箇所があるなら全部すればいいし、沖縄の海で癒されてもいいじゃないか。アヤワスカセラピーが受けたいなら、ペルーに行ってもいいじゃないか。

お金のことや将来のことを全部放り出して、やりたいことをやったら、違う自分に出会えるだろう。全部やりきってそれでも死にたいんだったそれはその時考えればいいし、「生きたい」という活力が湧いてきたら生きればいい。
分からないけどそれくらいシンプルで適当に自分の感性に従って生きてもバチはあたらないだろう。



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