オタク力 笠原周吾

僕は高校生の頃からお笑いとゲームとロックが好きで今も好きだ。ロックは流石に響かなくなってきた年頃だけど、お笑いとゲームは好きだ。
お笑いももうシーンを追いかけることはやめたけどやはり千鳥のダイゴが破天荒さとかウケるしゲームは最新のps5からレトロゲームまで好きだ。
僕は引きこもりからの生活保護者なので一人なことが多いが、本題は一人でも楽しく生きていける力もいるということである。
まあ僕はパニック障害にもなったし、おそらく運動不足による体調不良にもなってるので現実も大事だ。
押井守さんが人は現実と虚構をどっちも生きてると言っていた。押井守さんは虚構の題材としてゲームをするらしい。
僕はずっと引きこもりだったので虚構の方が多いなのだろうな。
実経歴だけ見ればただの何もしてない人で何のために生まれてきたんだみたいな説教も受けたことがあるが別に生まれてきた意味は誰にもわからん。イルカとセックスしてもいいんやろ。あかんけど。。
対して現実に生きてる人は現実が落ちぶれた時落ちぶれた現実で生きなきゃならない。
ハゲたらハゲの会社員役をしなければならない笑
まあ虚構に行きすぎるやつを人は現実逃避と呼ぶ場合もあるが、現実とはなんだと言った場合、僕は身体だと思う。
身体が死んだら虚構もない。
まあだからそれなりに日にアビで、ヨーグルト食って踏み台昇降してる。
現実の方が自由度少ないのだ。実は。
ディズニーランド行くのとvrつけて遊ぶだったら、今のテクノロジーでは流石にディズニーで友達と遊んでる方が遊んで感は高いだろう。
僕は今は生活保護で若い人からは諦めないでと言われることもあるが、そもそも好きな女の子をなぜ好きと思うのかあんまりわからんと高校生の時思ったので全部わからんかった。
ただ父親の死だけが超リアルで僕は一層のこと不安障害なさせた。
仏教の本なども読んだがそれでもいつか来る死が怖いのでもうゲームとお笑いのことだけ考えて生きていこうと思う。
ドラクエシリーズは9と1以外はクリア。今はモンスターズ関連をやってるが、モンスターズ系はDS作品が多いので眼精疲労に厳しいから実は嫌だ。
僕はゲームすることが仏教で言う瞑想なんじゃないかと思うのでノーゲームノーライフと思い生きようと思う。女の人は恋愛に生きたり、子供のために生きたりするみたいだけど、いなくなって一人になったら絶望じゃないか。
ここまで孤独主義みたいなこと書いてきたけど、僕は今は人は結構好きです。別に孤独主義じゃないし、赤ちゃんからお年寄りにまで仲良くしたいけど40の無職のおっさんだからドラクエを信じて生きていこうと思う。後たまにいまだにバンプの曲聴いて落ち着く。
まあ気楽に好きに生きればいいんだよ。
生活保護者は申し訳なさそうに生きろというが、そんな法律はないし、ひろゆき風に言うと年収600万以下の人は国から援助されてるお金の方が大きいので同じなんだ。ちがうかもしれんけど、そんな細かいことじゃなく、申し訳なさそうに生きなきゃいけないやつなんてこの世にいないんだ。
まあ現実にアクティブに生きる人を否定することもないと言うか若い時は都会に出てオネーちゃん見に行ってた若かりしきひもあったしな。
折角生まれてきたんだから楽しく生きりゃいいさ。
まあどういう生き方にするとしても体が資本だから元気にゲームをしていくよ。
まあ言うても完全一人で薄暗な部屋で一生ゲームは嫌だけど笑
まあそれなりに生きればいいさ。
長生きは多分素晴らしい、尾崎豊よりも今も笑って生きてるおじいちゃんの方がすごいと思う。
まあ好きに生きればいいさ。

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