シルクロードとは何なのか

イントロダクション

こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係論について考える人です!

今回からシルクロードについてのnoteを投稿していきます。
初回なので、地政学シリーズと同じくシルクロードの定義について考えてみます。


シルクロードが注目されたきっかけ

コトバンクによると、シルクロードとは中華帝国と欧州を繋ぐ交易路の総称とされています。

実はシルクロードは学術用語です。だから、ある現象を説明するために導入された言葉なので、自然に生まれた言葉ではありません。

それでは、シルクロードという言葉が導入されたきっかけは何なのでしょうか?

それは、グレートゲームです。

グレートゲームとは、19世紀にかけて英露間で行われたユーラシア大陸における覇権争いです。

なぜイギリスとロシアが覇権争いを行うのか。それは特に19世紀前半においては英露がヨーロッパのトップ2だったからです。
18世紀末から19世紀初頭にかけてフランス革命~ナポレオン戦争が起こりました。その時に、本土が戦場にならなかったイギリスとナポレオンを打ち破ったロシアの影響力が上がったのです。

加えて、ロシアは北国なので不凍港を求めて南下政策を実行します。それに対してイギリスは海洋帝国なので、ユーラシアの港を支配しようとするロシアの南下政策は面白くありません。

以下の場所がグレートゲームの舞台となります。

  • バルカン半島

  • アフガニスタン

  • カスピ海

  • 中国(清)

イギリス・ロシア共に、該当地域の国や民族を自分の仲間に引き込む必要があります。そのためには、歴史や文化を学ぶ必要がありますので、シルクロードという言葉が導入され、歴史研究が盛んになりました。

また、シルクロードという言葉は現代の中国について知るための用語としても注目されています。

というのも、中華民族は非常に歴史を重視する民族です(中国4000年の歴史という言葉に代表されるように)。

冷戦終了以降、中国は非常に重要な経済アクターとなりました。
ヨーロッパ側としても、中国の経済力を利用するために、中国の歴史意識や文化を理解する必要があります。
ということで、シルクロードという言葉に注目が集まりました。

ただし、シルクロード研究は中国からの史料に偏っているという批判もあります。後ほど説明しますが、シルクロードには海洋民族や遊牧民の協力が不可欠でしたが、彼らは文字を残さないからです。
歴史学は文字に残っていないものを本格的に扱うことは出来ないので、どうしても中国から見た史料に頼らざるを得ません。
だから、シルクロード研究では、歴史学と考古学のコラボレーションが進んでいます。考古学は文字ではなくモノを取り扱うからです。

シルクロードの地理的条件

それでは、シルクロードの地理的条件について考えてみましょう。

シルクロードの地図

シルクロードの地理的条件としては、範囲とルートがキーワードになります。上の地図では、範囲ではヨーロッパから中国までは、ルートとしては陸路と海路が写っています。それぞれ見てみましょう。

シルクロードの範囲

コトバンクの定義でもあった通り、シルクロードは通常ヨーロッパと中国を繋ぐものだとされています。
ということは、コーカサス・中央アジア・インド・中東あたりなども当然入ります。

しかし、シルクロードを考える際アフリカ大陸を外すことは出来ません。
もちろん、シルクロードの何に注目したいかということにもよるのですが。
もし、シルクロードの海路に注目する場合、アフリカ大陸を外すことはできません。

というのも、今も昔も海路は陸路より効率的だからです。水の浮力によって荷物の重さが軽減されるのでその分たくさんの物資を運ぶことが出来ます。

ということは、シルクロードを広い意味で捉えた場合、以下の地域を入れておくことが大事です。

  • 中国

  • ヨーロッパ

  • インド

  • 中央アジア

  • コーカサス

  • 中東

  • アフリカ

何がシルクロードのルートなのか?

それでは、何がシルクロードのルートなのかも見てみましょう。

実は海路はシルクロードに入らないという論者もいます。
このような論者は、シルクロードをアジア内で完結したものと捉えています。正確には、中国・インド・中央アジアの三角貿易を重視する立場です。

それでは、海路もシルクロードのルートに入るという論者は、どのような立場なのでしょうか?
それは、地理より経済的な視点を重視する立場です。

というのも、経済的交流を通して文化がユーラシア中に広がったからです。
文化が広まるほど交流していたということは、交換された物資の量もそれなりに多かったことが見込めます。となると、運搬に効率的な海路もシルクロードに含まれるはずだという立場です。

シルクロードにとって本当に絹は重要だったのか?

最後に、シルクロードという名称についても考えてみます。
つまり、その交易路の中心は本当に絹だったのか?ということです。

これは、仮説としてはあり得ます。
なぜならば、絹は現在でも高付加価値を持つからです。また、当時は中国でしか取れないものでした。だから、中国産の絹の希少性がシルクロード全体の市場の活性化に繋がったことは十分にあり得ます。

とはいえ、絹だけが中国から輸出されたわけではもちろんありません。
また、他の地域もシルクロードに含まれるので、絹だけが希少品だったわけでもありません。絹に匹敵し得る中国の輸出品として青銅を挙げる論者もいます。

まとめ

それでは、シルクロードとは結局何なのでしょうか?

範囲としては、欧州~中国を基本としてアフリカまで入れるのが妥当だと思います。ルートは陸路も海路も含みます。
その一方で、絹が本当に貿易の中心と言えるかと言われれば微妙な点が残ります。

上記のスタンスは、現代中国が考えていることを理解するのに有用です。
というのも、現代のシルクロードと呼ばれる一帯一路にフィットしているからです。

一帯一路とは、中国が主導するユーラシア全体に渡るインフラプロジェクトです。対抗馬としては、日米が主導しているアジア開発銀行がありますが、一帯一路の方が融資の基準が緩く、人気が出ています。

この一帯一路の範囲やルートがシルクロードとほぼ同じなのです。

一帯一路構想

ここで輸出されているのは絹ではなく資本だったり投資プロジェクトだったりです。しかし、中国が昔からシルクロードへ輸出し政治的影響力を行使することを重視してきた、と考えることが出来ます。

このシルクロードシリーズでは、中国の一帯一路構想の分析をゴールとして、シルクロードの歴史的変遷を追っていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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