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「個別相談」(2)

(前回のお話)


 俺に似ているんだ。
 橘は朝倉の顔を見て、そのことを思い出した。橘が生徒について記憶している情報は非常に限られていた。名前と彼が教える地理の試験の点数のみである。しかし朝倉のことだけは、顔と雰囲気までもが印象に残っていた。朝倉も橘と同じように基本的に表情を作らなかった。整った顔立ちをしており背も高かった。決定的に橘と違うのは、無表情ではあるが無ではないところだった。橘にはない人間味のようなものがそこにはあった。
 こいつは好かれるだろうなと橘は素直に思った。人間味、いわば親近感こそが他人にもっとも好印象を与えることを橘は誰よりも知っていた。朝倉は橘に似ているようで完全に正反対であることに橘は気付いた。

「この部屋って使えるんですね」
朝倉は遠慮気味に顔の前を手で仰ぎながら言った。

「今日を最後にもう一世紀は開かないだろうけどな。場所を変えるか」
橘も彼と同じしぐさをした。

「いや、ここでいいです。なんか、しっくり来てます」
橘も同意だった。落ち着く、リラックスできる、とは根本的に異なる感覚だったが、この部屋が橘と朝倉にふさわしい気がしたのだ。古い埃にまみれ、やっと自分が部屋であることを思い出し始めたようなこの部屋が。
 二人は適当なパイプ椅子を発掘して思い思いの場所において腰を下ろした。白くなっていた表面をさっと手で払うと案外きれいな顔をパイプ椅子は見せた。

「どうして、俺なんだ」
感情も抑揚も欠乏した声で橘は聞いた。

「え?」
朝倉はまったく想定外という反応を見せた。その反応こそ橘にとって意外だった。

「君がもし、俺に対してなにか同族の匂いのようなものを感じて、俺を選んだんだとしたら残念ながらそれは見当違いだ。」
橘は相変わらず自動音声のような直線的な声で言った。高校生に対してはいささか無機質すぎる声だ。

「同族の匂い?」
朝倉は混乱しながらも真剣に向き合う必要のあることのように考え込んだ。

「同族の匂いってのはよくわからないけど。僕が先生を選んだのは嘘をつかないからです」
橘よりは抑揚のある声で朝倉は言った。

「他の教師は嘘をつく?」

「そういうわけでもないけど。とにかく橘先生は嘘をつかないんです」
橘はよくわからないという顔をした。それが橘が生徒に見せた初めての表情だった。

  朝倉は満足そうに見えた。そういう顔をしていたわけではないが、そう見えた。橘は混乱していた。改めて朝倉を俯瞰してみる。そこから何かヒントを得られないかという具合に。しかし、無だった。橘と比較すると幾分やさしい無ではあったが。

「じゃあ君が、正直者の俺に相談したいことはいったい何なんだろう」
無に戻った顔で問う。

「先生の話をしてください」

「俺の話?」

「僕はもう、誰かの話を聞くことでしか前に進めない段階にいるんです」
朝倉は真剣な顔をしていった。真剣な顔に見えた。
橘は何か言おうとしたが、何を言っても無駄な気がした。


(続く)

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