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大好きな場所であり続ける為に、ボクは「地元を離れる」事にした。

 コロナの蔓延で、地方移住をする若者が増えてきている。ボクはコロナの蔓延の少し前の地元へ帰ると言う形での地方移住だった。地方移住はたくさんの素晴らしい側面がある一方で、理解し難い負の側面もある。

この文章は地方移住した4年間の苦悩の部分を書いているので、
是非、『地方移住』『地元に帰る』そんな方に読んで頂きたい。

ボクの地元は兵庫県丹波篠山市という人口3万人の小さな田舎町だ。
18歳まで、そこに生まれ育って、大学の進学と同時に地元を離れた。
そして、27歳の時に、地元に帰るという選択をした。4年間ほど、地元で生活した。田舎で、農業をしたり、自分で商売をやりたい、そんな思いからだった。そして、31歳になった、今、地元を一旦離れる事にした。

ボクの地方移住

なぜ、地元に帰る選択をしたか?

・農業をやりたい。
・自分で小さくてもいいから商売がしたい。
・地元だったら、土地勘もあるし、実家があるので生活費も安く済む。
・田舎だったら、何処でも同じだと思っていた。

そんな安易な考えだった。


24時間体制の秘密警察

地元で生活するという事は、当たり前だが家族の近くで生活すること。
小さい頃から、知っているそして親の代から、もっと前から付き合いのある近所の人の周りで生活すること。
慎重に人間関係を進めないと、一生この場所で生活できなくなる。
羽生られる。そんな人間関係があった。

自分が近所の人にどう思われようと、別になんとも思わない。
だけど、家族はずーとこの場所で暮らしてきて、これからもこの場所で暮らしていく。自分の一度の失態が村八分に陥る。そんな緊張感あった。
そして、24時間体制で、地元の人、家族に監視されているという感覚があった。

次第に、自分の言いたい事は言えなくなっていた。
これは人に嫌われないような言葉か?
次第に、自分の行動は周りの目を気にした行動になっていた。
この行動は、人に不快な気持ちを与えてしまわないか?
車ですれ違う度に、笑顔で会釈しないといけない。
しないと、親や祖母に報告がいく。
愛想がないと。

ボクはアメリカからの旅から帰ってきた後だったので、長髪に髭は、近所の噂になった。地元を歩く度に、ジロジロと見られる日々。

長髪は田舎社会でフィットするように、爽やかなショートヘアー。
髭はしっかりと整えたおかしくない程度のもの。

すごく、窮屈だった。
自分の心から発した言葉では無くなっていた。
自分の心からしたいと言う行動では無くなっていた。
したい格好をしなくなっていた。

自分の行動は、24時間地元の人に監視されていて、何か不審な行動があると、我が家のボスである祖母の元に報告される。

そして、祖母から、
「お願いだから、普通に働いて!」
「あなた、何しっとってん?」
「働くに行きなさい。」
「髭を剃って。」
「昼間に道を歩かないで。っd」

そんな言葉を投げかけられる。
自分の心は強くない。
気にしないつもりでいても、毎日、毎日そんな言葉を投げかけられると、
自分のやっている事に自信が無くなった。

そんな自分の心は強くない。
自分の理想とする生き方を否定している自分がいた。


大好きだった祖母の存在


私の祖母は、今年で96歳。
1人暮らしをしている。
自分で排泄もできるし、自分で料理をして、畑にも出ている。
今の所、すごく元気だ。
祖母の息子である自分の父は、僕が16歳の時に癌で亡くなっている。
だから、1人暮らしでいる。

自分の両親は共働きだった。
だから、保育園の迎えは決まって祖母だった。
家の帰り道にある商店で、いつもおやつを買ってもらい、家に帰って、コタツに入って寝る。
お決まりのルーティンだ。
僕は男3人兄弟の末っ子。
だから、甘やかしてもらって育った。
大変甘やかしてもらった。笑
親に、祖母にあまり怒られて記憶がない。

夏休みには祖母が昼ごはんを作ってくれた。
祖母のご飯がこの世で1番好きだ。
時間をかけて、ちょっぴり甘めの味付けはボクのソウルフードだ。

そんな祖母は、今振り返ると、自分にとって大好きな存在だった。
今でもその気持ちは変わる事はない。

大好きな祖母だからこそ、自分のやりたい事を否定されるのが辛かったのかな。そして、だんだんと、避けている自分がいた。
そして、だんだんと、大好きだったはずの祖母がボクの足を引っ張る存在だと思うようになった。

大好きだった祖母が、大嫌いになりつつあるボクがいた。

祖母の中では、ボクは一生子供だ。
ボクが大人になる事はない。

しかし、ボクはたくさんの経験をして大人になった。
祖母は、ボクを子供として見る。

このまま地元に居ては、大好きだったはずの祖母を、大嫌いになって祖母を最期お見送りする事になる。
憎しみをもってお見送りする事になる。

今はニュージーランド。
もしかしたら、祖母の最期の瞬間、立ち会えないかも知れない。

だけど、もしその時が来ても。
今だったら、大好きだった祖母を大好きなままお見送りできそうだ。

憎しみではなく、”ありがとう”と言ってお別れできそうだ。


そして、地元を離れる事にした


たくさん考えた。
たくさん悩んだ。
たくさん格闘した。

移住という形で、都会から越してきた人には羨ましいがられた。

土地があっていいね。
知り合いがいっぱいいていいね。
家族の助けがあっていいね。

自分の苦悩を話しても、理解してくれる人はいなかった。
辛かった。

そんなに恵まれた環境にいるのに、贅沢だ。
もう少し我慢してみたら?
移住できた私達はこんなに苦労しているのに。

そんなことは知らん、と心の中で叫んでいた。

大好きだった祖母。
小さい時に、遊ぶ呆けた自然溢れる地元。
小さい時、「しんちゃん」「しんちゃん」とアイドルの様に可愛がってくれた地元の人。
心から自分の事を思っていてくれている母親。

そんな大好きだった地元、地元の人達が、大好きなままでいられるように。

だから、一旦、地元を離れて暮らす事にした。

大好きな地元を、大好きな場所であり続ける為に、
ボクは「地元を離れる」事にした。完

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