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第167回芥川賞大予想

皆さん、こんにちは。まもなく167回芥川賞が発表されます。私としては珍しく発表前にすべて読んでみましたので、予想なんてものをやってみたいと思います。

尚、私の所属している「新宿読書会」で同じようなことをしゃべっています。内容がかぶっていますが、こちらもお時間あればこちらもどうぞ。
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ここからの文章、文体がまちまちなのはYouTube配信前にバタバタやっているからです。クスリとかやってませんから!

小砂川チト 「家庭用安心抗夫」

日本橋三越の柱に貼られたけろけろけろっぴのシールから物語は始まります。主人公の藤田小波(ふじたさなみ)は、買物代行のアルバイトをしている主婦です。テレワークとなった旦那と団地で細々とした暮らしをしている小波は、なんとなく気の張らない生活を送っています。

そんな小波の目の前に「ツトム」が姿を現すようになります。「ツトム」とは、秋田県にある<マインランド尾去沢>という炭坑跡地の観光施設にいる坑夫を模したマネキン人形で、小波の母親が「あれがあなたのお父さんよ」と言い聞かせられて育てられました。

ある日ぱったりと「ツトム」が小波の前に姿を現さなくなってから、小波は「墓参り」と称して会いに行くことを思いつきます。「意味がわかんない」、「マジでキモい」と止める夫を振り切って秋田へと向かう小波。そこである計画を小波は思いつくのです。

さあ、はたと困りました。どう感想を言えばいいのでしょうか。現実と幻想が入り交じっているので、何を信用してよいのかわからず、不安感を読み手にもたらします。もう、ずっと不穏。こちらが出口のない炭坑に置き去りにされてしまったかのよう。父親にしろ、夫にしろ、「まあ、家族なんてその程度のものよね」と嘲笑っているように思えてしまいます。

尚、こちらの装丁も素敵なのですが、帯がこっています。

帯にご注目
つるはしで「父」の文字が・・・


鈴木涼美 「ギフテッド」

主人公の女性は歓楽街で働いており、体調を崩した母を自分の部屋に受け入れるところから物語は始まります。この母親は「複雑な自尊心」を持っており、「美人となどという言葉を使う世間を軽蔑」しています。主人公の女性には刺青があるのですが、物語の後半でそれは母親によって火傷を負わされたことがわかります。さらに入院中の母親を訪ねてやってきた昔の母親のファンと名乗る男性が現れ、「お母さんに渡すはずだったお金」を女性に渡します。

母親は自分に値段をつけられることを拒否し、主人公の女性は歓楽街で性と若さに値段をつけられながら生活しています。娘に火傷を負わせた母は娘に対して、値段がつくことがないようにしたのでしょうか。しかし、今際の時になって、母は意図せず値段をつけられてしまい、そのことも知らないまま逝ってしまいます。母と娘という関係性がこの作品のテーマになっているのですが、男の私はその深淵を覗くのが怖い。

今回の芥川賞候補作は作者が全員女性となっていますが、そのことを
象徴するような作品だったと思います。

高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」

昨年(2021年)12月、8年ぶりに改訂された三省堂国語辞典第八版
「イヤミス」という言葉は載っていない。「ことばで写す時代(いま)」とキャッチコピーつけているのになんだよ。「ソーシャルディスタンス」、「黙食」があるのに「イヤミス」ねぇのか。

と、「私、最新の辞書も(アプリだが)ちゃんと持ってますよ」とマウントも終わったので本題。

「イヤな気持ちになるミステリー」だから「イヤミス」。この言葉が使われだしたのは、おそらくここ十数年の話と思われるが、「ミステリーではないけど、イヤな気持ちになる本」のジャンルはなんと表現すべきだろうか。ピッタリとあてはまる言葉が見つからないが、この本はそんな本。「おいしい食事を食べてほっこり」ではない。注意。

同じ職場で働く二谷、芦川さん、押尾さん。芦川さんはあざとい女性である。支店長補佐が不在中にペットボトルのお茶を勝手に飲んだことを知ってなお、怒らない。怒らないどころか、さらに(支店長補佐の前で)自分で飲んでお茶の味について感想を交わす始末。私は文章を読みながら映像を思い浮かべる方ではないが、芦川さん=田中みな実にはなった。

芦川さんはあざといし、仕事ができるわけではないが、愛され力があるので、上司はみんな芦川さんの味方!正社員なのに繁忙期に残業しなくても「体調悪いもんね。しょうがないよね。」ってことで無問題!私もこんな愛され力が欲しかった。

押尾さんは芦川さんの1年後輩だけれども、そんな芦川さんのことが大嫌い。理由はわかるよね。

二谷は芦川さんと付き合う一方、押尾さんと二人で飲みに行く。なんなら押尾さんを抱こうとする。軽薄な人間だけど、それ以上に「食」に対して一切の興味がない。一人の時のご飯はコンビニかカップ麺で十分だと思っている。でも、芦川さんは(仕事はできないが)お料理上手。ちなみに犬の世話もできない。「食」に特化している。しまいには職場に毎日のように手作りのお菓子を持ってくる。そして、二谷はなんなら食べたくないと思っているが、付き合っていることが公然の事実になっているので食べざるを得ない。

おいしいことは正義である。そりゃそうだ。でも、コンビニでもカップ麺でも食生活は成り立つ。それで十分と思っている人間に「おいしいものが食べられますように」という圧倒的な正義に対しては、「おっしゃる通り」としか言えっすよねー。そうだよねー。

最後まで読むとわかるのだが、芦川さんってあざといと思いきやそうじゃない。どこまでも純粋なのだと思う。人はそれを天然と呼ぶが、そこに罪はない。でも、かわいいから許される。うーん、闇がないところが逆に闇。田中みな実さん、ごめんなさい。っていうか、この本で読書会したい。

年森瑛 「N/A(エヌエー)」


かけがえのない他人、は、まどかにとって特別な意味を持つ言葉だ。
(中略)
ぐりとぐら、がまくんとかえるくんのような二人組にあこがれていた。

年森瑛 「N/A(エヌエー)」

高校生のまどかは、生理が来なくするために炭水化物を抜き、大学生の恋人、うみちゃんがいます。といっても、彼女が同性愛者というわけではなく、自分の高校に来た教育実習生から「私と付き合ったら絶対に面白いから付き合わない?」といわれ、それが「かけがえのない他人」になることを期待し、付き合うことになります。うみちゃんはまどかのことが大好きで、まどかには断りなく写真をSNSにアップし、それが高校の友人の知るところとなります。友人は最大限の気をつかいつつ、まどかにそのことを伝えます。そんなことを望んでいないまどかは結局、うみちゃんに別れを切り出します。それに対するうみちゃんの返事は以下のようなものでした。

『だけど私たちがここにいるって、女同士で付き合っているって証明し続けたら 世の中が変わるかもしれないんだよ』

年森瑛 「N/A(エヌエー)」

まどかの「違う、そうじゃない」という声が聞こえてきそうです。うみちゃんの望む甘い恋人関係はまるでバタークリームにザラメをまぶしたくらいに甘い。中年は食いきれねぇ。

そして、どうしてまどかは生理を拒むのか。それは「ただ股から血が出るのが嫌なだけ」であり、「嫌なものは嫌」だからです。

その当事者性を一切感じていないけれど、拒食症として、同性愛者として気を使われながら見られることに耐えらない、何者としてもカテゴライズされたくないからこその「N/A」。

ダイバーシティ、インクルージョンと言葉だけは新しく出てくるけれども、恋愛関係だとかそういったものにとらわれない「かけがえのない他人」であり、「何物でもない人」、そんな存在がいれば、もっと心穏やかになれるのかもしれない。


山下紘加 「あくてえ」

あくてえ=甲州弁で「あくたい」のこと
小説家志望のゆめは、お母さんのきいちゃん、ばあちゃんの3人の生活をおくっている。ばあちゃんはきいちゃんの別れた夫の母親で、この元夫と再婚相手と一緒に暮らしていたばあちゃんは靴も履かずにゆめときいちゃんの住む家に「ここに置いてくれ」と懇願され、優しいきいちゃんはそれを断れず、そのままこの3人の生活に。ゆめはおばあちゃんのことを心の中で「ばばあ」と呼び、ばあちゃんは「あくてえ(=甲州弁であくたい)」ばかりをついている。ちなみに元夫は借金があり、生活費の送金がいきなり止まる。(そしてそれについて、文句を言いに行くのはきいちゃんではなく、ゆめ)

きいちゃんはやさしすぎる。自分の時間をほとんどすべてばあちゃんに授けている。これって共依存ってやつじゃ?

読んでてつらい。なんでこんなにゆめちゃんの人生はハードモードなの?文章読みながら涙を流したのは久々だった。介護、ヤングケアラー、生活費を送らない元夫など、小説のテーマとしてはありふれたものかもしれないけれど、読み手の感情をこれほど揺さぶる小説ってそこまでない。「お願いだから、もう、やめて」というつらさが、最初から最後まで続く。

メンタルが落ち込んでいるときに読まないことをお勧めします。(褒めてます。)

大予想まとめ

ということで、受賞作の予測です。最終的には好みで決めていますが、どれを読んでも外さない小説であることは間違いないと思います。

◎本命 年森瑛 「N/A」
○対抗 山下紘加「あくてえ」
△単穴 鈴木涼美「ギフテッド」

ということで今回はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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