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あの日夢見た私になれなかった。だけど、私は卒業します。

大学の卒業式だというのに、わたしはひとり、教室の冷たい椅子におしりをつける。だだっ広い空っぽの部屋でやることもないので、とりあえず、この4年間を思い返してみる。正直なところ、高校生のころイメージしていた"おとなのわたし"とは程遠い。航空関係の仕事に就く、英語ペラ子になる、留学する、長い髪の毛をふわり風になびかせる、ピンヒールをカツカツ鳴らし歩く。今のわたしと胡麻粒ひとつも重なっちゃいない。

それでも今日、わたしは大学を卒業する。

発光する画面を両手で包む。天気予報のページには、おひさまマークに囲まれて、水色の傘が居心地悪そうにぽつり。窓の外に視線を移すと、くすんだ空からは小粒の雨が降りてくる。晴れ続きの日々のなか、お天道様が植物のためを思って恵みの雨を降らせてる、そう思えば悪くない日。

今朝はいつもより丁寧に、瞼に凛とした蜜柑色のアイシャドウをのせる。唇には塗り残しのないよう、慎重に珊瑚色のリップを。大事な日こそ、普段通りがいい。

身支度を終え、ありがたい彼の運転で朝一番に向かったのは、街にある美容室 bufr、ブーフと読む。大学に通うために福岡市に出てきてから出逢った美容室。それまでは某クーポンを使っていくつかの美容室を転々としていたのだけれど、はじめて落ち着いたのがここ。そこから2年半、足繁く通っている。

店主だけのお店で席はふたつとこじんまりとしている。店内にはピンク色に塗装された壁や、檸檬色のソファー、アンティークチェアなど、店主のこだわりがあちこちに散りばめられている。わたしが行くたびに眺めてしまうのが壁の本棚。数十年も前に発行された「暮らし手帖」という雑誌が置かれていたり、「お葬式」というタイトルの謎の映画ポスターが飾ってあったりする。新しいものを見つけたときは、遠慮なく「これなんですか?」と尋ねてみる。ピンときたものは書き留めたり、手に取ってみたり。さすがに映画「お葬式」はまだメモする気にはなれなかったけど。そして、お店の一角には可愛らしい3つの花瓶が。お花がある時もあればない時もある。これは店主の元気メーターだ、と勝手に思っている。
こっそりと本棚の中身が入れ替わっていたり。はたまた、新入りの雑誌がいたり。そのときどきで、お花があったりなかったり。空間と店主が一緒になって、素直に息をしている感じに自然と肩の力が抜ける。

そのときどきで、というような人の気まぐれは心地いい。親しい間柄でないと誤解を生んでしまうこともあるけれど、その思わぬひとさじが人生を風味豊かにしてくれる気がする。

そんなこんなで、わたしはここが好き。

「どうしよっか?」
「すっきりした感じで〜うんぬんかんぬん…
 …まあ、おまかせで!」
といった感じで進んでゆく。段々と顔まわりの毛がまとめられて、おでこが出たときはドキドキしたけれど、鏡を見るとたのしい気分になった。かっこいいよね?と舞い上がっていたら、店主、笑いながら喉を詰まらせてた。

髪飾りは、アクセサリー作家のお友達にオーダー製作してもらったものを。シルクとウールの毛糸で編まれたお花のモチーフ。深みのある赤い毛糸には上品に煌めくゴールドの糸が添えられている。お花の真ん中にはナチュラルなウッドビーズがころんと佇む。繊細で、それでいて古風で可愛らしい、どこにもない髪飾り。(卒業式が終わった今も、よく目に入るところに飾ってある。そのくらいすき。枯れない花だね。)

オーダーから完成までの時間は、なんだかロマンチックだった。わたしの頭にふわりと浮かぶやわらかい糸屑が手品のようにするりするりと解けていく、それは軽やかで声が出てしまうほど見事だった。

ようやく、着付けが終わったのは、お腹も鳴りだすお昼前。実はこの卒業式で着させてもらった着物は叔父の奥さんのもの。総絞りが今ではなかなか見られないらしく、とても気に入っている。

相変わらずの空模様のなか、大学の近くにある商店街に着いた。ここから歩いて大学へ向かう。昔ながらのお食事どころや八百屋さん、洋菓子店などがずらりと並んでいて、ちびっ子からお年を召した方までが集う、活気のある商店街だ。いまの時代には少し珍しい光景だと思う。行き交う人にはちょうどよい体温が感じられ、たまに吹き抜ける風が日々のむずかしさを払ってくれるようなそんな通りだった。

ひとり暮らしでも寂しくなかったのは、ここのおかげだなあ、としみじみしていたら、おともだち夫婦が来てくれた。赤ちゃんを抱えた3人がつくなり、おおきな花束をくれた。私をイメージしてお花を選んでくれたそう。淡いピンクのスイートピーに、はじめてみたオレンジ色のお花。どれもフワッと食べちゃいたくなるような綺麗な色のお花だった。泣いちゃうぜ。花束を抱えて、この商店街、大学キャンパスと今のわたしを写真に残してもらった。

そんなこんなで、ゼミごとに行われる卒業証書授与をどういうわけか集合時間を1時間まちがえて、待ちぼうけを食らった。

そう、だから今、わたしは教室の真ん中にポツリと座っている。

記憶を辿れば辿るほど、わたしの中に強く蘇るのは、できなかったこと、できない自分に怯えていたこと。集合時間を間違えたのだってその片鱗。なあんだ大したことないと思うかもしれないけど、ひとつのネジの締め忘れは歪みを生み、やがては建物全体を壊してしまう。大学生活を送る中で、薄々ながらわたしはうまくできないことに気づいていた。平気な顔してそつなく毎日をこなす人たちが怖かった。だから必死で足掻いた。できないことをできるように。

結局、できないことは出来なかった。

人前で話すときは、足が叩かれたシンバルみたいに震える。会話はあたふたしてまともに続かない。ついでに緊張で顔がこわばる。何度乗ってもバスの乗り継ぎや時間でヘマをする。一度にたくさんのことを言われると風船みたく破裂する。臨機応変なんてまっぴらごめん。

この先また、つまづいた時の自分のためにアドバイスを残しておこう。

頑張っても頑張っても無理だった時。人に気づかれない程度、半分くらいなら開き直っていいと思う。例えばわたしが10時間を費やしてできないことを練習したとしても、取れる評価はせいぜいCくらい。でも世の中にはその何分の1の練習時間でA+を取る人がいる。だから無理に苦しみながらできないことをできるようにすることに一生懸命である必要はないと思う。それは世の中の「常識」だとしても。楽しいのなら話は別だけどね。だから、その昔に一度決めたからって進む道を変えてはいけない訳ではないし、自分らしく。

だけど、自分らしさという言葉に甘えずに。まっすぐ正直に。貪欲に。

4年前の理想とは180度ちがう、ドタバタした大人になったけど、好きをたくさん見つけられて、背伸びしてなくて嘘ついてなくて、最高に気持ちいいよ!わたし卒業おめでとう!

卒業後もこれまで通りYouTubeや写ること、書くこと、お洋服づくりを続けていくつもりなので、大きな変化はないかもしれない。けれど、こうして私に沢山の煌めきをくれたひとたちの紡いだものを身に纏い、それを記録に残してもらえた今日という日は意味ある、愛おしい日。ここまで読んでくれたみんな、ありがとう。そして、今も支えてくれているみんなありがとう。2022/03/18

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