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師をなぞる

毎日、というわけではないけれど、
時折、わたしは自分のお気に入りの詩や小説の一節を、
ノートに書き写しています。

ペンは、青(と碧を混ぜたような)色で、
紙の上を滑るような、書きやすいもの。
ノートの表紙はマスキングテープでデコレーション。
去年の夏に本屋さんで買った青の瓶柄は
爽やかでもあり、ノスタルジックさもあってお気に入りです。

この前はヘッセの「車輪の下」から、抜粋して書き写しました。

ギーベンラートはハイルナーと並んで板の上にこしかけ、両足を水の上にぶらぶらさせ、そこここに褐色の葉が一つまた一つ、静かに冷たい空中を縫って舞いおり、音もなく、褐色がかった水面に落ちるのをながめた。
「ここは悲しいね」と、ハンスは言った。
「うん、そうだ」
ふたりは長々とあおむけに寝たので、秋深い周囲を思わすものは、おおいかぶさっているこずえさえほとんど見えなかった。そのかわり、静かに雲の島を浮べた淡青の空が現れた。

ヘッセ「車輪の下」新潮文庫p.104

書き写しているとき、こころの中で文章を読み上げながら
嚙みしめるように書いています。

わたしは日記をほぼ毎日書いています。
でも、人が書いたものを書き写すのは、日記を書くときとは、使っている脳の部分が違う気がするのです。
その作者が織りなす言葉の羅列は、創造の産物なわけですが、
書き写していると、まるで呼吸方法、動きを真似ているように思えます。
読み上げてみると、なお、その感覚が強まります。

どんどん新たな本を読みたい!という衝動に駆られるけれど、
一旦立ち止まり、その一節、その一文、句読点まで向き合う時間も、
わたしにとっては必要。
その文章のなにに、自分は魅了されるのか。
内容か、それとも比喩の美しさか、はたまた両方か。
こんな風に、吟味できる濃密な読書体験もいいものです。

書き手の師、先輩たちの型をなぞる。
それは作品、作者と向き合い、
自分の血肉として、言葉を取り込むこと。

その取り込んだ言葉たち、思想が、
自分だけの、大きな創造の海の中で渦巻き、
新たな、わたし固有の波を作るのかもしれない。

それが目的なわけではないけれど、
ひとつひとつの、手に取った作品を大切に読み続けることは、
ひとりの人として大きな財産になるのだと思います。

わたしは速く読むことが昔から苦手で、
国語のテストでも時間を意識しなければならないのが、かえって焦りになっていました。
だけど、自分だけの読書時間は、自分のペースで、自分なりに作品をかみ砕きたい。その一つに、「書き写す」という作業を、これからも、不定期でも、続けていきたいです。

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